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    ★五月の俳句 その3

◇兼題 麦   (歳時記より抄出)

 大麦・小麦・ライ麦・麦の花・麦の波・黒穂・麦刈り・・・ただし麦の芽
は冬、新年。青麦は春の季語となる。
    爆音や乾きて剛き麦の禾           中島 斌雄
    麦の穂に夕雲沁みる地酒よし        高島 茂
    かなしびのまったひらなる麦の秋      柚木 紀子
    むぎ熟れて美しい頬の広告          菊川 貞夫
    麦飯を食べて愉快に腹減りぬ        笠間 圭子
 「麦の禾」は中島斌雄の主宰誌「麦」の誌名のもととなった代表句。虎児
にとっては大学の卒論指導の師であった。

      なかむら句会(06 5月10日)

    麦倒るあの日の時計泣いたまま       千葉督太郎
    一陣の風に煽られ麦割れる           高橋 英美
    缶ビール麦の字三個見いつけた       深沢 紅炉
    麦の波沈みし媼やがて浮く            藤井 安広
    麦の道ねんねんころりねんころり        赤澤美智子
    さりげなく麦の穂飾るパン屋さん         エンゼル南海
    幼子やつむに麦風ほろろ吹く          芦田麻衣子
    何度でも母呼ぶ声や麦畑             麻植 国栄
    山すそに織布のごとし麦一面          川津 善律
    湧き上がる雲三角ベースと麦の道      野谷 真治
    麦風や記憶の一つ又三郎            杉浦 正勝
    麦波のとり巻ひている黒農家           藤田山頭女
    古里にわが青春の麦を刈る           岡部 史郎
    孫と祖父うしろに手組み麦を踏む        一之瀬正子
    黄昏はゴッホの絵となる麦畑           高津 葆

◇兼題 新樹   (歳時記より抄出)

 若葉の萌え出たみずみずしい樹木をいう。鮑泉の詩「新花満新樹」がもと。
    濃き影を抱きて新樹並びをり            高浜 虚子
    新樹光祷りのときに迷ひあり            石原 八束
    新樹の夜星はしづかに飛びはじむ         山口 誓子
    夜の新樹詩の行間をゆくごとし             鷹羽 狩行
    じわじわと新樹が囲み不眠症             石井 和子  

      なかむら句会(06 5月10日)

    新樹まばたくふところにある卵            市原 虎児
    善人の顔して歩く新樹光                林のりゆき
    納税に新樹の下行くもぐらかな            千葉督太郎
    やはらかき地震と目覚むる新樹光       牛村 幹男
    風吹いて新樹に迷う雀たち              島田圭佑子
    妖精の新樹の風にふかれおり           赤澤美智子
    新樹光モカの香りとブレンドす             岡部 史郎
    耳の環のゆれし銀座の新樹かな          麻植 国栄
    濃き緑従えて新樹デビューする           深沢 紅炉
    新樹の森五感フル回転す               一之瀬正子
    新樹光ふりむいた少女の風帽子          野谷 真治
    新樹蔭蘆花茅屋の昼灯                  藤井 安広
    オフィス街束の間の静新樹立つ           川津 善律
    命継ぎ枯木の際に新樹立つ              高橋 英美
    行く道を優しき新樹のお出迎え             高津 葆
    僧侶消ゆ白より白き新樹間               芦田麻衣子

           ◆作品鑑賞◆  林のりゆき

    新樹まばたくふところにある卵              市原 虎児

 「まばたく」は作者の最も言いたいところだと思うが、矢張り修辞的に無
理があると思う。今ひとつの瑕疵は「ある」だ。この言葉は便利であるから
俳句に於いては調べを整える場合などにも頻繁に使われる。しかし俳句の箍
が「ゆるんで」しまうことも確かだ。しかし、そんな問題点を包含してはい
るが「ふところの卵」が「新樹」の象徴する生命力と見事に照応し佳句とな
っている。

    やはらかき地震と目覚むる新樹光           牛村 幹男

 新参加の牛村幹男さんの作である。「地震と」なのか「地震に」なのかが
問題になるところ。作者は「と」に思いがあるのであろうが、やはりここは
「に」が自然ではないか。「やわらかき」と促えると「新樹光」が良く響き
あっている。
            
◇兼題 自由      なかむら句会(06 5月10日)

    花の日に花ある家にいる不安               千葉督太郎
    少年のうらがわ夜汽車です                  野谷 真治
    石畳足音吸い込む菜種梅雨                一之瀬正子
    天空や旅する母の更衣                     鶴澤 文次
    花筵一升瓶の見張りをり                     藤井 安広
    句集からすてきな誤植カーネーション            市原 虎児
    蛍火のイルミネィション田舎道                  高津 葆
    大仏の口髭細し山笑ふ                      杉浦 正勝
    一休みふと蘖(ひこばえ)のつややかさ           増田倭久枝
    美しき音の出そうに春の星                    林のりゆき
    大陸の春を運んで黄砂の日                  高橋 英美
    潮引いて蟹が現れはしゃぐ子等              エンゼル南海
    夏雷鼓電母雷公乱れ打ち                    深沢 紅炉
    余り苗微笑のリズム濃くなりぬ                  藤田山頭女


           ◆作品鑑賞◆  林のりゆき

    少年のうらがわ夜汽車です           野谷 真治

 これは作者の署名が入っているような句である。自家薬籠中の作品であ
る。いつも指摘するようにこういう句は「意味性」を追いかけても仕方が
ない。感覚の句であるからだ。この句のような断定は「字余り」と相まっ
て一句に大きな力を与えているが、一歩間違えると「独りよがり」となる
危険性があるので、使い方に充分な注意が必要だ。

    余り苗微笑のリズム濃くなりぬ       藤田山頭女

 一点句だが点が入ってしかるべき作品だ。「微笑みのリズム」が「濃く
なった」の表出が新鮮だ。長年の俳優・歌手として会得した身体感覚なの
であろう。

★新橋なかむら句会に参加興味ある方は「藤田三保子オフィシャルサイト」
 にリンクして下さい。今後の開催日・兼題の予定が出ています。

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 91号        編 集 後 記     莫迦正直
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 今年の現代俳句年鑑(現代俳句協会)の参加申し込み用紙には、今まで
はなかった記入項目があって、それに関する話題が先日の句会に出てきた。
 それは、現俳協加入年、在籍年数、俳師という欄である。それは、東京
都区現代俳句協会会報の諸家近詠でも、平成17年からは所属俳誌の紹介
は消して、余計な結社意識なく作品鑑賞をというようになった風潮の中で
これは歴史的に逆行するものだと、意見が出たのである。
 現俳協在籍年数は年功序列を作り出す。有名な俳師、同人の多い結社に
所属云々は結社主義、権威主義につながるからである。
 これらのことは、協会の事務サイドでは会員情報としてもう少し詳しく
記録しておきたかったことであろうが、俳句が文学、創作ということでは
権威主義に堕ちてはならないという意見が強かった。
 なお、日本の従来の伝統芸能は、お稽古によるカタチの伝承が中心にあ
るため、その経歴がものをいうことは事実である。その師承によって○○
流の正統を伝えるもので、その師風が評価を理解させる基準となることが
あるからである。
 それでは俳句の場合はどうなのか、伝統俳句の継承を自認する向きには
師の名前こそお墨つきとして違和感もなかろうが、現代の俳句の創作とい
うことでは、基本を学ぶのに先生は必要とあっても、その師風にこだわる
ばかりでは芸術の名折れとなる。それは、師を尊敬するココロを軽んずる
というのではなく、芸術は一人一流であるべきだという心意気こそ本望だ
った筈だからである。 
    句の投稿・句会情報はこちら⇒omiyage@kai-raku.net
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