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― もっと知りたい京都 ―
京都の名所・見所をあなたと一緒に !
日夏 もえ子
74号 2008.01.30
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<<< 狩野永納の襖絵を堪能いたしました ! >>>
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真言宗善通寺派大本山 開基→仁海 山号→ 牛皮山
京都市山科区小野御霊町35 075-571-0025
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☆ 目次
1. 小野小町
2. 隨心院の歴史
3. 深草少将の百夜通(ももよがよい)
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私は2007年4月6日の午後1時ごろ、醍醐寺拝観後、醍醐寺前を通る奈良街道を北に向かい小野の里にある小野小町ゆかりの隨心院を訪れました。
この辺りは小野氏の一族が勢力を持っていた所と云われ、隨心院は小野小町屋敷跡とも伝えられています。
日本史事典(旺文社)によると小野小町の伝記は不詳となっています。
寺伝によると小町は平安初期の漢詩文作者として著名な小野篁(たかむら802-52)の孫にあたり、父親は出羽国郡司を勤めた小野良実とされ、書道の三蹟の一人の小野道風(894-966)は従兄とも云われています。
(三蹟→小野道風・藤原佐理・藤原行成で前代の三筆(嵯峨天皇・空海・橘逸成〔はやなり〕)の唐様に対して和様と呼ばれ草紙や大和絵屏風などにも書かれ、調度品としても尊重されたそうです)
【参照: 詳説日本史 山川出版社】
小野小町は、仁明・門徳両朝の後宮に仕え、更衣として仁明天皇あるいは門徳天皇の寵愛を受けたとも云われていますが事実は分っていません。
(更衣―帝のお召し替え・お食事の世話など天皇日常の生活全般を見て、その親しさから愛情も湧き妃の列に加えられたのが起源と云われます。ex.「源氏物語」の主人公・光源氏の母上の“桐壺の更衣')
朝廷を退いてから、小野の地で余生を送ったとも伝えられます。
小野小町は六歌仙・三十六歌仙の一人として著名で、作風は情熱的・技巧的・優艶であると云われ、美貌の歌人として伝説化され観阿弥・世阿弥の能の演目(関寺小町・通小町・卒塔婆小町)・御伽草子・歌舞伎の題材となったようです。
家集に「小町集」1巻があり、古今集・後撰集・新古今集などにも採用されているそうです。
現存のものは恋歌が多く、特に夢の歌が多いと云われます。
思ひつつ ぬればや人の見えつらむ
夢と知りせば 覚めざらましを
古今集 恋二
( 思い思いして寝たので、あの方が夢に現れたのであろうか。
あれが夢であると知ったら、さめずにいるのだったのに)
隨心院は991年(正暦2)に、弘法大師より八代目の弟子にあたる仁海僧正が一条天皇よりこの地を賜り、牛皮曼荼羅を祀って牛皮曼荼羅寺を創始したのに始まると云われています。
(仁海僧正は、亡き母が牛に生まれ変わった夢を見て、その牛を鳥羽の辺に探し求めて飼育したが死んでしまい、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を描き本尊としたと云われ、また牛の尾を山科東方にある音羽山の支峰に埋めて菩提を弔ったとも伝えられています〔牛尾山伝承〕
仁海僧正は宮中の帰依により、勅命として“神泉苑”雨乞いの法を9度修せられた
時、霊験あって雨をもたらしたので“雨僧正”と称せられたそうです。
【参照: 隨心院門跡 小野小町略縁起】
その後、五世増俊(ぞうしゅん)の時に曼荼羅寺の塔頭として隨心院を建立し、七世の親厳(しんごん)が1229年(寛喜元) に後堀川天皇より門跡の宣旨を賜わったと云われます。【参照: 隨心院門跡 小野小町略縁起】
隨心院は承久(1221年)・応仁の乱(1467年)で七堂伽藍は灰となってしまったそうですが、1599年(慶長4)に本堂が再建され、九条・二条両宮家より門跡が入山され寄進再建されたと伝えられています。
【参照: 隨心院門跡 小野小町略縁起】
それでは、隨心院の境内を巡ってみましょう。
総門(1753年・二条家よりの移築)を入ると、右手に遅咲きの薄紅色のはねずの梅でも著名な小野梅園(約230本)が開けていました。
3月の最終土・日曜日には梅園で「百夜通い」の話で知られる小野小町と深草少将の物語を主題とした「はねず踊り」(地元小学生が小野小町と深草少将に扮して踊る)が催されるそうです。
小町わらべうた はねず踊り 【参照:小野小町と隨心院 隨心院】
1. 少将さまがござる 深草からでござる
毎夜よさりに 通うてござる
かやの木の実で 九つ十と
日かずかぞえて ちょいとかいまみりゃ
今日もてくてく よー おかよいじゃ
(悲しい恋の物語でなく、コミカルに演出されているそうです)
さて、梅園の東側には小野小町が朝夕の化粧にこの水を使ったと云われる「小町化粧井戸」がありました。
梅園の北には、立派な薬医門が建ち、その奥に大玄関があり、さらに奥に表書院・能の間があり、一番奥に本堂が建っていました。
薬医門・大玄関・表書院は九条家ゆかりの天真院尼の寄進により、何れも1624-31年(寛永年間)に建立されたと伝えられています。
伽藍の周りは茶色の壁に水平に白色の5本線が入った気品ある築地門がめぐらされ、背景には山科の山々が浮んでいました。
のどかで、とても美しい光景でした。
私は薬医門の西にある拝観口をくぐり、庫裡(1753年(宝暦3に二条家から移築された政所) から諸堂を見学させていただきました。
私は、まず庫裡から大玄関と能の間の中間にある表書院に渡りましたが、襖絵には、狩野永納の雄渾なタッチの「四季花鳥図」・「四愛図」が描かれ、私はしばらく見惚れてしまいました。
(狩野永納(1631-97) →父の狩野山雪の残した画論をまとめた「本朝画史」は著名です。
狩野永徳の弟子の狩野山楽が京都に残り「京狩野」と呼ばれましたが、京狩野は
山楽→山雪(山楽の養子)→永納(山雪の長男)へと続いていきました)
さて1599年(慶長4 桃山時代)再建の本堂は、雅な寝殿造りで天井は立派な格天井になっていました。
本尊の如意輪観音菩薩座像(鎌倉時代)や定朝作の阿弥陀如来座像(藤原時代・重文)・快慶作の金剛薩埵座像(鎌倉時代・重文)・伝小野小町作の小野小町文張地蔵尊像などを安置していました。
(小野小町文張地蔵尊像→多くの貴公子から寄せられた恋文を内張りにして造った張り子のお地蔵様で、罪障消滅を願うと共に有縁の人々の菩提を祈ったと云われます)
【参照:小野小町と隨心院 隨心院】
本堂と表書院から眺める庭園は、淡いグリーン色の池の水面に緑の木々が美しく繁り、大杉苔が土を一面に覆い、丸く刈られたピンク色のつつじの植え込みなども興趣を添え、特に薄桃色の花をつけた石楠花(しゃくなげ)は、優美で華やかさを醸していました。
表書院と本堂の間の部屋に小町晩年の姿を写したと云われる(ちょっと恐ろしい老婆の形相)「卒塔婆小町座像」(鎌倉時代・恵心僧都作)が安置されていました(小町怨霊説?)。
奥書院は江戸時代初期の建造といわれ、狩野派筆による奥の間・控えの間に「舞楽図」と「節会饗宴の図」が、賢聖の間に「賢聖障子絵」(天正年間作画・漢より唐に至る賢人24名)が描かれ、さらに別間には「竹虎図」・「宮廷人物図」などが見事に描写されていました。
それでは結びに、深草少将“百夜通(ももよがよい)”のお話をしますね。
【 参照:小野小町と隨心院 隨心院】
小町を見初めた少将が「百日の間、私の元へ通ってくれましたなら、貴方の想いのままになります」と小町から云われて、雨の夜も雪の夜も通い続けましたが九十九日目の夜、発病のため降る雪の中、最後の一夜を前にして世を去った」という伝説です。
小町は少将の通いを榧の実(かや)で数え、九十九個の榧の実を糸で繋いで数えていたそうですが、少将の死を悲しんだ小町は、九十九個の榧の実を深草少将百夜通いの小道にも播いたと云われています。
小野小町は、夢でしか逢えなくなった少将を想い「古今和歌集」に多くの夢の歌を残したのだと伝えられています。
小野の里は春につつまれ、あまりにのどかで、「その昔あった深草少将の雪の夜の悲劇は幻であったのでは・・・」と一瞬、私には思えたほどでした。
参照: 「隨心院門跡 小野小町略縁起」隨心院
「小野小町と隨心院」隨心院
「詳説日本史」山川出版社
写真: 「薬医門」
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■ 文塚
本堂裏にあり、深草少将はじめ貴公子たちから小町に寄せられた千束の文を埋めた所と云われます。
■ 榧の大木
文塚の北にあり、深草少将の死を悲しんだ小野小町が榧の実を播いた九十九本のうちの一本だとも伝えられています。
■「古今和歌集」
醍醐天皇の勅命により905年(延喜5)成立(撰者→紀貫之他)
1.読み人知らず時代の歌 2.六歌仙 3. 撰者時代の歌
・六歌仙(平安前期)
在原業平(なりひら)・僧正遍照(へんじょう)・分屋康秀
・喜撰法師・小野小町・大友黒主
歌風は「万葉集」の素朴さに対して技巧的と云われています。
在原業平(825-80 平城天皇の孫)
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身ひとつは もとの身にして (古今集 恋5)
僧正遍照(816-90 桓武天皇の孫)
天つ風 雲のかよひ路(ぢ) 吹きとぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ (古今集 雑上872)
分屋康秀(生没年不詳)
吹くからに 秋の草木の しをるれば
むべ山風を あらしといふらむ (古今集 秋下249)
喜撰法師(生没年不詳)
わが庵は 都のたつみ しかぞ住む
世をうぢ山と ひとはいふなり (古今集 雑下983)
大友黒主(生没年不詳) 〔 六歌仙の中で唯一小倉百人一首に選ばれていない〕
春雨の ふるは涙か さくら花
ちるを惜しまぬ ひとしなければ (古今集88)
小野小町(生没年不詳)
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに (古今集 春下113)
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■編集後記
隨心院の境内は、実に雅で美しかったですよ♪
それでは京都検定1級の問題で〜す。
4.( )は大江山の鬼退治で有名で、多田源氏の祖・満仲の子で藤原道長に仕えた。
5.平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像を囲む長押上にかけられた( )像は、51体が国宝である。
6.花背にある寺院( )は、本尊の十一面千手観音像や供水所で知られる。
とても難しいですね!
私は5しか出来ませんでした。
解答→ 4. 源頼光 5. 雲中供養菩薩 6. 峰定寺
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・ 編集・発行 日夏 もえ子
http://www.k5.dion.ne.jp/~moeko/profile.html ・ 著者・プロフィール
http://www.k5.dion.ne.jp/~moeko/ ・HP「越境の映画監督・日夏英太郎」
http://www.moeko2007.com/ ・HP「京都歴史散歩」
moeko_sachiko2000@yahoo.co.jp 『もっと知りたい京都』を読んで
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