今さらながらではございますが、読者のみなさま方、あけおめなのでございます。
さてさて、毎日新聞の日曜版に西原(さいばら)理恵子女史の『毎日かあさん』が連載されておりますが、ちょうど一週間前に掲載の「子供の扉」の号が、ワタクシ的にちょっと興味深かったので、ご紹介するのでございます。
何回注意しても開けたドアを閉めない子供たちを叱りながら、そんな子供たちの感性を、
「ドアを開けた目の前の新しい世界が最優先になってしまうんだろう。」
と称しております。
あと、食べた後に放置されるお菓子の包み紙、靴を履かずに帰ってしまう‘よそ’の家の子、高い木に登って降りられなくなった世界中の子供たち、道路の向こう側の犬を触ろうとして飛び出そうとする子供、そんな子供たちの行動をも、そのドアの向こう側の世界が最優先になる子供たちの感性をもって、「理解できる」と言っております。
実は実は、この「ドアの向こう側の世界が最優先になってしまう人」というのは、子供だけではないのでございます。大人になっても、こういった感性を残している人がいるのでございます。今回は、そんな大人になっても子供の感性を持ち続けている人の、輝きと苦悩をひもとくのでございます。ではでは。
まず、以下の引用を読んでいただきたいのでございます。夏目漱石の「草枕」の冒頭からの引用でございます。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。」
さてこの文章。一般的には「知恵を働かせすぎると事が荒立つ。情けをかけすぎると自分が流されてしまう。頑固な生き方は窮屈なだけだ。」といったような解釈が多いのではないでしょうか。ところがところが、ワタクシ名古屋薫は、ちょっと違う解釈をするのでございます。
最初の「智に働く」。この「智」は「知恵」を指しているのではございますが、個人の知恵ではございません。世間一般の知恵、つまり規則とか法律とか常識といったものでございます。次の「情」はナサケではなく、「感情」の情。人間の心の欲望や理想、煩悩といったものでございます。「智」が人間を取り巻く外側の世界を指しているとすれば、「情」は人間の心の内面を指しているとも言える。あるいは「智」は人の心に外側から及ぶ力、「情」は心の内側にひそむ力、と言えるかもしれません。
「生き方のメーター」なるものがありまして、その目盛りの両極端が「智」と「情」を指すとすれば、そのメーターの針がどの位置を指しているか、それが「意地」でございます。意地というよりは「意志」の意味合いでございます。「意地を通す」ということは、その生き方メーターの針を、“ある一点で”固定してしまうということでございます。
では以上の解釈のもとに意訳いたしますと、
「規則や常識に従いすぎると、角が引っかかって立ち行かない。心のおもむくままに行動すると、今度はとりとめもなく流されていく。その中間がいいのだろうが、かといってひとつのポジションを固執すると、束縛されて何も出来ない。」
といったところが、名古屋薫風解釈でございます。
生き方メーターの針が「智」と「情」の真ん中ぐらいでフラフラ揺れている、これが普通の人の、ごくありふれた生き方でございます。その時の感情やまわりの状況で、程よいポジションを探しながら生きているのでございます。ところがところが、ドアの向こう側の世界を最優先してしまう人というのは、生き方のメーターが「情」の方へ振り切っているのでございます。
この針が「情」に振り切っている人というのは、芸術面などで才能溢れる場合が多いのでございます。また企業などでは、一般常識にとらわれない斬新なアイデアを出したりするアイデアマンだったりいたします。芸能界や風俗などの人気商売では、他の追従を許さないほどの、すごい人気を博したりするのでございます。いいことずくめでございますが、針が振り切っている人特有の悩みというものもございます。
まず空気を読むのが苦手でございます。空気が読めないので、時として「わがまま」とか「生意気」なんて思われたりいたします。また、規則を守るのも苦手でございます。規則よりも自分の理想の方が優先するからでございます。そして、小さな子供がドアや包み紙を放置してしまうように、それを人間に対してやってしまったりするのでございます。本人には全く悪意がないのに、知らないうちに悪い評価を得たり、恨みを買ったりする、それが「針が“情”に振り切った人」の苦悩なのでございます。
こんな「自由奔放な苦労人」が身近にいたりすると、なんとかうまく人間関係を調整してやりたくなるのでございますが、こういった人には「説得」も「議論」も出来ないのでございます。というか、それが出来るのなら、本人が自分で針の位置を調整しているはずでございます。人間関係の歯車が、ギリギリと軋(きし)みながら噛み合うさまをただ俯瞰(ふかん)しているのは、靴の上から足をかくようなもどかしい思いなのでございます。そんなときに出来ることは、他の人から隔離して、出来るだけ人間関係の接点が少なくなるようにすることぐらいでございます。
すばらしい才能や輝きを呈していながら「ちょっと問題あり」と言われてしまう人、身の回りや芸能界などに多いでしょ。そういった人たちの多くは、この「メーターの針が“情”に振りきっている人」なのでございます。夏目漱石は、「“智”に振りきっている人」を「角が立つ」と言いましたが、実は「“情”に振りきっている人」もそれなりに角を立てながら生きているんですよね。
みなさんのまわりで、この「ドアの向こう側の世界を最優先してしまう人」がいましたら、どうかその本人の苦しみなども分かってやって下さいませ。でも、くれぐれも申しますが、そういう人には「説得」も「議論」も無駄でございますからね、念のため。
ではでは、今回はこのへんで。次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。
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