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― もっと知りたい京都 ―
京都の名所・見所をあなたと一緒に !
日夏 もえ子
76号 2008.3.5
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<<< 滝口と横笛の悲恋物語 にひたりました ! >>>
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浄土宗 開基→ 良鎮上人 山号→小倉山
京都市右京区嵯峨亀山町10-4 075-871-3929
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☆ 目次
1.滝口寺の歴史
2.滝口と横笛
3.平家物語
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私は2006年4月7日の午後2時頃、奥嵯峨の祗王寺の上手にひっそりと佇む滝口寺を訪ねました。
滝口寺は、法然の弟子の念仏房良鎮が鎌倉時代に創建した往生院の子院三宝寺に始まると伝えられています(隣の祗王寺も往生院の子院)。
往生院は念仏道場として栄え、多くの坊があったと云われますが、応仁の乱などの戦乱により衰退したそうで明治維新に廃寺となり祗王寺に続いて再建され、近年に小堂を建て「滝口寺」と改めたと云われます。
滝口寺は「平家物語(1240頃? 作者・信濃前司行長)」維盛(これもり)高野の巻で平重盛の家臣・斎藤滝口時頼と建礼門院の曹司・横笛の悲恋物語が展開された場所でもあります。
平家一門の栄華と没落の哀史を描いた平家物語には嵯峨野を舞台にして、平清盛の寵愛を失った白拍子祗王の出家や、高倉天皇に愛されながらも天皇の義父清盛の怒りをかい渡月橋北畔近くに隠れ住んだ小督局(こごう)などの美しくも悲しい話が挿入されています。
また滝口寺は、平家物語を基にして東京大学在学中に高山樗牛(ちょぎゅう・1871-1902)が執筆した「滝口入道」(1894年明治27・讀賣新聞懸賞小説入選作)でも知られています。
さて、私は情緒的な竹垣根の滝口寺表門をくぐり参道を上って行くと途中に「滝口と横笛問答旧跡 三宝寺 」と記した歌碑が苔で覆われた土の上に立ち、その傍らには、横笛が自分の指を切った血で滝口入道に思いを伝えたと云われる歌石がありました。
私には、横笛が自分の為に時頼に武士を捨てさせたという自責の念にかられ、自分の思いも伝えたいと必死の覚悟で時頼を尋ねてきたのに会ってもらえなかった横笛の悲壮さが滲んでいる場所の様にも思えました。
しばらく参道を上ると、そこには緑の楓に囲まれた中にささやかな本堂が開けていました。
簡素で山寺の趣がありました。
本堂の床の間には鎌倉後期の作と云われ、眼が水晶(玉眼)の滝口入道と横笛の木像が仲良く並んで安置されていました。
私は、本堂の縁に座り、二人の物語に思いを馳せてみました。
横笛は一説には大堰川(おおいがわ)に身投げしたとありますが、ここでは法華寺で尼になったという説を採り上げてみますね。
【参照「滝口と横笛の旧蹟 滝口寺」】
1179年(治承3)清盛の邸宅西八条殿で催された花見の宴(100名ほどが招かれた)たけなわの余興に、白拍子の舞と平維盛の舞に続いて建礼門院の曹司横笛が“春鶯転”を舞い、美しいその姿は公達の注目を集めましたが、23歳の滝口の武士(宮中警護・清涼殿東北の詰所)の時頼は横笛に惹かれて夜毎に恋文を送り続けたと云われます。
しかし、つつましい性格の横笛は殿方の戯れかもしれないと返事をためらっていたそうです。
時頼はこの人こそ我が妻にと思い定め自分の父親に結婚の許しを請いましたが「将来は平家一門に入る身上であるのに、横笛ごときを妻に迎え入れたいとはいかなる了見か」と厳しく反対された為、父に逆らうわけにいかない時頼は横笛への思いを断ち切るために、ここ嵯峨野の往生院で出家して名を滝口入道と改めたとも伝えられています。
横笛は次第に時頼の誠意あふれる文面に心惹かれるようになっていましたが、いつしか恋文が途絶え案じていたころ時頼が武士を捨て出家したことを聞き自責の念にかられ、自分も時頼を慕っていたことを打ち明けたいと、市女笠(いちめがさ)に袿姿(うちきすがた)で都から嵯峨野の往生院を捜し求めて仲秋名月の夜やっと辿り着いたと云われます。
荒れた僧坊から念仏を唱える声が聞こえ、横笛は滝口入道の声に違いないと耳を澄ましてから、玄関で自分の名を告げました。
滝口入道も驚き、胸をときめかして襖の隙間から横笛を見ると、今にも倒れかねそうな弱々しい横笛の姿があったそうです。
しかし滝口入道は仏道に仕える者として、女人をさけ戸をあけなかったと云われます。
横笛は悲しさのあまり、自分の指を切り、その血で石に歌を書きとめました。
山深み 思い入りぬる 柴の戸の
まことの道に 我を導け
往生院の門の下で一夜を泣き明かしながら誠の道に入る決心をした横笛は、叔母のいる奈良の法華寺で尼僧となったと伝えられています。
( 現在、法華寺本堂に紙製の小さな横笛像と横笛堂があると云われます。
また、横笛の市女笠(いちめがさ)に袿姿(うちきすがた)は毎年10月22日に行われる
京都三代祭りの一つ時代祭の平安時代行列でお馴染みですね)
【下記はウエブサイト「大円院」高野山宿坊 を参照】
法華寺で修行中の横笛は、ふとしたことから時頼が高野山で修行していることを知りました。
時頼への想いを捨てることが出来ない横笛は女人禁制の高野山に一番近い天野の里へ移ったと云われます。
厳冬の高野山から天野の里へ下りた僧がいて、春になり高野山へ戻ったその僧が時頼に天野の里にいる尼僧横笛のことを告げました。
しばらく考えた後、時頼は横笛に歌を送りました。
そるまでは 恨みしかとも 梓弓
まことの道に 入るぞ嬉しき
そるとても 何か恨みむ 梓弓
引きとどむべき 心ならねば
(横笛の歓喜の返しの歌)
(*梓弓→枕言葉「射る・寄る・帰る」)
横笛の身体を病魔がむしばんでいきました。
滝口の歌 高野山 名をだにし知らで
憂きをよそなる 我身なりせば
病の床の横笛の返歌
やよや君 死すれば登る 高野山
恋も菩提の 種とこそなれ
天野の里の人達は若く可憐な横笛の死(19歳)を悼み、庵の傍に横笛の塚を作ったと云われています。
時頼は仏道修行を積み、高野山「大円院」8代住職になられたとか・・・。
なんとも悲しく美しい恋物語でしたね。
私は人はここまで純粋に相手を思慕続けることが出来るのかと考えさせられました。
広縁から私は腰をあげ、滝口寺本堂奥の竹林の中にある滝口入道と平家一門の供養塔を眺めました。
平重盛(1138-79年 小松内大臣)を祀る小松堂もありました。
(平重盛→保元・平治の乱に手柄を立て、累進して内大臣になったが父の清盛より先に病死。「平家物語」では温厚で武勇の人と称賛された) 【参照:日本史事典 旺文社】
平清盛(1118-81)が一門の公卿16人・知行国30余国(日本の全知行国66か国)に及ぶ平氏の全盛期を築き、平家一門でないものは人でないとまで云われる栄華を誇った平氏も1180年から1185年にかけての源平の争乱(治承・寿永の乱)で滅亡いたしました。
清盛の死後、平氏の士気も衰え、1183年の倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い(源義仲vs平繊盛)で源氏に敗れ、都落ちした平氏が再び京都をめざしましたが一の谷の戦い(摂津1184年)で源義経・範頼軍に完敗したといわれます。
さらに源義経の活躍により平氏が瀬戸内海の制圧権を失った1185年の屋島の戦い(讃岐)を経て、1185年の壇の浦の戦い(長門)で源義経が平宗盛率いる平氏軍を撃破、安徳天皇(1178-85父高倉天皇・母清盛の娘建礼門院徳子)は祖母平時子に抱かれ入水して、平氏は滅びたと伝えられています。
結末があまりにも哀しいですね。
「祗園精舎(しょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)のことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夢のごとし」
平家物語は滅びゆく平家への同情が見られ、琵琶法師によって語られた和漢混交の調べは多くの人々の魂を揺さぶったと伝えられています。
参照:「滝口と横笛の旧蹟 滝口寺
ウエブサイト「大円院」高野山宿坊
「日本の故郷 京都の見所」大橋昭三
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■ 新田義貞の首塚と妻の勾当内侍(こうとうないし)の供養塔
滝口寺受付入口を入ったところにあります。
・勾当内侍
後醍醐天皇の女官で、義貞が一目ぼれをして後醍醐天皇より賜ったとも云われています。
勾当内侍は三条河原でさらし首になっている義貞の首を盗んで庵を結んだとも伝えられます。
いくつかの説があり、義貞の戦死を聞いて琵琶湖に投身したとも、また堅田(滋賀県大津市)で義貞の菩提を弔った伝説なども残されているそうです。
「太平記」(1370-71年頃成立?作者小島法師)には義貞が勾当内侍との別れを惜しみ、足利尊氏を追討する時期を逃したとも書かれているそうです。
■『滝口入道』1894年 作者 高山樗牛
横笛は自分の為に時頼に武士を捨てさせた罪の深さを思い往生院の時頼を訪ねるが会ってはもらえない。横笛は一晩中門前に立ちつくしたが叶わず悲嘆のあまり尼になって京都の深草で庵を結ぶ。しかし、まもなく病で亡くなり、たまたま深草を訪れた時頼は横笛の悲しい噂を聞き後世を弔う。その頃平家が西国に没落し時頼は高野山にこもる。
そこへ重盛の子・維盛が尋ねてくるが勇気のない維盛は和歌の浦に身を投じ、時頼も同じ浜辺で切腹してその後を追う。時頼享年26歳。
【参照: 要解 日本文学史辞典 有精堂】
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■編集後記
「もっと知りたい京都」をお読みいただき有難うございます。
琵琶を弾き語る平家物語を聴いたら、さぞ素晴しいでしょうね♪
建礼門院様が出家された祇園の円山公園近くにある
長楽寺さんで5月の連休に催されていましたが、今年はどうでしょうか!
3月は、大原の寂光院などを拝観する予定でいます。
順次掲載してまいりますので、お楽しみに !
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「もっと知りたい京都」をアレンジして 3月1日から
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・ 編集・発行 日夏 もえ子
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http://www.k5.dion.ne.jp/~moeko/ ・HP「越境の映画監督・日夏英太郎」
http://www.moeko2007.com/ ・HP「京都歴史散歩」
moeko_sachiko2000@yahoo.co.jp 『もっと知りたい京都』を読んで
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