[ ビジネス・自己啓発 ]
●隔日刊 心が元気になる オンリーワン見聞録●
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●発行   肝 付 博 昭 (きもつき ひろあき)    (有)新規事業開発 代表

2008年3月16日−日

江戸時代の両替屋
写真:江戸時代の両替屋(「みんなの算盤教室」のHPより http://www.soroban.or.jp/index.html )

●連日取りざたされているのは、日銀総裁を誰にするかである。 「空席は混乱を招く」と与党は騒いでいるが、もともと総裁が単独で、金融政策を決める様なシステムではなく、代行者がその間、総裁の代わりを果たせる仕組みである。 安倍前首相が突然に辞意を表明してからの政治空白を、どう言い訳するのか。

武藤氏を担ぐために財務省が連日、与党やマスコミ、経済界への下工作に動き回る図式、官僚が日本を動かしている構図こそが大きな問題である。

さて、今週は、江戸開府から一世紀を経過して、幕府は様々な限界に直面して、徳川幕府が破たんを迎えたこの時期、下りゆく徳川時代を支え、改革した日本のエリート経済官僚、大岡越前守忠相を取り上げている。

金貨は、江戸を中心とする関東・東国経済圏、銀貨は京・大坂を中心とする関西・西国経済圏で通用していたが、銀貨に対して金貨が強くなればなるほど、江戸に多くの物資が入ってくる。 そうなれば物価は安定し、同じく江戸の市民生活も安定する。 つまり、江戸の都市経済の安定には、金の銀に対するレートを切り上げるのがたいへん効果的な方法なのである。

江戸の経済を切り盛りする、大岡越前守忠相が、推し進める金融政策「金の銀に対するレート切り上げ」に、真っ向から抵抗するのが、関西いわゆる、上方商人の金融機関として江戸で、力を持つ 両替屋 である。

そして、これに対抗する幕府の伝家の宝刀は「貨幣の改鋳」である。 綱吉が将軍であった元禄期は、幕府の支出が増大する一方、年貢収入は頭打ちになり、幕府財政が悪化していった時代だった。 この難局を打開するために取られたのが、勘定奉行荻原重秀による貨幣改鋳である。

貨幣の質を落として、その分発行量を増やし差額分が幕府の懐に入る仕組みにしたのである。 当時、貨幣の原料となる金銀の産出量は伸び悩み、原料不足に陥っていた。 金銀の含有量を減らす事は、その点への対処にもなっていた。

商品経済の著しい発展により、物資の流通は活発さを増した事から、その流れを円滑にするためにも、幕府は市場の要請に応じて、貨幣の流通量を増加させる必要に迫られていたのである。 貨幣改鋳は、この課題にも応えるものだった。

しかし、質を落とした事で貨幣の価値は下がり、物価上昇の要因の一つともなり、江戸町民の生活を圧迫した。 そのため当時より改鋳された貨幣の金銀含有比率にも物価を上昇させる大きな理由があった。

金貨と銀貨の交換比率は、日々変動するものだが、享保の改鋳により銀相場は高騰した。 改鋳により銀よりも金の品位の下がり具合の方が大きかったため、金に対する銀の力が強くなった結果、関西から江戸には物資が入りにくくなり、江戸の物価が上昇してしまった。

こうした相場の動向を受けて、金よりも銀の品位の下がり具合の方を大きくする改鋳を繰り返す事で、金の銀に対するレートを切り上げようとしたため、この金融政策は関西の商人に大打撃を与えた。 ところが関西の商人が暗躍し、勘定奉行荻原重秀を罷免に追い込んだ、という経緯がある。

いずれにせよ、貨幣の質を慶長金銀の最高のレベルにまで戻した事で、必然的に通貨の発行量は減少せざるを得ない。 市場の流通量も減った事で、金融引き締めの方針に転換したわけだが、この政策転換は銀相場を上昇させ、上方商人の側にプラスとなる結果をもたらしてしまう。

享保の時代を迎えて、江戸の米価上昇と物価の安定に職責をかけ、再び「金の銀に対するレート切り上げ」に、取り組んだのが、大岡越前守忠相である。

両替屋との闘いに屈する事なく「江戸経済の安定」に取り組んだ大岡越前守忠相の姿勢こそが、政財界、業界と一蓮托生の官僚ではなく、国民に奉ずべき真の官僚の範とすべきではないだろうか。

最終の今回は、「江戸の金融再生と貨幣改鋳の断行に、両替屋と闘った大岡越前守忠相」を取り上げて、締めとしたい。

今日の引用資料


安藤優一郎:著 大岡越前の構造改革

■194−これにて一件落着? 大岡越前守の構造改革

▼194−3 江戸の金融再生と貨幣改鋳の断行に、両替屋と闘った大岡越前守忠相(FIN)

1718(享保3)年の閏の10月、江戸の都市経済の安定を使命とする大岡越前守忠相(以下 忠相と表記)は、両替商に対し銀のレートを60匁にする「新金銀引換の制を定めた。 当時、一両に対する銀のレートが40匁代にまで上昇し、物価も高騰、とても看過できない事態だった。 両替商は、激しく反発「こうした問題は、相場の動向に任せるべきだ」として、この指示に抗議して一斉に店を閉めてしまったのである。 江戸は大混乱に陥った。

止むなく忠相は、54〜55匁という線で妥協を図るも、両替屋は店を閉めたまま。 結局、指示の撤回を余儀なくされ、翌年3月、両替商の言い分通り相場の動向に任せる、と申し渡した。 両替商は直ちに営業を再開している。 一片の指令では、相場を左右できない現実を忠相は思い知らされたのである。

忠相の金融政策は、関西商人の利益を損なうものであり、関西商人の利益を代弁する事で江戸を牛耳る両替屋と流通業者が、忠相の金融行政に反抗したという構図である。 両替屋は、関西を本拠とする者が多く、関西商人との関係は深かった。

その後、銀のレートは幕府の望む60匁ほどになったが、1731(享保7)年12月になると51匁に急上昇した。 忠相は、銀相場の引き下げを両替商に再び命じたが効果はなく、今回も相場の動向に任せざるを得なかった。

改めて、現行の金融行政の限界にぶち当たったという事になる。 加えて米価の下落を克服できない現状も相まって、忠相は貨幣を改鋳する事で事態の打開をはかるべく、貨幣改鋳によって強制的に引き下げてしまう事を具申する。

江戸に多くの物資が入ってくるような環境を整えることで、江戸市中における物価の安定を目論んだのである。 この金融政策は、まさしく物価政策に他ならない。 更に、貨幣改鋳によって市場の流通量を増やす事ができれば、換金の為に市場に放出される米の流通量も減る。 米価下落の大きな原因を取り除ける米価政策にもなっていた。

ここに、質を落として貨幣の流通量を増やし、金よりも銀の品位の下がり具合の方を大きくする手法をミックスした貨幣改鋳が断行されるに至る。 しかし将軍吉宗は、物価上昇を危惧して貨幣改鋳には最後まで抵抗したが、最終的には忠相の案を承認したのである。

1736(元文元)5月に忠相は、改鋳を告げる「町触」を発した。 その内容は「通貨が不足を克服する為に、今回貨幣の質を落とす改鋳を行う」とある。 ところが、銀相場の引き下げを図ったにも拘わらず銀のレートは急上昇した。 それまで流通していた良質な旧銀貨が、地下にもぐってしまった事で、新銀貨との引き換えが進まなかった結果、旧銀貨が底をつき相場が急騰したのである。

銀相場の引き下げを意図する忠相に対抗する為の、両替屋の操作が有ったという事になる。 「銀相場を引き下げる為には、一切の妥協なし」という忠相は、南町奉行所に両替屋を呼び出したところ、出頭したのは、代理の手代達だけだった。 忠相はこの出方に納得せず全員を牢にいれたのである。 両替屋達も、ここまでの処置をとるのは、想定外としてあわてて奉行所にむかった。 小伝馬町の牢に送られるのと入れ違いとなり一足間に合わなかった両替屋達は、その日の七つ時(午後4時)、両替店を一斉に閉めてしまう事で、忠相に抗議の意思を示した。

この事を想定内の忠相は「吟味中の一件に関連して休業し、相場を混乱させるのは不行き届き」と、その日の内に店を開かせているが、手代たちは更に以後2カ月近く、牢から放していない。 忠相は、銀相場引き下げに不退転の決意で臨む政治姿勢を見せたが、思惑通りには容易に下がらなかった。 市場の反発はもちろん、両替屋が水面下で激しく抵抗したのだろう。 この対立状態はニケ月近く続いた。

そうした折の8月12日、忠相が寺社奉行に栄転し、2千石加増され、大名に列する持ち高5920石となる。 そして同月19日、北町奉行所に呼び出された両替屋は、後任の町奉行の稲生正武より、手代は釈放するので、今後は慎むようにと申し渡された。

これだけ両替屋にお灸を据えておけば、目に余る相場の操作はできないだろう」というわけだが、江戸の経済や金融を混乱させるのも得策ではないという判断も働いたのだろう。 肝心の銀相場の動向を見てみると、一連の幕府の強い姿勢も相まって、相場は次第に下落し1741(寛保元)年には、銀のレートも60匁で安定したのである。 この頃に入って、改鋳の効果も表れ、米価や物価も安定したという。

忠相がとった強硬策への反発も相当に強かった事から、この一件が引き金となって20年間在職した町奉行職を離れざるを得なかった。 江戸町奉行職と引き換える形になったとは言え、元文の改鋳によって、江戸の米価・物価は安定に向かったのである。 この時の忠相の政治姿勢とは、江戸の都市経済の安定が何よりも町奉行の任務であった事を、天下に示したと言えよう。

安藤優一郎(あんどう ゆういちろう)
1965年千葉県生まれ。 歴史家。 日本近世政治史・経済史専攻。 文学博士(早稲田大学)。江戸をテーマとする執筆・講演活動を展開。 NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を務める。  主な著書に『江戸の養生所』(PHP新書)『観光都市 江戸の誕生』『徳川将軍家の演出力』(以上、新潮新書)『江戸城・大奥の秘密』(文春新書ほか)