[ 有隣新書 ]


★この本から感じる「横浜」:魯文を輝かせたまち・横浜

1875年(明治8年)11月1日、横浜本町六丁目で『仮名読(かなよみ)新聞』が創刊された。
編集・主筆は幕末から明治にかけて活躍した戯作者、仮名垣魯文(かながき・ろぶん)。
市井の出来事を中心とする「小新聞(こしんぶん)」として発行され、
魯文が軽妙洒脱な滑稽調の筆をふるった『仮名読新聞』は「通人粋客」を得意とした。
明治10年から連載された「鳥追いお松の伝」は新聞小説のはしりとも言われる。

1829年(文政12年)、江戸京橋鎗屋町の魚屋に生まれた魯文(幼名兼吉)は、
幼くして商家に奉公するが、1843年(天保14年)に狂言作者花笠文京の門に入る。
際物作家として長らく不遇の生活が続くが、開港直後の横浜などを見物して
初めて仮名垣魯文のペンネームで執筆した『滑稽冨士詣』
(1860年)で、
港崎遊郭を舞台にしたり洋妾を登場させるなど、異国的色彩を趣向にして評判を呼ぶ。

その後も苦しい生活が続くが、明治期に入り、
弥次・喜多の孫がロンドン万博見物に行く『西洋道中膝栗毛』(初編1870年)や、
流行の牛鍋屋の様子を描いた『牛店雑談 安愚楽鍋(うしやざうだん あぐらなべ)』
(同1871年)などの代表作を生み出していく。『安愚楽鍋』では、

 未だに野蛮の弊習のと云ッてネ、ひらけねえ奴等が、肉食をすりゃァ、神仏へ手が
 合わされねえの、ヤレ穢れるのと、わからねえ野暮をいうのは究理学を弁えねえ
 からのことでげス。そんな夷に福沢の著た肉食の説でも読(よま)せてえネ。

などと登場人物が肉食を推奨したり、1872年(明治5年)には『西洋料理通』という
料理手引書まで刊行するなど、当時の開化主義の流れに乗る著作を重ねていった。
また、なぜか本書では触れられていないが、1874年には、本ブログ48冊目
紹介したワーグマン発行の漫画雑誌『ジャパン・パンチ』のスタイルを模して、
日本人初の漫画雑誌『絵新聞日本地(にっぽんち)』を発行した。

そんな魯文を神奈川県令大江卓が横浜に呼び寄せる
神奈川県庁の雇員に月給20円で採用し、民情視察のために県内を巡回・講演させた。
この仕事に取り組むため、1873年(明治6年)冬に魯文は横浜に移り住み
2年後に県庁を辞して発行したのが冒頭の『仮名読新聞』いうことになる。
本書ではこの県庁での仕事の詳細は記されていないのだが、
「戯作者を活用する」という発想は、私には横浜らしいものに思える。
大江のこの発想が魯文と横浜とのつながりをより深めることになった。

興津氏は、パロディを得意とした魯文に、「才人ではあったが、創意には欠けていた」、
「文明開化風俗を批判し、風刺するまでにはいたらなかった」などの評価を下している。
確かに魯文はいわゆる「偉人」ではないと思う。
しかし、魯文という人物は開港直後の横浜に見事にはまった。
際物作家として不遇の時代が長かった魯文は、失うべきものを持たなかったがゆえに、
職業作家として時代の空気を読み、「<とらわれぬ>身軽さ」で自らの作品を
変化させ、「開化主義者」になりおおせる
ことができた。

「節操のなさ」は一般には美徳とされないが、横浜では違う価値観があってもいい。
魯文がそうだというわけではないが、本書を読んでそんなことを思った。


【書誌データ】
書 名:仮名垣魯文 文明開化の戯作者
著 者:興津要
出 版:有隣新書
出版年:1993年6月
価 格:980円
ISBN: 978-4-89660-112-1