[ 横浜人物伝 ]
★この本から感じる「横浜」:「資源再生王」・浅野総一郎
今月9日から、希代の実業家・浅野総一郎の生涯を描いた映画の完結編『九転十起の男3』が109シネマズMM横浜などで公開になった。
私は「1」
浅野の先見性や発想のスケールの大きさ、官の優遇を受ける事業家への対抗心、現場主義から生まれるカリスマ性などが生き生きと描かれていた。
この映画の原作である本書は、映画にして3編を要した浅野の生涯を1冊に凝縮した
濃密な本である。
浅野総一郎は嘉永元年(1848年)3月10日、能登半島の付け根、薮田に生まれた。
15歳で縮織の生産・販売を手がけて以来、失敗を重ねながらも実業家として成長。
24歳で江戸に出て、横浜住吉町で竹皮商、薪炭商として成功を収め、頭角を現す。
次いで、当時使い道のなかったコークスの燃料化やコールタールの事業化にも成功。
1884年(明治17年)には深川の官営セメント工場の払い下げを受け、
本ブログ18冊目で触れた横浜港築港の際にはセメントを納入している。
その後、日本人として初めてサンフランシスコ−横浜航路を結んだ東洋汽船や、
後に日本鋼管となる横浜造船所、水力発電に取り組む関東水力電気、
東京湾を埋め立てる鶴見埋築株式会社など、30を越える直系会社を経営し、
1930年(昭和5年)に82歳で没するまで、ひたすら事業拡大の人生を送った。
1920年(大正9年)には現神奈川区子安台に浅野学園を創立しているが、
浅野の生き方を象徴する言葉「九転十起」はその校訓にもなっている。
さて、そんな浅野の中に、どんな「横浜らしさ」を見いだすべきだろうか。
まず一つ目として、コークス、コールタール、水力など、世の中で使われずにいる
「タダ」のものの活用を、「横浜スタイル」の事業手法と言ってみたい。
この手法は、元手となる資産にも恵まれず自力でで事業を拡大するしかなかった
浅野が収益を上げていくための「持たざる者の知恵」でもあったが、
「無」から「有」を生もうとする発想は横浜というまちと親和性があると思う。
「資源再生王」という呼び名は誇るべきものであろう。
二つ目は「埋め立て」。
浅野は1912年(明治45年)に鶴見埋立組合を設立して以来、15年もの年月を
かけて150万坪ものもの埋め立てを実現し、京浜工業地帯の基盤を作り上げる。
本ブログ52冊目で書いた「埋立地=横浜」という方程式を前提とすれば、
さしずめ浅野は「横浜を創った男」「横浜を拡大した男」ということができる。
もっともこの「土地がなければ作る」という埋め立て事業も、
「土地を持たざる者」の事業手法だったと言えるのかもしれない。
日本経営史が専門の齋藤憲氏によると、浅野の経営スタイルは従来の財閥とは異なり、
「やりたい事業があると三つも、四つも一遍にやってしまう」というもの。
かくもスケールの大きい起業家・実業家であった浅野総一郎。
横浜に「第二の浅野」が現れ、活躍する日は来るのだろうか。
その日を迎えるための第一歩は、浅野の人生をはまっ子が共有することにあると考える。
【書誌データ】
書 名:九転十起の男 日本の近代をつくった浅野総一郎
著 者:新田純子
出 版:毎日ワンズ
出版年:2007年4月(原著『その男、はかりしれず』
価 格:1,600円
ISBN: 978-4-90162-221-9
