[ 宗教雑想 ]
 合掌 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

   昔、人は不死であった。
   年老いると、古びた皮を脱ぎ捨てて、若返ることができた。
   ある時、幼子を抱えた母親がいた。
   年老いた彼女は外で皮膚を脱ぎ、若い姿で戻ってきた。
   幼子は、それが母である事に気づかず、母を求めて泣いた。
   仕方なく、母は再び古い皮を着て、老婆に戻った。
   幼子は母を認めて心安らいだ。
   それ以来、人間は年老いて死ぬこととなった。

 これはメラネシアに伝わる古い神話で、学生時代に本で読みとても心に残っているものです。

 神話は古代の人々が世界の有様を理解した物語です。これは「死の起源神話」つまり人に死が訪れるのは何故かを説明するもので、脱皮型と呼ばれる類型に属します。人は昔、蛇が皮を脱ぎ捨てるように生命力の再生を果たしていたが、ある出来事によりその力を失ってしまう──それがどのような出来事かは神話によって様々に異なります。

 人が何故死ぬこととなったか。神話が語るその理由には、災難や謀略、またはタブーにまつわる過ちが関係しているものが多いようです。けれども、このメラネシアの神話はそうではありません。子が母を求め、母が子を想う、その気持ちから母親は自ら運命を選び取ったのです。若き日の私は、そこに深く感動しました。

 この神話は、法華経の良医治子の譬喩に通じるものがあります。私たちの誰もが経験する日常的な親子の情愛が、神話や信仰の中で、人の有様の根幹を言い当てるものとなるのです。

 今日から新しい年が始まります。私たちは不死ではありません、年老いていつかは死ぬ定めです。けれども人生は単純な一直線ではないのです。かつて子供として親に愛された者が、いつしか親となり、または社会の一員として、子供たちを慈しむ立場に変わる──ぐるぐる回りながら上昇する螺旋のように、人は同じ「人の世」にあって少しずつ成長し世代を交代しています。一年のサイクルはいわば螺旋のとある一回転、死へと近づきながらも上を憧れ下を慈しむ人生は、とても幸福なことです。

 今日も良い一日でありますように、そして、本年が皆様にとって良い一年となりますように。再拝