[ 横浜人物伝 ]

★この本から感じる「横浜」:日本フランス料理界の父・サリー・ワイル

1927年(昭和2年)12月1日、4年前に横浜を襲った関東大震災からの復興のシンボルとしてオープンしたホテルニューグランドは、
昨日、80周年を迎えた。
ホテルニューグランドについては、ちょうど1年前の本ブログ25冊目で『横浜流 すべてはここから始まった』を紹介させていただいたが、
今回はそのニューグランドで初代総料理長を務め、日本のフランス料理界に
大きな足跡
を残しながらもこれまで十分に知られてこなかった
サリー・ワイルの生涯をめぐる1冊を取り上げたい。

サリー・ワイルは1897年生まれのスイス人。
1912年に料理修行を始め、1923年にオランダで料理長の称号を得たワイルは、
ニューグランドオープンを1カ月後に控えた1927年10月29日に来日する。
コースでの注文が当たり前だった時代に一品料理の注文を受けるグリルルームを
提案
するなど、フランス料理を日本人に身近なものにすることに貢献した
体調の悪い宿泊客のために即興で作ったシュリンプドリアは全国へと広がった。

ワイルはニューグランドの初代総料理長として多くの料理人を育てた。
後に日活ホテル料理長として業界ナンバーワンの評価を得る馬場久
レストランキャッスルの料理長を務め今も「アラカルトの祖」と語られる荒田勇作など、
当時の調理場はニューグランドの評判を聞いて集まってきた競争心旺盛なメンバーが
揃い、休日は月1日で、朝7時頃から夜11時まで働きづめだった。
ワイルの日本での活躍はフランス政府にも評価され、1937年に表彰を受けている。

その後、戦局の進展を受け、1944年にニューグランドを離れたワイルは、
外国人の疎開先となっていた軽井沢で終戦を迎えた後、失意のうちに日本を去る。
しかしワイルもう一度、今度は別の形で日本の料理界への貢献を開始する。
スイスで調理場に満足な職を得られず食料品会社の営業職に就いたワイルは、
1956年の日本再訪をきっかけに、日本人料理人のスイスでの見習い仲介を始める。
民間人の海外渡航が難しい時代に始まったこの交流は、1976年にワイルが
死去した後も続き、1994年までに延べ400人を越える若者が海を渡った。
そんなワイルは留学生たちから「スイス・パパ」と呼ばれ慕われたという。

実はワイルのこうした事績は歴史の中に埋もれかかっていた。
終戦後GHQに接収されたニューグランドが、資料を自主的に処分していたからだ。
しかし、2004年にワイルの存在を知ったノンフィクション作家、著者の神山氏は、
関係者から得た手がかりを辿りながら、ワイルの生涯を再現していく。
ニューグランドの80年の歴史は日本フランス料理界の歴史と歩みを共有していた。
この事実を教えてくれる本書の功績は大きい。
ニューグランドにとって、そして横浜にとっても。


【書誌データ】
書 名:初代総料理長サリー・ワイル
著 者:神山典士
出 版:講談社
出版年:2005年9月
価 格:1,800円
ISBN: 978-4-06213-043-1