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[ 旅行 ]

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           ― もっと知りたい京都 ―                 


 

         京都の名所・見所をあなたと一緒に !

                          
                                                    日夏 もえ子
                          81号 2008.5.21


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    <<< 30種以上の可憐な椿に見惚れました  ! >>>
                                               
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        臨済宗南禅寺派 開基→ 多利宮  山号→ 円成山(えんじょう)


         左京区鹿ヶ谷御所ノ段町12     075-771-4040

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       ☆ 目次 
               1. 霊鑑寺の歴史             
          2.池泉観賞式庭園
         3.書院
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 私は200844日の午前11時ごろ、哲学の道の中ほどを東に入った椿の寺としても知られる尼門跡寺院の霊鑑寺を訪れました。

 

 哲学の道は若王子神社から銀閣寺までの約2キロの琵琶湖疏水沿いの散策路ですが、美しい桜が疏水をアーチで飾っていました。

 

 霊鑑寺の南には大豊神社があり(末社の狛鼠は著名)、すぐ北には鈴虫・松虫姫(後鳥羽上皇の女官)安楽寺があります。

 

 霊鑑寺は後水尾上皇が皇女多利宮(たりのみや 浄法身院宮宗澄)を開山として1654(承応3)に現在地の南隣の谷川端に創建されたことに始まり、明治維新まで5人の皇女が住持を継承された尼門跡寺院と云われます。

 

 (後水尾天皇→〔在位1611-29 後陽成天皇の皇子〕幕府の朝廷統制策の禁中並公家諸法(きんちゅうならびにくげしょはっと)に不満で紫衣事件をきっかけに1629年に中宮和子(東福門院和子 徳川秀忠の娘)との間に生まれた皇女明正天皇(在位1629-43)に譲位し、以後51年間院政を行ったと云われます。晩年に修学院離宮を造営)


 霊鑑寺は貞享年間(1684-88)に後西天皇(在位1655-63 後水尾天皇第8皇子)の皇女・普賢院宮宗栄が後西御所の御休息所・御番所(1675年創建)を賜って、現在地に書院・玄関として移建されたと伝えられています。

 

 もと谷川端にあったので谷の御所、あるいは現在の地名から鹿ケ谷比丘尼御所(びくに)とも呼ばれているそうです。

 
創建当時は天台宗でしたが、まもなく臨済宗南禅寺派に改宗したと云われます。

 

 霊鑑寺は非公開寺院ですが、今日は春の特別公開日にあたり(春秋公開)、私はいそいそと参道の石段を上りました。

 

 切妻造・本瓦葺の表門(京都市指定文化財)を入ると、すぐ左手に後水尾上皇遺愛の優美な散椿(ちりつばき)が咲いていました。

 

 境内北東には書院と玄関があり、書院の東の一段と高い所に徳川家斉寄進の本堂が佇んでいました(何れも京都市指定文化財)。

 

 (徳川家斉〔1773-1841 徳川11代将軍〕→将軍在職50年で初期は老中の松平定信が寛政の改革を断行しましたが、定信退陣後は綱紀もゆるみ大御所として豪奢な生活を送り側室40人、子女55人をもうけたと伝えられています) 参照「日本史事典」旺文社

 

 書院、本堂の南には立石を多く使った石組みの池泉観賞式庭園(東山山麓斜面に広がる・現在は枯池)が上下二段に広がっていました。

 

 主庭は下段の書院南の池庭(玉座からの眺めが最高のように作庭)で、東南隅に滝石組みを配置、池尻近くには石橋が渡され、石橋を渡った所に般若寺型(はんにゃじ)の石燈篭が置かれ、周りには緑のツツジが植えられ風趣に富んでいました。

 

 さらに、南西隅に後水尾上皇遺愛の樹齢300年以上と伝わる日光椿(天然記念物 京都市指定)が彩を添えていました。
 (
参照 尼門跡寺院「霊鑑寺」特別公開 霊鑑寺説明書)

 

 書院応挙の間前には、やはり後水尾上皇が愛されたと云う赤くて小さい月光椿(がっこう)が咲いていました。

 

 日光・月光椿の名は薬師如来(脇侍 日光・月光菩薩)に因んで付けられたと云われます(参照:ガイドさんの説明)。

 

 書院の謁見の間(上段・中段・下段の間)の中段の間に狩野派の四季花鳥図が、下段の間にも狩野派による襖絵が描かれ、居間の仙人の間には仙人などの水墨画が、応挙のには圓山応挙の旅人の水墨画などが描かれているそうです 


 また、仙人の間には孝明天皇御造品が飾られているとか・・・。
 
(参照 カイドさん説明)

 

 霊鑑寺は歴代天皇遺愛の香炉、書画や宸翰(しんかん 直筆)、束帯雛、貝合せ、花鳥絵歌留多など皇室ゆかりの寺宝を所蔵し、特に雅で愛くるしい御所人形は200点を数えると云われます。

 

 私は庭園から書院内を眺めさせていただいてから東の本堂へ石段を上って行きました。

 

 本堂には如意輪観音菩薩像(恵心僧都作=源信)を本尊としてお祀りしていましたが、当時、東方山中にあり荒廃し廃寺となっていた智証大師円珍が創建した如意寺(にょいじ)の本尊如意輪観音菩薩像を後水尾上皇が霊夢によって得られたものと伝えられています。

 

 (円珍814-891 第5代天台座主〕→853年入唐。長安で密教を修得し多くの経巻を持ち帰り、台密の全盛期を築いたと云われます。寺門派の祖)
  
参照:「日本史事典」旺文社


 (
源信942-1017〕→ 9歳で比叡山に登り良源に師事。顕密の学を修め「往生要集」を著して浄土教の念仏往生の教え(阿弥陀仏を信仰し、来世において極楽浄土に往生)を説くと貴族や庶民にも広がったと伝えられています。ex. 藤原道長(法成寺阿弥陀堂)藤原頼通(平等院鳳凰堂))

 

 本堂の前方には鎮守社が建てられ、その左には天満宮と刻まれた立派な燈篭がありました。

 

 私は庭園に咲く約30種類の椿に見惚れながら境内を巡りましたが、なかでも清楚な衣笠(白椿)や、「洗如亭碑」と「手水鉢」(亀の頭)辺りの苔の上に散っている可憐な赤い椿(あたかも彩りに置かれたという感じ)の風雅な光景は今も忘れることは出来ません。

 

 清くつつましく、そして朝夕のお勤め(修行)に励まれた尼住職のお姿を想像しながら、私は霊鑑寺を後にしました。

 

          
                  参照: 尼門跡寺院「霊鑑寺」特別公開 霊鑑寺説明書) 

                       「日本史事典」旺文社
                 

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   ■編集後記

 

   霊鑑寺さんは尼門跡寺院の気品がただよっていましたよ♪

  春秋の公開時にお隣の安楽寺さんとともに拝観されるのも

  よろしいかも知れませんね。


 *「もっと知りたい京都」は次号(82号)から、新形式で発行する予定です。


    どうぞ引き続きご愛読くださいね♪

 

   

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・ 編集・発行 日夏 もえ子
 
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    moeko_sachiko2000@yahoo.co.jp   『もっと知りたい京都』を読んで

 
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