9.11と聞くと、2001年「米国同時多発テロ」を連想させる。
いや、連想させられる。
たぶん、アメリカ、そして日本国民は、2001年の「米国同時多発テロ」の映像を何度も目にしているからだ。
確かに、米国同時多発テロ、9.11テロは、多くの尊い命が奪われ、
また、多くの経済的被害、破壊と恐怖、苦しみの連鎖を残している。
しかし、その後の「対テロ戦争」による
アフガニスタンやイラクでの民衆の苦しみを、
どれほど理解できているだろうか。
被害者は、アメリカ国民だけではないのだ。
最近では、マイケル・ムーア監督の映画のように、
ブッシュ家とビン・ラディン一族とのつながりや、
石油利権の陰謀説まで飛び出しており、
「対テロ戦争」そのものが、
軍産複合体の利益のための戦争ではないかという、
疑惑までわきあがっている。
アフガニスタンも、イラクも、治安が回復するどころか、
今もなお、混迷と治安の悪化に民衆は苦しんでいる。
アフガニスタンは、アメリカの軍事力に比べれば、
それほど脅威となる国ではないし、
むしろ、アフガニスタンが多数の軍閥に支配されてきたのは、
米ソ冷戦や、それ以前の「グレート・ゲーム」という大国の覇権争いによるものだ。
そして、イラクでは、大量破壊兵器を発見されることも、
民主主義の脅威となる根拠もないのに、
アメリカの攻撃の的とされた。
確かに、フセインの独裁政治は許されないだろう。
しかし、第一次湾岸戦争のときに、
イラクの侵攻を受けたクウェートも、
民主政治とは到底いえない政治体制であった。
第二次湾岸戦争では、状況は変わり、
国連として安全保障体制の発動というより、
アメリカのための戦争であった。
まして、イラク復興のための人道支援が、
なぜアメリカ系企業の石油支配になるのか。
「対テロ戦争」は、民主主義を守るための
「正義の戦争」でもなければ、「聖戦」でもない。
現在のアメリカの突出した軍事力は、
「法」の上位に存在するため、
その歯止めができない状況にある。
クリントン政権の時代でも、
米軍は、国連PKOとは別働隊としてアフリカ各地の内戦に介入し、
国連安保理の指揮下には入っていない。
決して、国連安保理の指揮下に入ろうとしないのが米軍である。
このような横暴が「法」の力を無にしているのである。
グアンタナモ収容所は、その象徴であろう。
法治国家とは名ばかりの、
法の及ばない領域が存在しているのだ。
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冷戦体制の崩壊後、イデオロギー対立も終わり、
その後、しばらくの間、日本国内の政党は激変した。
政党が、離合集散を繰り返したことは、記憶に新しいし、
そのことによって、政党は、主義・主張を同じにする議員集団という
従来の定義が通用しなくなってしまった。
そのため、有効な対立軸を示すことはできず、
小手先の政策論争に終始し、
国民の政治離れの原因にもなった。
混迷から少しずつ脱却し、
二大政党化の形が見え始めたぐらいから、
高度な政策論争になってきた矢先、
今度は、「アメリカ問題」が起こり、
「アメリカ帝国化」に対してどのような対応をするのか、
それが国際問題とあった。
日本の場合は、完全にアメリカに飲み込まれた。
EUのような距離のとり方はできなかった。
例外といえるイギリスも日本のような親米ブレア政権からゴードン・ブラウン政権へと交代し、
いまや、アメリカと距離をとるように政策転換を始めた。
その代わり、フランスがサルコジ親米政権に変わるというねじれがあるが。
とはいえ、アメリカ国内自体が分裂を激化させている。
ブッシュ政権の汚職、
軍事力のオーバーストレッチ、
米兵のあまりに多い死傷者、
劣化ウラン弾による米兵の健康被害、などなど。
アメリカの戦争遂行の方法や、
その暴力行使の正当性への疑問が、
アメリカ国内を揺るがしているのである。
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我々は、そんなアメリカの戦争に協力する必要があるのか。
安倍総理は、対米協力を熱心に行おうとした。
「対テロ特措法」も延長しようとした。
しかし、民主党の小沢代表に、党首会談を断られ、
特措法延長のめども立たず、
安倍総理は、延長できなければ辞任するとの自ら表明した通り、
辞任せざるを得ない状況に追い込まれた。
安倍総理が辞任する理由は、それだけではないようだが、
彼が政治理念として表明していた
「戦後レジーム」からの脱却とは、
まさに、対米追従外交、
特に、安全保障と経済分野における政策転換である。
なぜなら、戦後の日本政治の大枠は、
アメリカ政治の枠内にとどめられてきたからである。
ところが、安倍総理は、
古くからの自民党政治の対米追従を転換できなかった。
小泉首相から継続した経済の自由化、「対テロ戦争」支援、
それらは、後継指名された安倍総理は転換できるはずもなかろうが、
それが、様々な批判を受ける原因になっていることを、
彼は理解できていなかったのではないだろうか。
経済の自由化は、格差を助長し、地方を苦しめ、
社会保障制度すらも破壊している。
国家が役割を放棄する政治、
そんなものを国民が支持するはずはない。
「対テロ戦争」の支援は、財政を悪化させ、
戦争そのものの正当性が揺らいでいる中で支援することは、
かなりのマイナスイメージである。
国内の社会保障、つまり、年金や保健制度、生活保護などが
ままならない状況で、なぜ、人殺しの支援をするのか。
国民の生活苦の声を聞き入れていれば、
選択は誤らなかったのではないだろうか。
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小泉チルドレンは、小泉前首相の擁立という全く愚かな画策をしたようだが、失敗に終わったようである。
生みの親をもう一度担ぎたかったようだが、
小泉前首相こそが格差社会を助長した張本人であり、
「郵政民営化」など、
国民の生活にとってなんらプラスにならないことは、
もはや国民の周知の事実である。
彼が、首相をやめてから、
格差社会について質問された時、
なんらコメントをしない態度も、
政治家として責任を果たしていない。
国民は、もうだまされてはいけない。
小泉チルドレンは所詮チルドレンだったのであり、
小泉バブルで誕生しただけの議員が多い。
落下傘候補など、突然何のゆかりもない選挙区に立候補して、
どうしたいのか。ただ単に、国会議員になりたいだけなのか。
議員は、どの選挙区で立候補したとしても構わないのであろうが、
小泉チルドレンは、小泉郵政改革に反対した候補に対する、
対立候補以上のものではなかったと思われる。
国政の場合、選挙区から日本全体を考え、
また逆に、日本全体から、その選挙区のことを考えられる候補でない限り、
落下傘候補にはなんら価値はないのではないだろうか。
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9.11直後に、安倍総理が辞意を表明し、
自民党がさらなる分裂をしようとしていることは、
また大きな政治的転換を迎えようとしている表れなのかもしれない。