近場の大衆食堂で、カレーうどんを食す。
カレーうどんにはトンカツがよく似合う。揚げ物の油の香りとカレーの風味、この両者のシンプルかつ絶妙なるマッチングには、えも言われぬ魔力のようなものさえ感じる。だが最近は高カロリーを気にして、素(す)のカレーうどんに生卵と小ライスの三点セットで自身を納得させたりしているのが、常である。
生卵を割る。いきなり丼に落とし込むのは邪道であり下品でもある。まず小皿に卵を割り落とす。決して黄身を崩してはならない。黄身のふくよかな輝きを暫時楽しんだあと、静かに丼の中へ流し込んでやる。この卵は、終盤まで黄身を崩さないように心がけねばならないので、箸さばきの邪魔にならない位置を十分に考慮して、丼内にその座位を決定してやる。必要であれば、卵を流し入れる前に、カマボコ、ネギなどの脇役陣を移動させておくことも、重要な配慮である。
カレーうどんを食するには、決して急いではならない。これにはいくつかの理由がある。まず第一に、先ほど流し込んだ生卵を崩さぬようにしなければならないこと。そして第二に、その卵にカレールーの熱が伝導するまでには、いささかの時間が必要だということ。そして第三には、急いで食すると、ルーが飛び跳ねて衣服を汚してしまうからである。そもそもカレーうどんなるものは、どこの店舗においてもかなりの高温を伴うことが多く、口内を焼けずる危険を回避する意味でも、決して急いではならない。
まず、カマボコを食するのが吉である。カマボコはカレールーの中に沈んでしまうと、その風味の大半を失ってしまうからである。ネギや鶏肉が、食事の終盤までも強烈にその存在感を主張するのに対し、カマボコの脆弱で細やかな風味は、ぜひとも丼の下方に埋没する前にすくい上げてやるのが、カマボコへの思いやりというものであろう。ちなみに、カマボコは白色で無地のものが、気品があってよろしい。黄色いルーに浮かぶ白色のカマボコには、独特の美しさがある。がさつな店舗では、最初からカマボコが溺死寸前になって運ばれてくるところもある。そのようなカマボコへの慈愛を忘れた店などは、まったくもって言語道断である。
熱い麺を安全に食するには、食事の前半は、麺を小皿に取り分けて食するのが妥当である。この際、一口で食べられないからといって麺を途中で噛み切るのは、やはり邪道であり下品である。麺というものは、麺職人によって理想的な形状、長さを追求された、芸術作品である。その麺職人の細かい気配りを堪能する意味でも、麺を途中で噛み切ってはいけない。そのためには、麺を箸ですくう瞬間の洞察力が、非常に重要になってくる。熟達者の中には、丼の表面を見ただけで、丼内の麺のからみ具合を推考できる者もいるが、初心者にはなかなか難しい。試行錯誤を繰り返しているうちに身につくものであると、心得るべきである。
麺をすする作業。これにも、非常な繊細さが要求される。ルーの飛びはねを考慮するならば、すすらず、口の中へ箸で運び込むのが理想的である。ところが、音が出るのを嫌う欧米人がよく行うこの麺類の食べ方には、大きな欠点が存在する。香りを楽しめないのである。日本人が麺類をすするときには、大量の空気も一緒に吸い込んでいる。吸われた空気は、鼻腔を抜けて排出されることになる。この一連の動作が、味覚と同時に嗅覚を刺激することになる。カレーライスよりもカレーうどんにおいて、よりダイナミックな食感を感じられるのは、この嗅覚を同時に刺激する“すする”という食べ方に起因するのである。
さらに、この“すする”という食べ方には、もうひとつの効用がある。大量に吸い込まれる空気によって、麺が冷まされるのである。本来、日本食の汁物は高温である。味噌汁などは80℃ぐらいで配膳されるのが普通である。これは、すするという食べ方を前提にしているからである。一方、洋食のスープなどは、ちょっと低めの60℃ぐらいで提供されるのが普通である。“すする”というすばらしい食べ方が存在しないからである。「スープを飲む」ではなく、慣用的に「スープを食べる」という言い回しをするのは、こういったことも根拠となっている。
閑話休題、高温のカレーうどんをその風味を堪能しつつ食するには、“すする”といった食べ方は必要不可欠なのである。ところが、この食べ方には汁の飛び散りという危険性も内含している。この二点の矛盾を解決するためには、両者の妥協点を見つける必要がある。つまり、この際、顔への飛び散りは妥協するが、衣服への飛び散りにまで及ばないような、絶妙なる力加減での“すすり”行為を会得しなければいけないのである。カレーうどんには、味や風味といった奥深さがあると同時に、食べる側の人間にも、深い技能を要求する。実に、実に、カレーうどんとは、奥深い食べ物なのである。
ルーの辛さに、つい水を飲んではいけない。水を飲んだ瞬間に、いままでの苦労は全て台無しである。カレーうどんのルーは、カレーライスのように激辛ということは少ないはずである。カレーライスのルーとは違った細やかな味わいを楽しむためにも、水は差し控えたいところである。箸休めには白米を食するべきである。この箸休めの白米も、大量に頬張ってはいけない。ほんの少量にすべきである。この白米には、食事の終盤において重要なふたつの役割が存在する。初期段階で大食いして、その量を減らしてしまってはいけないのである。
麺を三分の二ほど食べ終えたら、温存していた卵の登場である。この頃には、ある程度の熱が卵に伝導し、程よい“とろみ”と甘さが卵に備わっているはずである。決して、割落とした卵に半熟以上の煮上がりを求めてはいけない。半熟以上の堅さにするには、鍋で煮込む必要があるからである。最初からメニューに卵の煮込みが記載されているか、あるいはよほどの常連客ならばお願いすることもできるが、あとから割落とした卵には、とろみと甘さで良しとすべきである。
さて、劇的な黄身を割る儀式の段階である。この段階まで卵の黄身を温存してきた苦労が、今報われるのである。卵の黄身を割った直後も、大胆な箸さばきは厳禁である。薄膜から解放された濃厚な黄身の中身が、ゆっくりとカレーのルーに混ざっていく様子には、デザインカプチーノのような美しさがある。ぜひ堪能すべきである。そして、その黄身とルーとの美しいまだら模様が残っているうちに、静かに残りの麺を、その黄身とルーに絡(から)めつつ食するのである。半熟卵のもつ濃厚かつ支配的な味わいもよろしいが、この半熟未満の卵の柔らかな甘みは、カレーの風味と共存し、混ざり合い、非常に良好なハーモニーを形成する。卵は、その温度や堅さでいくつもの顔を持っている、不思議な食品のひとつである。
麺を食べ終えると、今度は白米の登場である。残ったカレーのルーに、白米を入れるのである。この儀式にも、重要な美学がある。ぞんざいに白米を放り込み、雑炊にしてはいけない。白米をかたまりのまま静かに落とし込み、できるだけほぐれないようにするのである。このとき、白米をすべて入れてしまってはいけない。ほんの一口分だけ残しておくのである。この一口分の白米が、食事の大団円を飾る大事な儀式に必要だからである。
ルーの中に入れた白米は、時間の経過とともにドンドンほぐれていく。この段階では、おっとりしていてはいけない。優雅かつ速(すみ)やかな動作が要求される。白米を入れるまでの段階では、ほとんど箸のみで食することが可能であった。しかし、ここからの作業には、レンゲあるいはスプーンが必須である。レンゲまたはスプーンで、丼内の白米をすくい上げるのであるが、ここでも出来るだけ白米をほぐさないようにするのがコツである。ルーと絡みあった白米が、口に入れてからホロッと崩れる。この口の中で崩れる食感は、高級寿司を食べるときの食感に似ている。カレーうどんでここまでの食感を追求してこそ、本当のカレーうどんファンと言えるであろう。
丼内の白米を食べ尽くしてしまうと、丼の中には、わずかなルーが残っているだけである。このルーもレンゲあるいはスプーンですくい取って味わってしまう。やはり、スープは最後まですべて食するべきである。それが通(ツウ)の心意気である。食堂で働くオバチャン、厨房内のオヤジ、麺職人や、人間の食生活のために尊い命を捧げたブロイラー、そしてネギ、卵への感謝を込めて、スープを最後まで食するのである。スープを最後まで飲み終えたら、先ほど残した一口大の白米による、最後の重要な儀式をとりおこなうことになる。
白米を少しだけ残していたのには、重要な理由がある。スープを飲み終えても、まだ丼の内側には微量のルーが残っている。これを最後の白米で絡(から)め取ってしまうのである。少量の白米を有効に使うためには、ここでも巧みなる箸さばきを要求される。うかつな動作をすると、白米がバラけて散らかるだけである。小さな小さなおにぎりを、箸先だけで丼の中で転がしていくのである。そして、その小さなおにぎりを食べてしまえば終わりかというと、そうではない。その丼に軽くお茶を注ぐ。決して並々と注いではいけない。ほんの少量、丼の中で転がす程度のお茶を入れて、飲み干す。大げさと思うかも知れないが、これは美学の問題である。ここまでやることに実用的な価値があるかどうかは、問題ではない。自分の中の達成感こそが重要なのである。なぜならば、“美学”だからである。
そして最後に、大きく息を吐く。額の汗を拭く。顔に飛んだ汁を拭き取る。まだ残るカレーの風味とともに、余韻を楽しもう。たった一杯のカレーうどん。たかがカレーうどん、されどカレーうどん。
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さてさて、早朝に見たテレビ番組で、カレーうどんを特集しておりました。なんか急にカレーうどんが食べたくなって、今日の朝食は、近くの定食屋でカレーうどんを食することに。エッ、カレーうどんをこんな風に食べているのかって? うん、当たり前じゃん(エヘヘ)。というわけで、非常にダラダラと名古屋薫風カレーうどんのウンチクでした(こんなに長文になるとは、本人も思っていなかったです、はい)。
ではでは、失礼いたします。次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。
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(2006/1/24以前のバックナンバーはこちらからどうぞ)
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