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[ アーバン短歌と散文写真 ]

★「アーバン短歌」を読んでいただいて有り難うございます。魑魅魍魎の徘徊する街、歴史が堆積する街、物心が錯綜する街を解読。≪都市生活者≫に癒しの言葉を贈るブログです。
時々短歌論、時々都市論。
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   刻まれた 血気盛んな 物故者の 虚しき昭和の 青春群像 

 過ぎ去った 昭和の穴に 仏が一つ その死にざまを 誰が悲しむ

   極道の 死んだ骸は 仏さん 一発弾かれ 地獄へよろめく

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 ヤクザ映画のジャンルを大きく三つに分類しますと、国定忠治や清水次郎長が主人公として登場する江戸時代の街道筋を舞台とする≪股旅物≫。高倉健や藤純子や鶴田浩二が出演する明治、大正、昭和初期の時代背景を舞台にした≪仁侠映画≫。そして、敗戦まもない日本の焼け跡と闇市と占領軍の時代から昭和三十年代の日本の経済成長を舞台とした≪実録もの≫などがあります。『やくざ映画とその時代』(1998年刊、ちくま新書)によれば、…股旅物と無国籍アクションを除く作品群で、主人公をアウトローに設定した映画を第一義的に≪やくざ映画≫と位置づけたいと思う。時代は昭和三十年代後半から昭和四十年代後半にかけての約十年間。この東京オリンピック前夜から七十年安保の終焉に至る時代こそが、日本映画の(邦画)にとっての最後の黄金時代だったのだ…と、書いてます。

 以前、このブログで池上本門寺にある力道山のお墓を紹介したことがあります。(このブログ内で、「池上本門寺」を検索してください)。私も時々、仕事の休みの時に散歩がてら墓地を散策しています。恐らく、「昭和」という時代性を触れずに池上本門寺を語れず、池上本門寺を抜きにして昭和を語れない気がします。と同時に、池上本門寺を語るときに、やはり「ヤクザ」について語らない訳には行かないでしょう。力道山の墓の傍らには児玉誉士夫の揮毫による石碑が聳えてます。戦後右翼の大物、フィクサーである児玉誉士夫もここに眠っています。さらに幸田露伴の墓石のある五重塔の方向へ歩くと、左手やや奥まった場所に町井家の墓石があり、観音像と共に建ってるのが遠くに見えます。日本プロレス協会役員であり、力道山と親交が深かった町井久之もここに眠っています。(写真は墓地内の遊歩道から撮った写真)。墓石の傍らには、彼が組織した東亜友愛事業組合の物故者氏名と、東声会の物故者氏名が並んだ二枚の墓碑がひっそりと建っています。物故者氏名を見ると二十代、三十代の若さで亡くなった組員の方々も多いです。この中に花形敬を刺殺したものも刻まれているのだろうか…、などと想像し、「あー、昭和という時代の青春群像なのか…」と思いを馳せ、彼らを巡る昭和史が私の脳裏に去来しました。敗戦後の昭和という時代を舞台に、ヤクザという組織を背景に、力道山、町井久之、児玉誉士夫、安藤昇、花形敬たちが、絡み合い敵対し、激流の中で一線でつながります。

 私たち一見平和で、安穏な日常生活を送っている者には、「やくざ」とは非日常的で剣呑な世界のように思われ、常識の埒外に置きますが、昭和史をほんの少し溯るだけで、紙一枚隔てたほどの隣り合わせの世界であることに唖然と致します。高橋敏氏は、『博徒の幕末維新』(ちくま新書2004年刊行)の冒頭で、ペリーの率いる黒船が来襲する幕末、激動の真っ只中の嘉永六年に伊豆七島から流刑となって流されていた、講談でお馴染みの「吃安」こと、清水次郎長の宿敵、竹井安五郎が島抜けする顛末を追求しています。博徒、侠客などのアウトローが活躍する「稗史」が最も盛んな全盛期を、幕末維新であると言っています。昭和史もまた明治維新と同じ位に、日本の歴史がひっくり返り、価値観が一転した時代でした。

 町井久之の人と成りを大雑把に洗っておきましょう。時代は敗戦後間もない混乱の昭和20年、10月15日、東京・日比谷公会堂で在日朝鮮人連盟(後日には「朝鮮総連」)が結成され、全国各地から4000人の賛同者が集まりました。在日朝鮮人連盟の左翼化に反対した在日の韓国人朝鮮人青年が集まり、「朝鮮建国促進青年同盟」を結成して、町井久之は、その東京本部副委員長となりました。昭和20年代に、「中央興行社」を基盤に愚連隊町井一家を組織する。昭和32年彼は、東京・銀座で、「東洋の声に耳を傾ける」と言う理念のもとに、「東声会」を結成しました。その後、東声会は、東京、横浜、藤沢、平塚、千葉、川口、高崎などに勢力を拡大、構成員は1600人と膨れ上がりました。 

 昭和37年、右翼活動家の児玉誉士夫によって、「一朝有事に備えて、全国博徒の親睦と大同団結のもとに、反共の防波堤となる強固な組織を作る」という趣旨の「東亜同友会」の構想が掲げられ、錦政会(後の稲川会)・稲川裕芳(後の稲川聖城)会長、北星会・岡村吾一会長、町井久之らに根回しを始めました。児玉誉士夫の画策の裏には、勿論、共産主義を封じ込めようとするアメリカの政治的策動がありました。

 敗戦後の町井久之は「東声会」を立ち上げる一方で、プロレス興行に乗り出します。力道山や右翼の大物、児玉誉志夫の名前も登場する東声会の動乱期の町井久之を映画化した≪実録東声会初代町井久之暗黒の首領≫、≪実録東声会完結編≫などは、ヤクザ映画の中では≪実録もの≫に入るでしょう。

 そんな時代背景のもと、昭和38年「花形敬刺殺事件」が発生しました。 ここで、安藤組と花形敬について少し触れておかなくてはならないでしょう。 安藤組の成立事情については、「渋谷物語」が映画化されています。特攻隊の生き残りとして、敗戦直後の東京に復員し、混沌の渋谷を自らの生きる場として選んだ安藤昇(村上弘明が演じる)は、命知らずの特攻精神であらゆる既存の暴力組織をねじ伏せ、新宿では名の知れたヤクザにのし上がります。やがて渋谷に進出、この地で君臨しました。戦後の混乱期、やはり巨大組織、東興業(安藤組)を発足させます。やがて500人以上の組員を率いるヤクザ組織へと上り詰めます。安藤組の幹部で、極道の中でも最も喧嘩の強いヤクザと伝説の残っている花形敬がいました。本田靖春の原作を元に映画化した≪疵≫(東映配給)があります。

 昭和30年に花形敬と力道山が一触即発の出会いをするエピソードが残されています。渋谷宇田川町にキャバレー「純情」がオープンした時、安藤組に挨拶がなかったことから、花形敬が「純情」に赴き、マネージャーを脅すと、店内から用心棒の力道山が現れました。花形敬と力道山は睨み合い、力道山が折れて店内に消えました。花形敬は店内に入ると、プロレスラーたちのテーブルをひっくり返し、「力道山と翌日3時に銀座の資生堂で話し合いたい」と云う旨を伝えて引き上げました。翌日、力道山は資生堂に現れなかったと云います。花形敬から報告を受けた安藤昇は、力道山襲撃を計画、安藤組組員が力道山の自宅近くに待機していたが、力道山は帰宅せず、その後、元横綱でプロレスラーの東富士(彼の墓石も、確か池上本門寺にあったと思います)の仲介で、安藤組と力道山は和解します。

 本田靖春氏の『疵、花形敬とその時代』(文春文庫)には、花形敬刺殺事件を伝える読売新聞朝刊の記事を本の冒頭に
引用に、さらに巻末には、花形敬が刺殺される経緯を次のように書いています。…稲川一家が勢力を拡張する一方、町井一家も渋谷への浸透ぶりを目立たせていた。そうした中で、安藤組の一人が、町井一家の一人が、若い衆といさかいを起こし、相手を練兵場の跡の空き地へ連れ出して、刃物で顔と腸をめった斬りにした。やられた側の町井一家は当然、報復しなければならない。その場合、つけ狙われるのは、安藤組を現に代表する花形である。花形は難を避けるため、渋谷を引き払って、二子多摩川の橋を渡りきった先のアパートの一室にこっそり居を移した…、と。ホームページその他の資料を参考にやや詳しく刺されたときの状況をまとめてみました。

 昭和38年9月27午後10時15分、神奈川県川崎市二子56の料亭「仙寅」前の路上で、安藤組幹部で東会会長、安栄商事社長の花形敬(33才)が、若い男と喧嘩になり、右わき 腹を刺され死去した。犯人を取り押さえようと近くにいたデパートの男性店員(25才)と高校生は100メートル追いかけたが、東声会の刺客2人は、約150メートル離れた多摩川土手沿いの道路に待たせてあった黒塗りの乗用車に乗り込んで逃走しました。逃げる際に、乗用車から拳銃を発射しながら、二子橋方面に消えた。店員は車の中からピストルで左足を撃たれ、目撃者の1人が、腹部貫通の銃弾を受け、重体となって、近くの溝ノ口病院に搬送されました。9月30日午後10時30分、東声会会員の山崎(31)が出頭、山崎は店員を花形の子分と思い、ピストルを撃ったという。10月1日午後6時30分には、東声会の小倉(25才)が自首した。さらに10月9日には東声会の竹本(23才)が花形刺殺で逮捕され、10月10日には19歳少年も逮捕されました。

 襲撃直後、花形敬の妻から安藤組に電話があり、花形敬が刺殺されたことが伝えられた。安藤組幹部の佐藤昭二たちが川崎市高津警察署と病院に向かいました。9月28日午前2時すぎ、高橋岩太郎は、渋谷代官山の自宅で、佐藤昭二からの電話を受け、花形敬が刺殺されたことを知った。高橋岩太郎は青山の安藤組事務所に向い、報復に走ろうとする安藤組組員を抑えた。花形敬の遺体は家族に引き取られ、東京都世田谷区経堂の実家で通夜が営まれた。

 「素手喧嘩(ステゴロ)」と呼ばれ、喧嘩に武器は一切持たないと言う英雄伝説があります。「昭和」という時代を疾駆した彼は、東京都世田谷区の曹洞宗の寺院、「豪徳寺」に眠っています。私も一度参拝に伺いたいです。

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