[ ビジネス・自己啓発 ]
●隔日刊 心が元気になる オンリーワン見聞録●
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2008年4月25日(金)

●一部、加筆修正し、再発行分

無節操な日本人

戦後、一貫して一党で長期支配しているのは、中国と北朝鮮、それに日本だけである。 中国と北朝鮮は、一党独裁の全体主義の国家で、同じ範疇にいれるのは、論外という人も多いだろう。 確かに日本は、世界でも稀なほどの公正な選挙下での、ほぼ一党による長期政権が続く。 それでは、手続きは民主国家の態をなしながら、どうして戦後からほぼ、現在の自民党の様な保守による長期政権が、続くのだろうか。

敢えて言えば、選んだ国民の政治への関心度の低さだろうか。 平和ボケとも言える日本の情緒的平和主義は、武器を持たず侵略されてもすぐ降伏すればよいと言う一方で、本当に武力征服される覚悟があるのかというとそれも疑わしい。 心のどこかに日本は、アメリカの核の傘に入っているし、いざとなったらアメリカが助けてくれるだろう、という「未熟な甘え」が隠れているのである。

さりながら、この政治体制でつつがなく今日ある事を思えば、不足を並べ立てるのも、控えるべき、というところかも知れない。 しかし今後の行く末に思いを馳せると、いささか懸念を感じざるを得ない。

それは、官僚一連の不祥事と、奢る平家は久しからず という様に、長期政権のひずみである。 このところ続く、言いようのない犯罪や、若年層の不定期就労が将来国力をそぐだろう・・という懸念、もろもろの現象は、単なる世代の移り変わりという様に、半ば悟りの如く眺めていて良いのであろうか。 

再掲になるが、もともと日本人は変化を好まない国民性がある。 高齢者から今の現役中堅の世代までは、高度成長時代のうま味を享受した経験が体にしみついており、有る種の成功体験のストックで、生きている様なものである。 組織で働き、云われるがままのベクトル合わせの成功体験は、概ね極端な変更を嫌う思考が先ずはたらく。

実際のところ政治家は、今も官僚の掌の上で操作されているといったところであろう。 既に、TV局や4大紙を含む報道機関は、事もなげに、自民党や官僚に取り込まれ、批判する論調も全く見当たらない。 官僚も政治家も、マスコミも国民も「無節操な日本人」の著者である、中山治氏によると、ジコチュウー人間という事になる。

そこで今週は、再度、中山 治氏の著作「無節操な日本人」から、「未熟な甘えがジコチュー人間を生む」と題して、取り上げたい。 まずは、「自己中心的な官僚達のかばいあいが 生みみ出す不祥事」から 入りたい。

先ずは、「自己中心的な官僚達のかばいあいが 生みみ出す不祥事」から入りたい。

●今日の引用資料

中山 治:著 「無節操な日本人」

■200−未熟な甘えがジコチュー人間を生む

▼200−1 自己中心的な官僚達のかばいあいが 生みみ出す不祥事

今日の日本社会を語る時、日本の若者の「未熟な甘え」とそれが生む自己中心的なパーソナリティが、指摘されている。 新聞の投書棚で散見する若者の自己中心的な言動に対する非難から、青少年に対する意識調査や若者の自己中心性の病理を分析した精神医学者の著作まで、今日の日本社会の退廃の原因は、自己中心性にあり、という見解一色である。

実際、日本社会では「ジコチュー」という言葉までが市民権を得ている。 確かに日本では「ジコチュー」が蔓延していて、それが今日の大きな社会問題である事は否定できない。 だが、現代日本人の「ジコチュー」が強調されればされるほど、その反動として、昔の日本人は「ジコチュー」とは無縁で、逆に思いやりにあふれ、自己抑制の利いた立派な人間が多かったかの様な錯覚が生ずるのである。

ベストセラーとなった小林よしのり氏の『戦争論』(幻冬社)もこの錯覚の上に書かれたものである事は明らかである。 「日本の良き伝統」を強調する保守主義者もこの錯覚の上に乗っている。 それは、「戦前の日本人は、『公』の為には自己犠牲も厭わない立派な人間が多かった。 今の日本人がこんな『ジコチュー』の情けない人間になってしまったのは、戦後民主主義が悪いのだ、日本弱体化を意図したアメリカのマインド・コントロールの成果だ」と、いう主張がそれである。

むしろ、戦前の日本人は「ジコチュー」とは無縁どころか、日本社会の中枢はジコチューの固まりの様なパーソナリティの人々で占められていたのである。 だからこそ、第一次世界大戦以降の日本の行動がどんどん唯我独尊になっていったのである。  日本は、昭和に入ってからの軍部の情緒的暴走、バブル崩壊以降の官僚と政治家と金融機関による情緒的迷走がある。 共にその背後には、権力は振るうが責任は決して取らない多数の「ジコチュー人間」が指導者としてうごめいていた事にしっかり気づくべきである。

世界中どこの国でも無能な人間がエリートとなる事は避けられない。 だから、失敗が明らかとなった無能なエリートはさっさと解任できる仕組みを作れば良いのだが、逆にエリート同士の「かばい合い」の仕組みを作ってしまう事が日本の最大の問題点なのである。

「成功は自分の手柄、失敗は人のせい」の無能で無責任なエリートが、何時までも居座り出世や権カや金や名誉といった「甘い汁」にトコトン執着する事によって生まれる毒が組織の全体を駆けめぐる事となるのである。 日本では、高級官僚がもっとも優秀な人材を集めている筈なのに、なぜ高級官僚は無能か、というと、官僚達がその能力を社会や国家の為ではなく、自己保身と私益や省益のためだけに使うからである。

「未熟な甘え」に動機づけられた典型的な「ジコチュー人間」ほどそうした行動を取るのである。 しかも官僚達は、私益、省益を公益、国益と言いつのり、すり替える自己欺瞞の術には長けている。 官僚達の能力は、その為にこそ最大限発揮される。 ここに究極のモラル・ハザードが生じるのである。

バブル崩壊以前は、米ソ冷戦という事で、アメリカが大枠のところで大事な「反共防波堤」となり、日本の情緒的暴走や迷走を防いでいたので、これらのモラル・ハザードは目立たなかった。 アメリカが、漁夫の利で溜め込んだ日本の富を奪い返すべく、ソ連に代わる新たな競争相手として国益をかけた金融経済戦争を仕掛けた途端にメッキが剥げたのである。 それゆえ日本がダメになった事を、単細胞的にアメリカのせいにするのではなく、その事の意味を「未熟な甘え」の生んだ「ジコチュー人間」のエリートという視点から考え直さないと、やがてそのドクは、日本全体へと確実に回るであろう。

「未熟な甘え」とそれが生む「ジコチュー人間」は、古今東西を問わず人間に普遍的に見られる現象である。 だが、それを助長しやすい条件というのも確かにあって、日本の場合は情緒原理主義と官僚主義がそれである。 「未熟な甘え」は、情緒原理主義の一部を構成すると同時に、その情緒原理主義によって自己肥大化を遂げるという相互作用があるのである。

キリスト教や仏教、儒教、イスラム教といった厳しい戒律と禁欲の倫理からなる世界的な宗教をその原点とする行動原理主義は、それが自由主義であれ共産主義であれナチズムであれ「未熟な甘え」を拒絶する敵しさを必ず持っている。 自由主義者は、自由を侵害するものに対しては銃を取って戦うとか、自由が得られなければ死を、といった鍛しさがその根底にある事は歴史を見れば明らかである。

17世紀、18世紀の市民革命における幾多の流血を経て自由を勝ち取ったのだからこれは当然である。 共産主義やナチズムほかの行動原理も、又その信奉者に対して、その理想実現の為に「未熟な甘え」とは対極にある厳しい自己犠牲を求めるのであって、それを求めない行動原理主義など存在しないのである。

一見温和なスイスの中立政策と平和主義という行動原理も又、スイスを犯すものに対しては断固武力で反撃し、その為には国民皆兵と定期的な軍事訓練を怠らないという厳しさに裏づけられているのである。 スイスの行動的平和主義は、武器を持たず侵略されてもすぐ降伏すればよいと言う一方で、本当に武力征服される覚悟があるのかというとそれも疑わしい日本の情緒的平和主義とは、大きく異なる。 それは、心のどこかにアメリカの核の傘に入っているし、いざとなったらアメリカが助けてくれるだろう、という「未熟な甘え」が隠れている奴隷的平和主義とは根本から異なるのである。

行動原理の相対化により先進国では、過ってほどの権威をもって「未熟な甘え」を抑制する事を説きづらくなった。 その「豊かさ」とあいまって「ジコチュー人間」が増大している事は確かなのだが、それでもその行動原理主義は、情緒原理主義の日本よりはずっと「未熟な甘え」の氾濫を抑止しているのである。

例えば、外見は日本のコギャルと全く同じ女性達が、多数出現する中国でも、彼女達のほとんどは援助交際には強い拒否反応を示している点で目本のコギャル達とは著しい対照をなしている。

中山治(ナカヤマ オサム)
1947年神奈川県生まれ。 心理学者。 慶応義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。 東大病院、川崎市心身障害センター、静岡県立女子短大、国際基督教大学教育研究所を経て21世紀日本研究所を設立。 日本人の国民性、日本文化論に基づいた研究を重ねるほか教育心理学の知見から教育論および勉強法の本を執筆する。 主な著書に『「ばかし」の心理(創元杜) 『日本人はなぜ多重人格なのか』(洋泉社)、『日本人はなぜナメられるのか』『日本人の璧』(洋泉社・新書)『無節操な日本人』『戦略思考ができない日本人』『誇りを持って戦争から逃げろ!』(ちくま新書)ほか多数。