[ 各国 ]

 こんにちは。

イランで日本の大学生が誘拐されてしまいました。彼が誘拐された南部のザヘダンや、ボムあたりは、私も遠い昔、学生時代に訪れたことがあります。イスラム革命の起こる少し前、1974年頃のことでした。海外暮らし・ロングステイの話題ではありませんが、当時のことをいろいろ思い出しました。

 ●大学生が誘拐されたイラン南東部の町ザヘダン

ザヘダンという町は、イランでは貧しく、昔から治安が良くないとされてきた所です。北東へ行くとアフガニスタン、南東へ行くとパキスタンの国境が近いの交通の要所でもあります。

ルート砂漠にあるこの町はその昔Dozdabと呼ばれていました。和訳すると「盗賊の水場」という意味だそうで、昔から「盗賊」や「追い剥ぎ」が多く、治安が良くないとされていました。焼きレンガ作りや、小規模の農業、絨毯(綿)などの手工業以外はこれといって、産業が無いとても貧しい地方ですが、そこへ最近では、アフガニスタンからの難民が逃込んで暮らしているそうです。

大学生は、パキスタンから陸路イランに入り、さらに西へ向かっていたようです。ザヘダンから近いバムの町のはずれに、ユネスコの世界文化遺産に指定された要塞都市バム城の遺跡があります。

イランの地方都市を結ぶ幹線道路は、私が初めて訪れた30年前から既に、オイルマネーで舗装され、素晴らしく整っています。イラン西部は、このザヘダン、ボムを経て、西はトルコまで、なだらかな高速道路が続きます。大昔の、シルクロード南道の一部です。

 

 ●イラン人は自分をアラブ系というよりもアジア人だと思っている

私はイランで数多くの素朴で親切な人々に出会いました。はるばる遠方からやってきた若い旅人を、本当に親切にもてなしてくれたのでした。見慣れない日本の若者を見つけると、声をかけてきて食事をご馳走してくれたり、家に泊めてくれたり、町の中をあちこち案内してくれたりしました。

どこの町でもそうでした。「どこから来たのか、何してるのか、何人か、これからどこへ向かうのか、、、」毎回会う人ごとに、同じ質問責めに合います。そして、「世の中、皆がみんな、良い人とは限らないからね」別れ際には、道中気を抜かないように、忠告するのでした。

 

●陸路の移動は早朝が鉄則

移動は出来るだけ早朝から昼ごろまで、というのが当時の旅の鉄則でした。日中は40-50度に達するほど暑くなるし、一方夜間は寒く、なんと言っても盗賊が出るかもしれないからです。

「この道をずっと東へ行けば、アジアの東の端が日本だ。我々イランはアジアの西の端だ。お互いアジアの両端に位置するのだから仲良くしなくてはならない。」私は、こんな意味の言葉を多くの人から当時聞きました。確かにこの幹線道路は大昔のシルクロード(南道)ですから、ひたすら東に行けば日本にたどりつく訳で、リアルにそれを感じたことを今でも覚えています。

最近イランを陸路で横断した人の話では、旅の鉄則も、素朴な人々も、今も変わらないようです。だとすると、あの大学生も、きっと無事に解放されるだろうと楽天的に信じています。

ではでは、

理想郷を探しに行こう

発行人: 深沢 公太郎 

メール: kf@richretire.com