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― もっと知りたい京都 ―
京都の名所・見所をあなたと一緒に !
日夏 もえ子
72号 2008.1.2
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<< 和気氏の氏寺であり、霊験ただよう山岳寺院の素晴しさがありました! >>
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真言宗別格本山 開基→ 和気清麻呂 山号→高雄山
京都市右京区梅ヶ畑高雄町 075-861-1769
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☆ 目次
1 山岳仏教寺院
2.和気清麻呂公
3.伝教大師最澄・弘法大師空海
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私は2007年12月10日の午前10時ごろ、京都市街地から北西の方角にあり、紅葉の名所としても知られる高雄山の山懐にある真言宗の古刹・神護寺を訪れました。
清滝川の清流に架かる美しい朱塗りのたかお橋を渡り、私は三百数十段の石段をふうふう云いながら登ると、右側に弘法大師の硯石と云われる大きな岩があり、さらに木立の間から北側の山々やホテルなどを眺めることが出来ました。
ひと息いれて、さらに五十段以上はあると思われる神護寺の石段を登ると山岳仏教寺院を象徴する様な歴史をただよわす山門(仁王門)に辿り着きました。
山門は1629年(寛永6)の再建と伝えられ、両脇に藤原時代の持国天・増長天を護法として安置していました。
寺額は後陽成天皇皇子覚深法親王筆で、山門の長押の上部彫刻には龍の背中と顔がいくつも刻まれていたように思えました。
木造建築を火災から守るため水の王様の龍を彫ったのでしょうね。
さて山門を入ると、桓武天皇と共に平安京を造られた和気清麻呂公霊廟がありました。
(清麻呂公は平安遷都5年後の799年(延暦18)67歳にて没)
和気清麻呂公霊廟を過ぎると北側石段上に江戸時代初期の元和年間に他の諸堂とともに造営されたと伝わる鐘楼を仰ぎ見ることが出来ました。
銅鐘は高さ148センチメートル・口径80センチメートルで、4面に書かれた銘文の序詞は文学博士の橘広相(ひろみ)、撰銘は菅原道真の父・菅原是善(これよし)、書は藤原敏行で当代一流の人物により「三絶の鐘」(国宝 875年貞観17建立)と云われ、日本三名鐘の一つに数えられているそうです。
(形の平等院・音色の三井寺・銘の神護寺)
【参照:京都 15.交通公社の新日本ガイド】
ここで、神護寺の歴史に触れますね。
和気清麻呂公は、781年(天応元)に「国家安泰」を祈願して河内に神願寺を、同じ頃に山城に私寺として高雄山寺を建立したと伝えられ、高雄山寺は愛宕五寺(愛宕五坊)の一つと云われています。
【参照:高雄山 神護寺】
802年(延暦21)正月に清麻呂の子、弘世(ひろよ)・真綱(まづな)・仲世(なかよ)は伯母の広虫(父・清麻呂の姉)の三周忌法事供養のため、高雄山寺に最澄を招き天台法華経の講演依頼をして、この時の数ヵ月に及ぶ最澄の講演が天台宗の教理的独立と云われています。
その後間もなく、最澄は還学生(げんがくしょう・留学生)として唐への留学を認められ、2年後の804年5月に出発して翌年帰朝するまでの間に、天台宗学・大乗戒のみならず、密教の灌頂(かんじょう)・禅宗も伝授されたと伝えられ、805年の9月に再び高雄山寺に入った最澄は、わが国最初の灌頂壇を開いたと云われます。
(灌頂→密教儀式の一種で、血縁・伝法の時や仏弟子が一定の地位に就くときに行い、元来はインドで国王即位の時に頭頂に水を注ぐ儀式と云われます。日本では最澄が神護寺で行ったのが最初と云われています)【参照:「日本史事典」旺文社】
809年(大同4)には唐から帰朝(806)した空海が高雄山寺に入山。
最澄と空海が交した書簡の「風信帖」(国宝)によっても2人の交流は知られています。
空海は唐の密教第七祖である恵果阿闍梨(けいかあじゃり)に師事し胎蔵灌頂・金剛界血縁灌頂・伝法灌頂と真言密教の真髄を伝授された他、経典や曼荼羅なども授かったと云われます。
空海は812年(弘仁3)11月15日に高雄山寺にて金剛界血縁灌頂を戒壇し、入壇者には最澄も含まれ、また12月14日には胎蔵灌頂を戒壇しましたが、入壇者は最澄やその弟子の円澄や光定他190名と云われています(空海筆灌頂歴名〔国宝〕より)
(最澄の灌頂は空海に比べ不備であったとされ、法流の違いもあって空海に弟子の礼をとったと云われています)【 参照: 高雄山 神護寺】
両大師の親交は、高雄山を中心に10年ほど続いたとも伝えられています。
弘法大師空海は14年間高雄山で住持を務めて真言宗の基礎を築かれたと云われます。
824年(天長元)には和気真綱・仲世の要請により清麻呂公が河内国(大阪府)に建立した神願寺を高雄山に移し、高雄山と合併して「神護国祚真言寺」(神護寺)と改め、すべてを空海に託したと伝えられています。
空海没後空海の弟子の真済(しんぜい)が宝塔を建て、貞観時代の真言密教彫刻の代表作と云われる五大虚空蔵菩薩坐像(国宝 五体 836年頃の制作)を安置したと伝えられています。
その後、2度の火災に遭い神護寺は荒廃していたそうですが平安末期の1184年(寿永3)に文覚上人(生没年不詳)が、後白河法皇の勅許を得て、また源頼朝の援助もあり復興の途につき、弟子の上覚(じょうかく)、明恵(みょうえ)に引き継がれ半世紀余りを経て堂塔が整ったと云われます。
(文覚上人→俗名 遠藤盛遠といい、鳥羽天皇の皇女・上西門院の北面の武士であったが源渡の妻、袈裟に横恋慕して誤って袈裟を殺したため出家。神護寺の復興に尽したが後白河法皇に疎んじられ伊豆に流され、源頼朝の知遇を得たと云われます。1199年(正治元)3月から12月まで佐渡に配流、1205年〔元久2〕後鳥羽上皇により対馬に配流され入寂)
【年月は高雄山 神護寺 を参照させていただきました】
現在の諸堂は大師堂を除き、応仁の乱で焼失して江戸時代以後に再建されたと云うことです。
さて、鐘楼を過ぎると間もなく金堂への幅の広い急な石段があり、見上げると彼方に立派な金堂の入母屋造瓦葺の屋根と軒が望めました。
私は一歩一歩石段を登って行きましたが、広々とした敷地に昭和の代表的仏殿とされる金堂が実に堂々と風格を醸して南面して立っていました。
(桁行き12間・梁間10間・乱石積みの基壇に建つ。1935年・昭和10大阪の豪商・山口玄洞氏が寄進)
金堂奥の中央厨子内には平安前期の貞観時代(859-76)彫刻の傑作と云われる檜の一木で彫られた薬師如来立像(国宝)がふくよか且つ端正で確固たる意志を持った表情でおられました。
両脇に日光菩薩・月光菩薩(重文)像を安置。
(薬師如来立像は神護寺の前身である河内の神願寺開創時の本尊とも云われ、神護寺の最も大切な見所となっています)
薬師三尊像の周囲には、兜・鎧を身につけ武器を持って如来・菩薩・明王たちの邪魔をする仏敵に対し構える十二神将像が、また四方には邪気を踏みつけて四方を護る四天王像が安置されていました。
(四天王: 持国天→仏界の東方を守る 増長天→南方 広目天→西方 多聞天→北方)
なかなか迫力がありましたよ。
金堂の上手に朱塗りの美しい多宝塔がありました。
多宝塔の本尊は、五大虚空蔵菩薩像(国宝)で塔内右手より青色摩尼・赤色蓮華・白色法界・黒色業用・黄色金剛の五体が並んでいるそうです。
金堂の薬師如来立像と同様、貞観時代の真言密教彫刻の代表作と云われます。
(要事前申込み)
【参照:京都 15.交通公社の新日本ガイド】
金堂から地蔵院へ向かう途中に弘法大師空海が灌頂のために掘られたと伝えられるあか井がありました。
私はここから渓谷に向けて素焼きの皿を2枚投げて今年の厄を落としました。
なんとも爽快な気分でした!
それでは、最後に地蔵院の東に建つ空海の住坊であったと伝えられる大師堂(重要文化財)をご紹介いたしますね。
一名納涼坊とも云い、桃山時代(1573-1614)に再建されたと伝えられる入母屋造・杮葺の立派な住宅風の建物で、風雪にも耐えた風格を醸していました。
燈籠の笠は苔が覆っていました。
大師堂の小さな厨子内には、本尊の板彫弘法大師尊像(重要文化財)を安置しているそうですが1302年(正安4)定喜作と云われ鎌倉彫刻の秀作だと言うことです。
私は偉大な伝教大師最澄と弘法大師空海が足跡を記され、また和気氏の氏寺でもあった神護寺の歴史上の重要性と、苦難な文覚上人の神護寺再建に想いを馳せながら神護寺を後にしました。
参考文献: 「高雄山 神護寺」神護寺蔵版
「京都 15」 交通公社の新日本ガイド
写真 : 神護寺山門
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■ 寺宝(国宝)
「伝 源頼朝画像」 藤原隆信画
「伝 平重盛画像」 藤原隆信画
「伝 藤原光能画像」
「高雄曼荼羅」「釈迦如来画像」「山水図六曲屏風」
「文覚四十五箇条起請文」(神護寺復興のため修行・寺務を後白河法皇に提出)
「灌頂歴名」(国宝)空海が高雄山寺で灌頂会を開いたとき、授者の名前を書き留めた控えで、伝教大師最澄の名前などがあり宗教史の貴重な資料と云われます。
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■編集後記
明けましておめでとうございます。
自宅マンションから西に雪をかぶった
美しい富士山を望むことが出来ました!
昨年12月の京都観光文化検定試験1級は、見事に惨敗。
今年は昨年の検定問題を振り返り、今後受験する皆様と共に
少し勉強してまいりたいと思っています。
1. 建礼門院が出家した東山の寺院は
2. 親鸞の浄土真宗教義の著書は
3. 花背にあり、本尊が十一面千手観音坐像である寺院は
(1-3正解ならすごいです! 私は3を間違いました)
解答1.長楽寺 2.教行信証 3.峰定寺(ぶじょうじ)
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・ 編集・発行 日夏 もえ子
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http://www.k5.dion.ne.jp/~moeko/ ・HP「越境の映画監督・日夏英太郎」
http://www.moeko2007.com/ ・HP「京都歴史散歩」
moeko_sachiko2000@yahoo.co.jp 『もっと知りたい京都』を読んで
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