[ 溜まったネタをオムニバス ]

不発弾でございます。ワタクシのごく近所で、不発弾が発見されたそうでございます。明日(3/22)は、その撤去作業だそうでございます。また、名古屋市内の別の工事現場からは、第二次大戦時のものと思われるサビだらけの銃が、100丁ほどザクザクと出てきたそうでございます。戦後60年以上が経過して、すっかり掘り起こされたと思われる名古屋の街でございますが、まだまだ掘り起こされず、何かが埋もれ残されているかもしれないのでございます。

今回は、オムニバスでございます。いろいろな話題を、バラバラと、ダラダラと、淡々と、つれづれなるままに書き下ろすのでございます。ではでは、さっそく本題でございます。

【ミートホープの社長に判決】

ミートホープの社長、実刑の4年の判決でございますかぁ。なかなか重いですよねぇ。実刑ですからね。まぁ、やりかたが悪質でしたからねぇ。

 で も ね 、

あの社長、自分の従業員から告発されたというのも哀れでございますが、一番の哀れは、謝罪会見の際、自分の息子に愛想を尽かされたということでしょうかねぇ。何とかごまかそうとするあのミートホープの社長、自分の息子から「オヤジ、本当のことを言って下さい」と言われたわけでございます。あの社長にとっては、実刑4年の判決文よりも、あの息子の言葉の方が辛辣(しんらつ)だったかもしれませんね。

まぁワタクシ思いますに、あの息子の発言は、ある意味、自分の父親を「売った」わけでございます。社会的には真っ当な事をしたようには思えますが、“人の道”ということを考えますと、あの息子は大変な大罪を犯しているのでございます。というか、すでにあの親子には、まともな親子関係は存在していなかったのでございましょう。父親の社長も哀れでございますが、自分の実の父親を売らざるを得なかったあの息子も、またまた哀れなのでございます。

【浅田真央、転倒するも優勝】

フィギュアスケートの浅田真央、転倒しながらも優勝って、なんか煮え切らないものを感じるのでございます。音楽系のコンクールみたいに、「1位該当者なし」とかでもいいじゃないですか。まぁ、優勝は優勝なので、おめでとうなのでございます。

そのフィギュアスケートでございますが、最近の選手はリズム感が良くなりましたよねぇ。というのも、昔の選手、そうそう伊藤みどりさんのころの選手は、リズムの取り方が“体操”のノリだったんですよね。1,2,3,4…とカッチリとしたカウントの取り方。ところが、演技の伴奏として流されている音楽のリズムというものは、もっと流動的に変化しているのでございます。ですから当時のフィギュアスケートは、音楽と実技とが今ひとつダイナミックにシンクロしていなかったものでございますが、当時はそれが当たり前でございました。

伊藤みどりさんのころにも、外国勢の中にはダンサーのようなリズム感で演技する選手がいたりしておりました。そのドラマチックな表現力は、日本勢の選手とは、まったく一線を画しておりました。また、伊藤みどりさんの名前が出てきたから言うわけではございませんが、日本人選手の“典型的な日本人体型”というものが、大きなハンディキャップにもなっておりましたしね。その外国勢のダイナミックな表現に触発されたのか、あるいは、最近の若い人の体型やリズム感が自然に西洋化してきたためか、日本の選手もどんどんリズム感が変わってまいりました。最近は、日本の選手が外国勢にまったく引けを取ることなく善戦しているのも、うなずけるのでございます。

【SF小説の大家、死去】

アーサー・C・クラークさんが亡くなったそうでございます。エッ、誰かって? 有名なところでは、「2001年宇宙の旅」というSF小説の作者でございます。たぶん、小説よりも同名の映画の方がみなさんご存じでございましょう。いやぁ、このSF映画の先駆け的な作品、ワタクシ大好きでございました。公開されたのが1968年。アポロが月面着陸を行う前年。映画館での初演は幼くして行けませんでしたが、再演がかかれば足繁く映画館へ通い、小説も読み、英和辞典を引きながら原作読破にも挑戦し、レーザーディスクも購入するという熱の入れようでございました。

その映画の舞台となった2001年は、すでに過去になっております。コンピュータグラフィックスなど存在しない時代に、すべて特殊撮影で制作した映画は、いまでもその斬新さを失っておりません。当時苦労して表現した無重力状態も、いまでは宇宙ステーションの中の様子を、地上からテレビ中継で見られる時代になってしまっております。数十メートル、数百トンというセットを組んで表現した無重力状態も、今ではブーメランが戻ってくるかが話題にされるほどの身近なものになっております。ある意味、SF作家がやりにくい時代になってしまったのかもしれませんね。

【佐藤愛子&ピーコ】

そうそう、SFで思い出しましたが、最近「愛子とピーコの『あの世とこの世』」という本を読んだのでございます。この本の中の一節に、

「世間には不思議はいくらでもあるのですが、現代のインテリは、不思議を不思議とする素直な心を失っています。……」

というくだりがございました。小林秀雄さんが講演の際に発した言葉を、佐藤愛子さんが覚えていたものだそうでございます。そう、アポロが月面着陸をするまでは、月というのは実に神秘的な世界でございました。月面に人間が降りたってからは、人は“月を見上げて夢を馳せる”ことが出来なくなりました。科学が進歩し、さまざまな事象がそのからくりを暴かれるにしたがい、人間は、ひとつひとつ、“夢見る材料”を取り上げられてきたのでございます。

世の中にはよく分からないこと、不思議なことがあっていいのでございます。というか、文明・科学の発達によって、自然現象のすべてが理論的に解明されているかのように思われる昨今でございますが、世の中にはまだまだ分からないことだらけなのでございます。原因不明の難病、不治の病もまだまだ存在いたします。宇宙の果てはどうなっているのか? 理屈で説明する人はいますが、実際にそれを見た人は誰もいないのでございますよ。

不思議なことを不思議と素直に受け入れたとき、そこから「夢」が生まれます。その夢により近づきたいと欲したとき、そこから新たな発見や、斬新な生きざまや、芸術作品の新風が生まれたりいたします。本当は世の中は不思議なことであふれかえっているのに、無理に理屈を貼り付けて、不思議なことを不思議でなくそうとする風潮が、最近の科学の発達によって顕著になっている気がいたします。どんな精密機械でも、その寸法に“遊び”というものがないとうまく動かないように、世の中の事象の解明にも、“遊び心”が必要だと思いますよ。不思議は不思議でいいじゃん。

といったところで、今回はこのへんで。ではでは、次回をお楽しみに。名古屋薫でございました。

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