[ 気合いの入ったロングエッセイ ]
朝、目を覚ましまして、ふとTVをつけてみると(我ながら、なかなかのテレビっ子でございます)、画面にアグネス・チャンが映っておりました。朝から、チョット気分がいいのでございます。というのも、ワタクシ、アグネス・チャンの大ファンなのでございます。
ワタクシとアグネス・チャンとの出会いは、一枚のLPレコードからでございます。まだまだワタクシがウ〜ンと小さな子供の頃、母親とデパートへ出かけたときのことでございます。レコード売り場に、たまたまアグネス・チャンのLPレコードが陳列されておりました。ワタクシ、それを、ただ何となく“きれいだな”とジ〜ッと眺めていたのでございます。母親がそれを何げに憶えていて、しばらくしてから(たぶん、次の給料日)、ひょっこりプレゼントとして差し出したのでございます。というわけで、今回はアグネス・チャンの話題・・・ではなく、母の日に因(ちな)んで、ワタクシの母親のお話でございます。
ワタクシの母親は、昨年の1月に亡くなっております。ワタクシと母親とは親子でありますから(当たり前!)、ワタクシ、母親のことはもちろん何でも知っているか、というと、これまた、そうではない。これが実に謎の多い母親なのでございます。その謎のいくつかは、解明せぬまま墓場の中へ持っていかれてしまったのでございますが、今回はその謎多き母親を、ポツリポツリと紹介するのでございます。
まず、ワタクシの母親、幼少の頃、“松竹”の子役でございました。その“松竹”が何の松竹なのかはあまりよく分からないのでございますが、その子役を卒業後は、“女剣劇”に走ったそうでございます。そして、京都で“小料理屋”をやっていたという話もありますし、“芸者”をやっていたということもチラリと聞いております。なにしろ、写真がほとんど残っていない。当時の記録も何もない。芸名とかはムカ〜シ聞いたことがあったのでございますが、書き留めておかなかったので分からない。母親も話そうとしないし、ワタクシもあえて聞こうとしない。といったことで謎の多い母親の経歴でございます。
母親の男性遍歴も謎だらけ。ワタクシには兄と姉が“いるそう”でございます。もっとも兄の方はかなり以前にオートバイの事故で死んでいるそうでございます。では、姉は? この姉がどこの誰だか分からない。そもそも、兄や姉とワタクシとは父親が違う。母親にとってワタクシは、“三人目の夫(彼氏)”との子供らしい。では、ワタクシの父親は? これがまた誰だか分からない。戸籍謄本にも記載がない。いつか聞いておかなきゃと思いつつ、ついつい月日が流れていき、いしつか母親を逝かせてしまいました。“言わない”“聞かない”ということが、臆病なのか気配りか、とにかく微妙な親子関係でございます。
と、こんな風に書いてしまいますと、ワタクシの母親、トッテモふしだらな人間のような印象を与えてしまいます。が、しかし、そこは花柳界に生きた女、さまざまな“大人の事情”があったのでございましょう。ワタクシにとっては、女手ひとつで生き抜いた“強き母”であり、芸事のよきアドバイザーである“師匠”でございました。特に日本舞踊の心得は師範格でございました。ワタクシも母親から日舞を習おうといたしましたが、そこは身内の甘えが出てなかなか難しい。そもそも、母親の踊りは、相当な場数を踏んだ“枯れた踊り”でございまして、ワタクシなどが伝授するというようなシロモノではございませんでした。
追いつき、追い越したい。日舞・芸事に関しましては、母親はワタクシの目標であり、ある意味“ライバル”でございました。しかし、追いつくことも追い越すことも叶(かな)わないまま、母親の方に先に逝かれてしまいました。そんな母親は、昔取ったキネヅカ意識なんでしょうかね、非常に口うるさい“芸能評論家”でございました。TVなどを見てますと、まぁ、口うるさいことこの上ない。芸能番組・舞台中継などには片っ端から、ケチをつけておりました。ときにはテレビ局に苦情の電話を入れることも(冷や汗;)。まぁ、そこそこ的を射たことも言っておりまして、今思えばワタクシにとってはいい“情操教育”になっていたのでございましょう。特に、自分が舞台に立ったときの、“こざかしいテクニック”に関しては、いろいろ教えていただいたものでございます。
また、ゲイバー(オカマバー)遊びもよくやったんでしょうね。TVに出てくるニューハーフなどにもほんとに口うるさく、非常に手厳しい“ニューハーフ評論家”でもございました。ニューハーフ名古屋薫が今現在存在するのは、幼少時から繰りかえし母親に擦り込まれたこの情操教育があったからと言っても、過言ではございません。ですから、ワタクシがニューハーフになるときも、母親は“スンナリ”と受け入れたものでございました。むしろ、あまり呆気なくて、ワタクシの方が拍子抜けしたぐらいでございます。ニューハーフに理解がありすぎる母親というのも、なかなかに珍しいのでございます。
そんな気丈夫な母親でございましたが、肝臓病がかなり悪化してからは、立ち歩きに苦労しておりました。思い出すと今でも笑ってしまうのでございますが(不謹慎失礼)、足がポンポコポンにむくみ、足先なんかはまるで“イカめし”のようでございました(だから、失礼って言ってるでしょ、笑)。靴の脱ぎ履きに苦労している母親を見て、ワタクシがサンダルをプレゼントしたのでございますが、この良かれと思ったプレゼントが裏目に出る。みなさま方、足の不自由な人には、それ専用の靴がございます(病院で売ってるはず)。また、脱ぎ履きしやすいように全周がファスナーになった靴も開発されたりしております。足腰の弱った方の靴選びは、くれぐれも慎重にしてくださいませでございます。
で、話はそのサンダル。プレゼントしてしばらく後、ゆきつけの病院(っていうのもイヤですけどね)から一本の電話が入ります。ワタクシの母親が街中で転び、救急車で運ばれたとのこと。慌てて病院へ駆けつけますと、大腿骨骨折の重傷。母親に「どうして転んだ」と聞いてもグズグズ言うばかり。ふと病室の隅を見ると、先日プレゼントしたサンダルが隠すように置いてある。こっそりサンダルを調べると、ピッカピッカの新品状態。たぶん、街中へ出かける今日この日に、ワクワクしながらサンダルをおろしたのだと、そして履き慣れぬサンダルで、転んで骨を折ったのだと薄々察し、それ以上この話題は封印したのでございました。言わない思いやり、聞かない思いやり、なんとも微妙な親子関係でございます。
さて、小説の題材になりそうな人生をおくったワタクシの母親でございますが、その最期のときも、なかなかに気丈夫でございます。亡くなる一月ほど前から意識レベルが極端に下がり、目はうつろに開けているけど反応しないという状態。その最後のひと月は、ワタクシ、同じ病室に泊まり込んで母親を見守ったのでございます。ほとんど病室を留守にしなかったのでございますが、どうしても3時間ほど抜け出さなければいけない用事ができてしまったのでございます。母親、わざわざその3時間の間に逝っちゃったのでございます。猫や象がその死に際を見せないために「最期のとき」に姿を隠すなんていう都市伝説がございますが、ほんと、そんな感じでございます。最期のときを見せたくなかったのでございましょうかね? 気の強い母親らしい死に方でございますが、チョット寂しかったのでございます(ほんと、あと15分、間に合わなかったのでございます)。
死んだ後にも、不思議がいっぱい。入院中の母親のお財布は完全にワタクシが管理しておりまして、余分なお金など一切持っているはずはないのでございます。しかししかし、亡くなった後の母親のお財布を調べますと、20数万円ほどのお金が入っている。どうやって持っていたのか、いつお財布に入れたのか、まったくもって不思議なのでございますが、間違いなく入っている。諸事情がございまして、母親の葬儀は密葬で行うことになっていたのでございますが、その費用がおよそ20数万円。母親、自分の葬式代をこっそり隠し持ち、「もうダメだ」と悟ったときに、最期の力を振り絞って財布に忍び込ませたのでございましょう。まったく、サムライのような死に方をしたワタクシの母親でございます。
そしてさらに不思議なことが...母親が死んだ後、なぜかユニセフから母親宛に募金の振り込み用紙が送られてくるようになったのでございます。生前に何かを申し込んだのか、あるいはダイレクトメールのようなものなのか、まぁ、これも何かの縁でございます。年に数回送られてくるその振り込み用紙を使いまして、ユニセフに募金をさせていただいております。そういえば、アグネス・チャンもユニセフの日本大使でございます。母親、ワタクシ、アグネス・チャン、ユニセフ、こういった因縁の輪を感じまするに、人間の縁とは、まったく異なものでございます。
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そうそう、ワタクシの母親が入院中、自宅の「ある鉢植え」だけをしきりに気にしておりました。ほかの鉢は枯らしても、「それ」だけは枯らしたくないと執拗にワタクシに水やりを懇願しておりました。ワタクシ、なかなか自宅に戻る機会がなく、戻ったときにはすべての鉢植えを枯らしてしまっていたのでございますが、その母親が気にしていた鉢を見て、ハッと気が付いたのでございます。その鉢は、ワタクシがいつぞやの「母の日」に贈った鉢植えでございました。ワタクシ、コンビニでお金だけ払い、すっかり忘れてしまっていた鉢植えでございます。「その鉢だけは枯らしたくない」と言ったその母親の言葉に深い愛情を感じるのでございますが、何かにつけ「回りくどい表現」をする母親でございました(笑)。
さてさて、みなさま方、どんな「母の日」を送られましたでしょうか。何もしなかった方は今からでも遅くはございません。お花でも贈られたらいかがでしょうか? といったところで今回はこのへんで失礼しましょう。では、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。
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(2006/1/24以前のバックナンバーはこちらからどうぞ)
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ワタクシとアグネス・チャンとの出会いは、一枚のLPレコードからでございます。まだまだワタクシがウ〜ンと小さな子供の頃、母親とデパートへ出かけたときのことでございます。レコード売り場に、たまたまアグネス・チャンのLPレコードが陳列されておりました。ワタクシ、それを、ただ何となく“きれいだな”とジ〜ッと眺めていたのでございます。母親がそれを何げに憶えていて、しばらくしてから(たぶん、次の給料日)、ひょっこりプレゼントとして差し出したのでございます。というわけで、今回はアグネス・チャンの話題・・・ではなく、母の日に因(ちな)んで、ワタクシの母親のお話でございます。
ワタクシの母親は、昨年の1月に亡くなっております。ワタクシと母親とは親子でありますから(当たり前!)、ワタクシ、母親のことはもちろん何でも知っているか、というと、これまた、そうではない。これが実に謎の多い母親なのでございます。その謎のいくつかは、解明せぬまま墓場の中へ持っていかれてしまったのでございますが、今回はその謎多き母親を、ポツリポツリと紹介するのでございます。
まず、ワタクシの母親、幼少の頃、“松竹”の子役でございました。その“松竹”が何の松竹なのかはあまりよく分からないのでございますが、その子役を卒業後は、“女剣劇”に走ったそうでございます。そして、京都で“小料理屋”をやっていたという話もありますし、“芸者”をやっていたということもチラリと聞いております。なにしろ、写真がほとんど残っていない。当時の記録も何もない。芸名とかはムカ〜シ聞いたことがあったのでございますが、書き留めておかなかったので分からない。母親も話そうとしないし、ワタクシもあえて聞こうとしない。といったことで謎の多い母親の経歴でございます。
母親の男性遍歴も謎だらけ。ワタクシには兄と姉が“いるそう”でございます。もっとも兄の方はかなり以前にオートバイの事故で死んでいるそうでございます。では、姉は? この姉がどこの誰だか分からない。そもそも、兄や姉とワタクシとは父親が違う。母親にとってワタクシは、“三人目の夫(彼氏)”との子供らしい。では、ワタクシの父親は? これがまた誰だか分からない。戸籍謄本にも記載がない。いつか聞いておかなきゃと思いつつ、ついつい月日が流れていき、いしつか母親を逝かせてしまいました。“言わない”“聞かない”ということが、臆病なのか気配りか、とにかく微妙な親子関係でございます。
と、こんな風に書いてしまいますと、ワタクシの母親、トッテモふしだらな人間のような印象を与えてしまいます。が、しかし、そこは花柳界に生きた女、さまざまな“大人の事情”があったのでございましょう。ワタクシにとっては、女手ひとつで生き抜いた“強き母”であり、芸事のよきアドバイザーである“師匠”でございました。特に日本舞踊の心得は師範格でございました。ワタクシも母親から日舞を習おうといたしましたが、そこは身内の甘えが出てなかなか難しい。そもそも、母親の踊りは、相当な場数を踏んだ“枯れた踊り”でございまして、ワタクシなどが伝授するというようなシロモノではございませんでした。
追いつき、追い越したい。日舞・芸事に関しましては、母親はワタクシの目標であり、ある意味“ライバル”でございました。しかし、追いつくことも追い越すことも叶(かな)わないまま、母親の方に先に逝かれてしまいました。そんな母親は、昔取ったキネヅカ意識なんでしょうかね、非常に口うるさい“芸能評論家”でございました。TVなどを見てますと、まぁ、口うるさいことこの上ない。芸能番組・舞台中継などには片っ端から、ケチをつけておりました。ときにはテレビ局に苦情の電話を入れることも(冷や汗;)。まぁ、そこそこ的を射たことも言っておりまして、今思えばワタクシにとってはいい“情操教育”になっていたのでございましょう。特に、自分が舞台に立ったときの、“こざかしいテクニック”に関しては、いろいろ教えていただいたものでございます。
また、ゲイバー(オカマバー)遊びもよくやったんでしょうね。TVに出てくるニューハーフなどにもほんとに口うるさく、非常に手厳しい“ニューハーフ評論家”でもございました。ニューハーフ名古屋薫が今現在存在するのは、幼少時から繰りかえし母親に擦り込まれたこの情操教育があったからと言っても、過言ではございません。ですから、ワタクシがニューハーフになるときも、母親は“スンナリ”と受け入れたものでございました。むしろ、あまり呆気なくて、ワタクシの方が拍子抜けしたぐらいでございます。ニューハーフに理解がありすぎる母親というのも、なかなかに珍しいのでございます。
そんな気丈夫な母親でございましたが、肝臓病がかなり悪化してからは、立ち歩きに苦労しておりました。思い出すと今でも笑ってしまうのでございますが(不謹慎失礼)、足がポンポコポンにむくみ、足先なんかはまるで“イカめし”のようでございました(だから、失礼って言ってるでしょ、笑)。靴の脱ぎ履きに苦労している母親を見て、ワタクシがサンダルをプレゼントしたのでございますが、この良かれと思ったプレゼントが裏目に出る。みなさま方、足の不自由な人には、それ専用の靴がございます(病院で売ってるはず)。また、脱ぎ履きしやすいように全周がファスナーになった靴も開発されたりしております。足腰の弱った方の靴選びは、くれぐれも慎重にしてくださいませでございます。
で、話はそのサンダル。プレゼントしてしばらく後、ゆきつけの病院(っていうのもイヤですけどね)から一本の電話が入ります。ワタクシの母親が街中で転び、救急車で運ばれたとのこと。慌てて病院へ駆けつけますと、大腿骨骨折の重傷。母親に「どうして転んだ」と聞いてもグズグズ言うばかり。ふと病室の隅を見ると、先日プレゼントしたサンダルが隠すように置いてある。こっそりサンダルを調べると、ピッカピッカの新品状態。たぶん、街中へ出かける今日この日に、ワクワクしながらサンダルをおろしたのだと、そして履き慣れぬサンダルで、転んで骨を折ったのだと薄々察し、それ以上この話題は封印したのでございました。言わない思いやり、聞かない思いやり、なんとも微妙な親子関係でございます。
さて、小説の題材になりそうな人生をおくったワタクシの母親でございますが、その最期のときも、なかなかに気丈夫でございます。亡くなる一月ほど前から意識レベルが極端に下がり、目はうつろに開けているけど反応しないという状態。その最後のひと月は、ワタクシ、同じ病室に泊まり込んで母親を見守ったのでございます。ほとんど病室を留守にしなかったのでございますが、どうしても3時間ほど抜け出さなければいけない用事ができてしまったのでございます。母親、わざわざその3時間の間に逝っちゃったのでございます。猫や象がその死に際を見せないために「最期のとき」に姿を隠すなんていう都市伝説がございますが、ほんと、そんな感じでございます。最期のときを見せたくなかったのでございましょうかね? 気の強い母親らしい死に方でございますが、チョット寂しかったのでございます(ほんと、あと15分、間に合わなかったのでございます)。
死んだ後にも、不思議がいっぱい。入院中の母親のお財布は完全にワタクシが管理しておりまして、余分なお金など一切持っているはずはないのでございます。しかししかし、亡くなった後の母親のお財布を調べますと、20数万円ほどのお金が入っている。どうやって持っていたのか、いつお財布に入れたのか、まったくもって不思議なのでございますが、間違いなく入っている。諸事情がございまして、母親の葬儀は密葬で行うことになっていたのでございますが、その費用がおよそ20数万円。母親、自分の葬式代をこっそり隠し持ち、「もうダメだ」と悟ったときに、最期の力を振り絞って財布に忍び込ませたのでございましょう。まったく、サムライのような死に方をしたワタクシの母親でございます。
そしてさらに不思議なことが...母親が死んだ後、なぜかユニセフから母親宛に募金の振り込み用紙が送られてくるようになったのでございます。生前に何かを申し込んだのか、あるいはダイレクトメールのようなものなのか、まぁ、これも何かの縁でございます。年に数回送られてくるその振り込み用紙を使いまして、ユニセフに募金をさせていただいております。そういえば、アグネス・チャンもユニセフの日本大使でございます。母親、ワタクシ、アグネス・チャン、ユニセフ、こういった因縁の輪を感じまするに、人間の縁とは、まったく異なものでございます。
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そうそう、ワタクシの母親が入院中、自宅の「ある鉢植え」だけをしきりに気にしておりました。ほかの鉢は枯らしても、「それ」だけは枯らしたくないと執拗にワタクシに水やりを懇願しておりました。ワタクシ、なかなか自宅に戻る機会がなく、戻ったときにはすべての鉢植えを枯らしてしまっていたのでございますが、その母親が気にしていた鉢を見て、ハッと気が付いたのでございます。その鉢は、ワタクシがいつぞやの「母の日」に贈った鉢植えでございました。ワタクシ、コンビニでお金だけ払い、すっかり忘れてしまっていた鉢植えでございます。「その鉢だけは枯らしたくない」と言ったその母親の言葉に深い愛情を感じるのでございますが、何かにつけ「回りくどい表現」をする母親でございました(笑)。
さてさて、みなさま方、どんな「母の日」を送られましたでしょうか。何もしなかった方は今からでも遅くはございません。お花でも贈られたらいかがでしょうか? といったところで今回はこのへんで失礼しましょう。では、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。
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