[ 横浜人物伝 ]
日本初の職業写真家。
これが下岡蓮杖(しもおか・れんじょう)の「肩書き」である。
文久2年(1862年)、蓮杖は横浜・野毛に写真館を開業した。
その後弁天通りや太田町に開いた写真館は大繁盛し、多数の弟子を育てあげるなど、開港期横浜の写真文化を築き上げた。
現在、横浜関内の馬車道には下岡蓮杖顕彰碑が建てられている
(1987年制作)。
http://shigecchi.web.infoseek.co.jp/page003.html#photo
「日本写真の開祖」の文字が誇らしげだ。
下岡蓮杖は文政6年(1823年)2月12日、
豆州賀茂郡下田、桜田惣右衛門の三男として生まれた。
下岡という名字は、下田の「下」と幼少期に養子に出されていた岡方村の「岡」を足して
後に自称したものである。
幼い頃から絵心のあった蓮杖は、江戸での足袋商の奉公人、下田奉行所の足軽職を
経て、弘化元年(1844年)に幕府の絵師、狩野薫川に弟子入りする。
そして翌弘化2年(1845年)、蓮杖22歳のある日、使いで出向いた
薩摩藩邸下屋敷で、1枚の銀板写真(ダゲレオタイプ)を目にする。
この写真技術に感じ入った蓮杖は、すぐさま薫川の門を離れ、写真技術の習得を志した。
しかし写真術は容易に学ぶことができなかった。
浦賀台場の監視役や下田でハリス領事の応接係を務めながら外国人への接触を試み、
ようやくダゲレオタイプのための銀板と薬品を手に入れたのが安政4年(1857年)。
その後も手製のカメラを使って研究に取り組むが失敗続き。
イギリス人写真家ウイルソンが離日する際に入手した湿板写真の写真器材を使って
ようやく念願の写真術を習得したのは文久元年(1861年)のこと。
そして、翌文久2年(1862年)に晴れて写真館を開業することになる。
このように、22歳のときに薩摩藩邸で銀板写真と出会ってから写真館の開業まで、
足かけ18年の歳月を必要としたのである。
そんな蓮杖の苦労っぷりを描いた本書を2冊目に取り上げようと思った大きな理由は、
「日本初の職業写真家」という蓮杖の肩書きが「横浜的」だなと思ったことである。
写真技術を追求するにとどまらず、商売にして大儲けをしてしまう。
ちなみに蓮杖は、写真館で大成功を収めてからも、湿板写真に必要不可欠な
輸入ガラス板の買い占めで儲けている。
さらに明治2年(1869年)には乗合馬車の経営(発着点の本町通りが今の「馬車道」)にも手を拡げたほか、人力車事業、ガス灯事業などにも取り組んだ。
もっともそれらの事業はさほど成功しなかったようだが、それもまた「横浜」である。
こんな蓮杖だからこそ、ブログの2冊目に選ぶことにした。
なお、最後に付け加えなくてはいけないことがある。
横浜開港資料館の斎藤多喜夫氏による『幕末明治 横浜写真館物語』(2004年)では、
日本初の職業写真家はアメリカ人フリーマン、「日本人」初の職業写真家は鵜飼玉川であるという論証がされている。
年表にするとこういうことになる。
万延元年(1860年) フリーマン、横浜で写真館を開業(日本初)
文久元年(1861年) 鵜飼玉川、江戸両国で写真館を開業(日本人初)
文久2年(1862年) 横浜で下岡蓮杖、長崎で上野彦馬が写真館を開業
つまり、蓮杖は「横浜初の日本人職業写真家」にすぎないということになる。
きっと事実はその通りなのだろうが、私としては知らなかったことにしておきたい。
「日本初の職業写真家」という肩書きは下岡蓮杖というキャラクターにこそふさわしい、
そんな気がするからである。
★この本から感じる「横浜」:新しいものを商売に変える力
【書誌データ】
書 名:写真伝来と下岡蓮杖
著 者:藤倉忠明
出版社:かなしん出版
出版年:1997年5月
価 格:2,000円
購入場所:神奈川県立歴史博物館
これが下岡蓮杖(しもおか・れんじょう)の「肩書き」である。
文久2年(1862年)、蓮杖は横浜・野毛に写真館を開業した。
その後弁天通りや太田町に開いた写真館は大繁盛し、多数の弟子を育てあげるなど、開港期横浜の写真文化を築き上げた。
現在、横浜関内の馬車道には下岡蓮杖顕彰碑が建てられている
(1987年制作)。
http://shigecchi.web.infoseek.co.jp/page003.html#photo
「日本写真の開祖」の文字が誇らしげだ。
下岡蓮杖は文政6年(1823年)2月12日、
豆州賀茂郡下田、桜田惣右衛門の三男として生まれた。
下岡という名字は、下田の「下」と幼少期に養子に出されていた岡方村の「岡」を足して
後に自称したものである。
幼い頃から絵心のあった蓮杖は、江戸での足袋商の奉公人、下田奉行所の足軽職を
経て、弘化元年(1844年)に幕府の絵師、狩野薫川に弟子入りする。
そして翌弘化2年(1845年)、蓮杖22歳のある日、使いで出向いた
薩摩藩邸下屋敷で、1枚の銀板写真(ダゲレオタイプ)を目にする。
この写真技術に感じ入った蓮杖は、すぐさま薫川の門を離れ、写真技術の習得を志した。
しかし写真術は容易に学ぶことができなかった。
浦賀台場の監視役や下田でハリス領事の応接係を務めながら外国人への接触を試み、
ようやくダゲレオタイプのための銀板と薬品を手に入れたのが安政4年(1857年)。
その後も手製のカメラを使って研究に取り組むが失敗続き。
イギリス人写真家ウイルソンが離日する際に入手した湿板写真の写真器材を使って
ようやく念願の写真術を習得したのは文久元年(1861年)のこと。
そして、翌文久2年(1862年)に晴れて写真館を開業することになる。
このように、22歳のときに薩摩藩邸で銀板写真と出会ってから写真館の開業まで、
足かけ18年の歳月を必要としたのである。
そんな蓮杖の苦労っぷりを描いた本書を2冊目に取り上げようと思った大きな理由は、
「日本初の職業写真家」という蓮杖の肩書きが「横浜的」だなと思ったことである。
写真技術を追求するにとどまらず、商売にして大儲けをしてしまう。
ちなみに蓮杖は、写真館で大成功を収めてからも、湿板写真に必要不可欠な
輸入ガラス板の買い占めで儲けている。
さらに明治2年(1869年)には乗合馬車の経営(発着点の本町通りが今の「馬車道」)にも手を拡げたほか、人力車事業、ガス灯事業などにも取り組んだ。
もっともそれらの事業はさほど成功しなかったようだが、それもまた「横浜」である。
こんな蓮杖だからこそ、ブログの2冊目に選ぶことにした。
なお、最後に付け加えなくてはいけないことがある。
横浜開港資料館の斎藤多喜夫氏による『幕末明治 横浜写真館物語』(2004年)では、
日本初の職業写真家はアメリカ人フリーマン、「日本人」初の職業写真家は鵜飼玉川であるという論証がされている。
年表にするとこういうことになる。
万延元年(1860年) フリーマン、横浜で写真館を開業(日本初)
文久元年(1861年) 鵜飼玉川、江戸両国で写真館を開業(日本人初)
文久2年(1862年) 横浜で下岡蓮杖、長崎で上野彦馬が写真館を開業
つまり、蓮杖は「横浜初の日本人職業写真家」にすぎないということになる。
きっと事実はその通りなのだろうが、私としては知らなかったことにしておきたい。
「日本初の職業写真家」という肩書きは下岡蓮杖というキャラクターにこそふさわしい、
そんな気がするからである。
★この本から感じる「横浜」:新しいものを商売に変える力
【書誌データ】
書 名:写真伝来と下岡蓮杖
著 者:藤倉忠明
出版社:かなしん出版
出版年:1997年5月
価 格:2,000円
購入場所:神奈川県立歴史博物館
