合掌 おはようございます。

 先日、長男の隣のクラスの子が登校中に交通事故に遭いました。現場は長男がいつも通学時に渡る交差点、被害者は幼稚園の時の同級生です。一時は意識不明と伝えられ最悪の事態にならないことを祈っていましたが、幸い(といっていいものか……)両足骨折のみで生命に別状はありませんでした。

 風見しんごさんの娘・えみるちゃんの事故報道も他人事でない思いがありましたが、これだけ身近に事故があると、子を持つ親は誰でも不安になるでしょう。こんな気持ちは久しぶりです。

 そういえば長男が産まれてしばらくの間、理由もなく「いつかこの子を喪うかも知れない」という不安を抱えていました。子を得るというそれまでにない幸福な経験が、その幸福を失うことの不安と恐怖を反比例のように育てていたように思います。その頃、過失により我が子を喪った父親が幻想世界で贖罪を求める短編小説「知事決裁」を執筆しました。県芸術文化祭で入賞し、幼い長男をベビーカーに乗せて授賞式に出席したのを覚えています。子を得る幸福の只中にいる筈なのにこのような暗い小説を書くなんて自分はどこかおかしいのではないか、とも当時は考えましたが、その時期の私にとって書かなければならない作品だったのだと今は分かります。以前に電子説法でご紹介した作品「ピエタ」が、父の死を受け入れるために必要な文学的営為であったのと同じです。

平成十五年九月一日「ピエタ」
平成十五年九月四日「ピエタ 解説」

 時が経ち、子と共に在る幸福が当たり前になるにつれて、不安は萎んでいきました。けれどもそれは、仏教のいう愛別離苦の真理を、いつかは必ず愛する者と別れねばならないという現実を、一刻忘れているだけのことだとも分かっています。

 初期仏教は「だから愛する者を作るな」として出家修行の道を説きました。大乗仏教は、諸行無常の理を踏まえた上でなお愛する気持ちを大切にする道を選びましたが、それは愛別離苦を受け入れる覚悟を必然的に伴うものでした。更に日本では、明治政府の太政官布告を機に僧侶の妻帯が解禁され、私自身を含め多くの僧侶が家族を得ています。その事の是非は人により判断が異なるでしょう。ただ少なくとも、諸行無常を知る仏教僧であるならばこそ、精一杯家族を愛して日々を過ごさなければと思うのです。

 今日も良い一日でありますように。再拝