[ 旅行 ]

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          ― もっと知りたい京都 ―                 


 

         京都の名所・見所をあなたと一緒に !

                          
                                                    日夏 もえ子
                          80号 2008.4.30

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 <<<栖鳳池に浮ぶ泰平閣の美しさには静かな感動を覚えました! >>>

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        祭神→ 第50代 桓武天皇 第121代 孝明天皇

       
       京都市左京区岡崎西天王町 075-761-0221 
           地下鉄東西線東山駅下車 徒歩約15
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       ☆ 目次 
               1. 琵琶湖疏水           
          2.平安京
         3.平安神宮神苑
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 私は
200844日の午前9時半ごろ、蹴上の宿から神宮道を北に向かい平安神宮を目指しましたが、朱塗りの大鳥居手前の仁王門通り沿いの琵琶湖疏水に架かる慶流橋から疏水と疏水沿いの桜並木のあまりにもマッチした美しい景観を眺め(岡崎疏水)、涙が出るような感動を覚えました。

 

 やがて、疏水を桜の季節だけ行き交う「十石船」が姿をみせました。(岡崎桜回廊十石船めぐり 南禅寺舟溜りから夷川ダム往復約3キロ運行 3/29-5/6)

 

 とても風流でした。

 

 私は、まるで平安時代にタイムスリップしたかのような雅さを感じました。

 

 平安神宮を象徴する高さ約24メートルの朱塗りの大鳥居が立つ参道両側の岡崎公園の一隅には京都市美術館・京都国立近代美術館・京都市伝統産業会館・府立図書館などの洗練された京都近代化の礎となった文化施設がありました。


  (
岡崎公園→1904年〔明治37〕に、国内勧業博覧会の跡地に市の公園として開設。

平安末期の院政時代には六勝寺の伽藍が並んでいたと云われます〔1077-1150建立〕。
白河天皇法勝寺 堀川天皇の尊勝寺 鳥羽天皇の最勝寺 待賢門院璋子(鳥羽天皇中宮)の円勝寺 崇徳天皇の成勝寺(じょうしょうじ) 近衛天皇の延勝寺〕

 

 やがて私は、参道の北にある平安京の応天門を模して作られた二層の朱色の華麗な神門(応天門)をくぐりましたが、白砂の敷かれた庭の前方には、すっきりした美の寝殿造りの大極殿(だいごくでん 外拝殿)が堂々と佇んでいました。

 

 入母屋造の屋根は端正な碧瓦で、棟木(むなぎ)の両端には金色の鴟尾(しび 鳥や魚が尾をあげた形)が置かれていました。

 

 前庭左右には左近の桜・右近の橘が望めました。

 

 拝殿左右の歩廊端には蒼竜楼・白虎楼と呼ばれる美しい楼閣があり、平安京の佇まいが想像できました。

 
 
平安神宮は794(延暦13)に平城京から長岡京を経て平安京に都を定められた桓武天皇(光仁天皇第1皇子 在位781-806)を平安奠都(てんと) 1100年祭を行う時にお祀りし、京都総鎮守の社として京都市民が中心となり1895(明治28)3月15日に建立したと伝えられています。 

  
京都は平安京以来、日本の都として栄えてきましたが、明治政府により1869(明治2)に首都が東京に移転され、産業が衰退し人口も減少していったと云われます。 


  1881
(明治14)に第3代京都府知事になった北垣国道は京都を再び活性化させるため1885(明治18)琵琶湖疏水の建設に着工し、大津市観音寺の始点から三井寺の長等山をトンネルで通り、山科北部から蹴上に出て、蹴上から約35メートルの落差をインクライン(傾斜鉄道)で下り、鴨川・深草・伏見を経て宇治川に至る難工事が5年後の1890(明治23)に完成したと伝えられています。
 (土木技師 田邉朔郎〔たなべさくろう〕、測量 島田道生、その他多くの工事関係者の不屈の努力により)【参照「琵琶湖疏水」京都市上下水道局】

 
 
1891(明治24)蹴上に日本最初の水力発電所が稼動して、蹴上から南禅寺までの傾斜鉄道(インクライン)や時計会社用に活用された他、紡績・機械・タバコなどの新しい工場が生まれ、1895(明治28)には日本で最初の京都電気鉄道伏見線が開通(京都駅〜伏見油掛間6.3)し、京都は活力を取り戻したと云われます。

  さらに1912(明治45)3月には2疏水が建設され、蹴上浄水場も完成して給水を始め、6月には市営電車が開業し、京都は近代都市の道を歩み始めたと伝えられています。(2西郷菊次郎市長 〔西郷隆盛の長男〕) 

 
今も琵琶湖疏水は約145万市民に芳醇な水を運び、暮らしを安定させ潤していると云われます。 

 
平安神宮大鳥居前・京都市美術館・京都国立近代美術館そばを流れる岡崎疏水は、南禅寺水路閣を通り哲学の道沿いを流れる疏水とともに観光名所ともなっています。 

 
平安神宮は、第一琵琶湖疏水が完成し京都が活力を取り戻す頃、また更なる復興を目指して建立され、社殿は往時の平安京の大内裏の朝堂院(正庁)を模して約八分の五に復元したものと伝えられています。
 (大内裏→皇居〔内裏〕や諸官庁を配置し平安京の中央北部にあり宮城ともいいます南北約1400メートル、東西約1200メートルで中央に朝堂院、その東北に内裏、西に豊楽院などがありました。平安京は唐の長安城モデル。参照【日本史事典 旺文社】)  
 
 
また、幕末期に薩摩・長州の倒幕派と江戸幕府の狭間でご苦労の多かった孝明天皇(在位1846-66 明治天皇父)の神霊を皇記2600年に当たる1940(昭和15)1019日に合祀されたと云われます。 

 
1976(昭和54)に本殿が放火により焼失し、1979(昭和54)に再建されたと伝えられています。 

 
ここで、桓武天皇が平城京から長岡京を経て平安京に遷都された理由を考えてみますね。 

 
桓武天皇は774年にわたり帝都としてきた奈良の平城京を廃止して、784(延暦3)に山背国(やましろ のち山城国)長岡(現在の京都府向日(むこう)市付近)に遷都しましたが、その目的は奈良の寺院勢力を排除すること・藤原氏一族などの貴族勢力を抑え、天皇中心の政治を実現しようとしたこと、また蝦夷征伐(えみし)の為に、兵と物資の輸送に山背の国は水陸要衝の地で適っていたから等と云われています。

 (
蝦夷→古代、東北地方に居住した人々。大和政権の進出に抵抗したため、大化の改新以前から征討の対象となった。8世紀から9世紀にかけては蝦夷の反乱を防ぐため、東北地方からは多くの蝦夷が各地に俘囚(ふしゅう)として移された。蝦夷征夷大将軍坂上田村麻呂の軍に帰順したアテルイ、モレ(蝦夷の首長と副将)が清水寺境内にあります) 


 長岡京から
10年で平安京へ移転した理由としては、早良親王の「怨霊(おんりょう)」・たたり問題が挙げられています。


  7859月に桓武天皇の忠実な幕僚で造都の責任者の藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が暗殺されましたが、陰謀の犯人として大伴氏一族と桓武天皇の実弟で皇太子の地位にあった早良親王(さわらしんのう)が捕えられ、早良親王は無実を主張して、淡路島に流される途中に幽閉先の乙訓寺で飲食を拒否して衰弱死したと云われています。

 

 長岡京では788年に桓武天皇夫人の藤原旅子が病死し、翌年には天皇生母高野新笠(にいがさ)、皇后乙牟漏(おとむろ)、夫人の坂上春子が急逝しました。

 

 さらには、毎年のように洪水・大雨・天然痘が発生して、天皇は悩みを深めていたと伝えられています。

 

 これらにより、早良親王の「怨霊」説が巷で唱えられる様になったそうです。

 

 私は20084月に向日市の長岡京跡を尋ねましたが宮城を囲むように小畑川が東から南、そして西へ流れ桂川に注いでいました。

 

 ご案内いただいた地元の方は「小畑川を昔の人は暴れ川と呼んでいて、山から一気に豪雨のときは即洪水になった自然現象により、都を平安京に移したのではないか」と云っておられました。

 

 洪水が疫病に繋がり、多くの人が亡くなり、それを早良親王の怨念・たたりとしたことも考えられますね)

 

 桓武天皇は平安遷都の時に、早良親王らの怨霊を鎮めるために「上御霊神社」「下御霊神社」に創祀したとも伝えられています。

 

 平安京は和気清麻呂が狩にこと寄せて、桓武天皇を東山の山上(将軍塚)にお誘いして、京都盆地を見下ろしながら都の場所にふさわしい旨進言し、天皇は793(延暦12)1月から都の建設に着手されたと云われます。

 

 そして794(延暦13)10月に桓武天皇は新京に移られ、京都盆地は三方が山に囲まれ、帯のように河も流れて、自然の城壁と考え、南方に平地が開けて太陽の光を一杯受ける山背の国を山城の国と定め、都を平安京と呼べと申されたそうです(京都の始まりですね)

(四神相応之地 北(玄武)→船岡山 (朱雀)→小椋池 東(清流)→鴨川 西(白虎)→山陰道)


 さて私は大極殿参拝後、社殿を取り囲む約3万平方メートル(1万坪)の広さの琵琶湖疏水の水を引き入れた池泉回遊式庭園(国の名勝 南・西・中・東の4つの神苑)を観賞いたしました。


 南苑以外は、円山公園山県有朋(明治の軍閥・首相)の別荘・無鄰庵(むりんあん)を始め多くの名庭を手がけ「植治うえじ」と呼ばれた7代目小川治兵衛(1860-1933 の作と云われています。

 (無鄰庵→東山を借景とし、三角形の敷地に琵琶湖疏水の水を引き入れた趣)

 

 まず南苑に入るや否や、春爛漫を想わせる満開の「八重紅枝垂れ桜(やえべにしだれざくら)と鶯の歓迎を受けました。

 

 八重紅枝垂れ桜は、艶やかでありながら、辺りの緑の木々にマッチしたほのぼのとした情景を放っていました。

 

 平安神宮が創建された時に仙台市長より寄贈されたもので、近衛家に伝来した「」を津軽藩主が持ち帰り育て、再び京都に帰ったことから「里帰り桜」とも呼ばれているそうです(参照 掲示「八重紅枝垂れ桜」平安神宮 南神苑)

 

 この八重紅枝垂れ桜は谷崎潤一郎の小説「細雪」にも登場。

 

 源氏物語古今和歌集にみられる双葉葵など約200種の草木があちこちに植えられていました。

 

 また、平安神宮の創建と同じ1895(明治28)平安遷都1100を記念して京都市内に敷設された日本で初めてのチンチン電車の実物も南苑に飾られていましたよ。

 

 次に私は西苑に赴きましたが、中心をなす白虎池には鶴島・亀島が浮び、北側には神苑唯一の滝があり、西南の築山に茶席「澄心亭」が望めました。

 

 池畔には約200種・2千株の花菖蒲があり、花開く初夏の頃の美しさは格別だそうです。

 

 西神苑から本殿の後方にある木々の小路を歩むと、蒼龍池(そうりゅう)をメインとする中苑が開けていました。

 

 蒼龍池の東の大島から北岸にかけて天正年間に豊臣秀吉によって造営された三条大橋と五条大橋の古石柱や梁を池に深く沈めて飛石とした「臥龍橋」(がりゅうきょう)が浮んでいました。(参照 掲示「臥流橋」平安神宮 中神苑)

 

 この橋を渡る人には「龍の背に乗って池に映る空の雲間を舞うかのような気分を味わってほしい」という小川治兵衛の作庭の意図が込められているそうです。

 

 蒼龍池を囲んで杜若(かきつばた)が群生し、水面には睡蓮や河骨(こうぼね)が咲き、初夏に風趣を添えるとのことでした。( 参照 掲示「中神苑」平安神宮 )

 

 東苑の華頂山を背景とした栖鳳池(せいほういけ)に浮ぶ泰平閣(橋殿)の美しさは忘れることが出来ません。

 

 泰平閣から眺めた尚美館(しょうび 貴賓館)では、結婚式があったようで巫女さんの姿も見受けられました。

(東苑は明治末期から大正初期にかけて造られ、泰平閣・尚美館京都御所から移築れたと云われます)

 

 池面には、緑の亀島が浮び、鶴島にはくちばしの黄色い鶴のような鳥が羽を休めていました。

 

 染井吉野や八重紅枝垂れ桜が池畔に彩りを添え、雅な平安朝を彷彿させていました。

  

            

                   *京都薪能 6月1日〜2日(1950年〔昭和25〕より始まる)

                    平安神宮龍尾壇前の能舞台で、観世、金春、金剛、 大蔵各派
          が篝火の中で競演し幽玄の世界
を現出。

 

 

           参照:「平安神宮」パンフ

              「琵琶湖疏水」京都市上下水道局】

               「交通公社の新日本ガイド15.京都」

              「日本史事典」 旺文社


                      写真: 「大極殿」
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時代祭(京都三大祭の一つ) 1022(遷都の日)


 平安神宮の創建時に作られた京都市民による平安神宮維持組織の平安講社が運営。平安神宮で神幸祭を行った後に神幸列が京都御所に入り建礼門前で行在所祭を行った後、正午より明治維新から延暦時代までの歴史風俗を模した行列が市内を巡行。
(2007年度より室町時代風俗も参加)

 

 ex.幕末志士列          桂小五郎 西郷隆盛 坂本龍馬 中岡慎太郎 吉田松陰

  江戸時代婦人列 和宮(孝明天皇の妹・家茂夫人) 吉野太夫 出雲阿国

   平安時代婦人列 巴御前 横笛 清少納言 紫式部 小野小町

   中世(鎌倉)婦人列 静御前 大原女 桂女(桂包という白い布を頭に巻いて桂川の鮎と飴を京の町に売り歩いた)参照 「京都時代祭」京都市観光協会 】

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   編集後記

   「もっと知りたい京都」は、80号「平安神宮」で掲載2年になります♪

   多くの読者の励ましに支えられ、ここまで執筆することが出来ました。

   まことに有難うございました!   

       6月初旬ごろからは、HTML形式かテキスト形式で編集する予定ですので、
   多少趣きが異なると思いますが、どうぞ引き続きご愛読くださいね♪

 

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 ・ 編集・発行 日夏 もえ子
 http://www.k5.dion.ne.jp/~moeko/profile.html ・ 著者・プロフィール

 http://www.k5.dion.ne.jp/~moeko/ ・HP「越境の映画監督・日夏英太郎」

     http://www.moeko2007.com/     ・HP「京都歴史散歩」

  moeko_sachiko2000@yahoo.co.jp 『もっと知りたい京都』を読んで

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