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― もっと知りたい京都 ―
京都の名所・見所をあなたと一緒に !
日夏 もえ子
75号 2008.2.13
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<<< 樹齢750年のハイビャクシンの枝の広がりは見事でした! >>>
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真言宗山階派 開基→ 醍醐天皇 山号→ 亀甲山
京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6 075-571-0048
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☆ 目次
1.勧修寺形燈籠
2.大石順教尼
3.氷池園
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私は2007年4月6日の午後2時ごろ、隨心院の西にあり水蓮が美しいことでも知られる勧修寺(かじゅうじ)を訪ねました。
参道から山門まで両サイドに白壁の築地塀が続き、勧修寺は門跡寺院の気品と厳かさが漂っていました。
勧修寺は900年(昌泰3)に醍醐天皇(第六十代天皇・在位897-930)が生母・藤原胤子(いんし・宇多天皇女御)の菩提を弔うために、東大寺法相宗の僧・承俊律師(しょうしん)を開山に迎え胤子の祖父の宮道弥益(みやじいやます・宇治郡司)の邸宅址に創建されたと伝えられています。
寺号は、天皇の祖父にあたる藤原高藤(藤原北家、妻は列子〔胤子の母〕)の諡号(しごう)をとって勧修寺としたと云われます。
勧修寺は南北朝時代に後伏見天皇(鎌倉時代後期の第93代天皇・在位1298-1301)の第7皇子の寛胤法親王(15世住持・1317-77)が入寺してから明治維新まで親王が住持する格式高い門跡寺院となったと伝えられています。
勧修寺は広大な敷地に壮麗な伽藍を誇っていたそうですが、応仁の乱(1467-77)で焼け、更に豊臣秀吉の伏見城築城の際の新道建設のため寺域(氷室池南部分)を没収され衰退していましたが、徳川氏と皇室の援助で再興されたと云われています。
それでは、境内を巡ってみましょう。
境内東側に、雅で実に美しい入母屋造・桟瓦葺の宸殿が佇んでいました。
中央長押の上に「明正殿」という扁額が掛けてありました。
宸殿は1697年(元禄10)に明正天皇(第109代、後水尾天皇第二皇女・母徳川和子、在位1629-43 )の生活した御殿を下賜されたものだそうです。
宸殿の後方には「書院」(非公開・重要文化財)があり、後西天皇(第111代、後水尾天皇第八皇子・在位1655-63 )の旧殿 を移したと云われる(明正天皇の旧殿とも)江戸時代初期の典型的な書院造と云われています。
一の間の違い棚は「勧修寺棚」として知られています。
襖絵は土佐光起の作と云われる“竜田ノ紅葉図”や“近江八景図”が描かれているそうです。
書院前庭には樹齢750年と云われる樹高2.2メートルのハイビャクシン(偃柏槙・ひのき科)が地面一面に枝を広げ(約10坪)、その間に水戸光圀公寄進と伝わる大きな笠をかぶった可愛らしい勧修寺形燈籠(雪見燈籠)が、ちょこっと顔を出していました。
この勧修寺形燈籠は、書院前庭のスター的存在と云われます。
燈籠の東隣には、樹齢300年の親・子・孫三代の臥竜の梅があり、現在は三代目が可憐に咲くとのことでした。
光圀公寄進の燈籠の後方には白壁の書院と淡いピンク色の桜、そして緑の山々が望め、私は至福のひとときを味わいました。
さて庭園の西には、霊元天皇(112代、後水尾天皇第十六皇子・在位1663-87)の仮内侍所を下賜されたという本堂があり本尊の千手観音像(醍醐天皇の等身大)を祀っているそうです。
現在の像は室町時代頃の作とも云われています。
【参照: 掲示 「勧修寺」 京都市】
本堂の手前には、「弘法大師像」(四国霊場八十八ヵ所巡り)があり、像の回りに88個の石が敷き詰められていました。
これを踏むことで霊場巡りになるとか・・・。
勧修寺東南に塔頭の「仏光院」があり、大石順教尼さんが1947年(昭和22)に創設した寺院としても知られています。
大石順教尼は、もとは大阪堀江の芸妓でしたが、1905年(明治38)に養父の起こした殺傷事件で16歳のときに両腕を失い、生計のため寄席の見世物に立ったこともあったそうです。
その後、日本画家の山口草平氏と結婚して二児の母となり、自らも筆を口に加えて画家として活躍し、45歳で出家したと云われます。
1936年(昭和11)に、勧修寺境内に身体障害者福祉相談所を開設されたと云われます。
【参照: ウエブサイト 京都市情報館 山科区役所】
境内には吉井勇の順教尼を偲ぶ歌碑が立っていました。
その昔 臙脂(えんじ)を塗りし くちびるに
筆をふくみて 書く文ぞこれ
順教尼師は1968年【昭和43】80歳にて寂。
それでは、ラストに境内西側にある氷室の池(伝平安時代作庭)を中心とした雅な氷池園(京都市指定名勝)をご紹介致しますね。
氷池園(約2万平方メートル)は池泉舟遊式庭園で、氷室の池には大小3つの島が浮び、池面には鯉が泳ぎ、池の周囲をしだれ桜が飾り、さらに牛尾山や小栗栖山(おぐろす)などを背景にして、まことにほのぼのとした景観を醸していました。
氷池園は特に初夏の睡蓮・杜若(かきつばた)・花菖蒲(しょうぶ)などが美しいことで知られています。
1787年刊行の「捨遺都名所図会」によると、“氷室池十五勝”が描かれていたそうです。
当時の翠微滝(すいびたき)は枯滝となり、中島の数も減ったそうですが、新たに観音堂(大悲閣)が1935年(昭和10)に築造されたと伝えられています。
【 参照: 掲示 京都市】
平安時代には、毎年1月2日にこの池に張る氷を宮中に献上、その氷の厚さによりその年の五穀豊凶を占ったと云われています。
私は勧修寺から望む穏やかな小栗栖山を眺めながら、あそこが明智光秀が山崎の合戦(1582・天正10)で豊臣秀吉に敗れ、居城・坂本城めざして逃げる途中に竹槍で刺され、最期を遂げた場所なんだな・・・と一瞬思いました。
とは云え、勧修寺から見る光景は穏やかな平和そのものだったのであります。
参考文献: ウエブサイト「京都市情報館」山科区役所
掲示 「勧修寺」 京都市
「日本の故郷 京都の見所」大橋昭三
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■ 国宝刺繍釈迦如来説法図(=勧修寺繍帳)
もとは勧修寺に伝わったものだそうですが現在は奈良国立博物館の所蔵。
重要文化財
蓮花蒔絵経筥(鎌倉時代)
■ 1.藤原胤子稜
名神高速道路(勧修寺書院北側)沿い西1キロほどの場所に藤原胤子稜が佇んでいるそうです。
■ 2.藤原定方の墓 (873?-932年・藤原高藤の次男 胤子の弟)
勧修寺の南の鍋岡山の西麓にあります。
山頂には高藤の墓碑もあるそうです。
【上記1.2. 参照 ウエブサイト「京都市情報館」 山科区役所】
定方は従弟の藤原兼輔とともに「醍醐朝歌壇」の中心的な存在で、紀貫之・在原業平・壬生忠岑・伊勢などを世に送り出したとも伝えられています。
三条右大臣(藤原定方) 百人一首
名にし負はば 逢坂山の さねかづら
人に知られで くるよしもかな
(後撰集)恋3(700)
【参照 ウエブサイト「京都市情報館」 山科区役所】
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■編集後記
勧修寺は、春ののどかさに包まれていましたよ♪
先日、昨年受けた「京都観光文化検定試験1級」結果が郵送されてきました。
受験者数 1125名 合格者数 91名 合格率 8.1パーセント
やはり、かなりの難関で、私も不合格でした。
特に伝統工芸(焼物・印章・人形・染物)や京菓子・京野菜などが出来なかったです。
今年はこれらを少し勉強したいと思います。
それでは、19年度1級試験の問題に入りま〜す(少し文章を替えてあります)。
1.(7) 嵯峨野の寺院( )は、藤原定家の歌「忍ばれむ物ともなしに小倉山軒端の松ぞなれてひさしき」にちなんで軒端寺とも呼ばれる。
(8) 高山寺の国宝の建築物( )は、明恵の庵室であったと伝えられ、後鳥羽上皇の学問所を下賜された鎌倉時代初期のすぐれた建物である。
(9)親鸞の浄土真宗の教理は、一度でも心から念仏を唱えれば極楽往生できるというもので、その著書( )の自筆本は東本願寺に「坂東本」として伝わり、国宝に指定されている。
(10)建礼門院が出家したと伝えられる東山の寺院( )には、時宗の開祖の一遍上人をはじめ歴代の遊行上人の木造が安置されている。
私は8が出来ませんでした。
解答→ 7.常寂光寺 8.石水院 9.教行信証 10.長楽寺
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安らかな気持で過ごしています♪
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・ 編集・発行 日夏 もえ子
http://www.k5.dion.ne.jp/~moeko/profile.html ・ 著者・プロフィール
http://www.k5.dion.ne.jp/~moeko/ ・HP「越境の映画監督・日夏英太郎」
http://www.moeko2007.com/ ・HP「京都歴史散歩」
moeko_sachiko2000@yahoo.co.jp 『もっと知りたい京都』を読んで
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