[ 横浜資料 ]
★この本から感じる「横浜」:歴史を散歩できるまち・中区
今回は、先週のホテルニューグランドと「80周年つながり」の本を紹介したい。
1927年(昭和2年)10月1日、半年前に大幅な市域拡張を行った
横浜市は区制を導入し、鶴見・神奈川・中・保土ケ谷・磯子の5区が新たに生まれた。
『なか区 歴史の散歩道』は、その5区うちの一つである中区の区政80周年記念出版物として出版されたものである。
本書は横浜開港資料館と横浜都市発展記念館の調査研究員による歴史コラム集。
1999年(平成11年)から今年にかけて、月刊の『広報よこはま・なか区版』に
ちょうど100回にわたって連載されたたものだという。
本ブログで「150週で150冊の紹介」を目指している私としては、
1999年の時点で、「2007年の区政80周年まであと100カ月」という
計算をした人が中区役所にいたのかどうかが気になるところだ。
コラムで取り上げられているトピックはさまざま。
関内地区や山手居留地を含む中区だけに、生糸、アイスクリーム、教会、中華街、
さらには構想だけに終わった横浜公園へのペリー像設置の話など、
いかにも「横浜」というテーマの記事がふんだんにある一方で、
本牧での海苔作りや、現在の山下公園の場所で行われていた潮干狩り、
旧吉田新田エリアを縦横に走っていた川が交通手段として機能していた話など、
「歴史を散歩」しないと知ることができないエピソードも多い。
それぞれ大きめの写真や図版が添えられていて、それを見ているだけでも楽しい。
個人的に一番興味深かったのは、1874年(明治7年)に、居留地の街路ごとに
30の町名を付けた際に、日本全国の地名から名前を借りたという話。
中華街に隣接する加賀町警察署の「加賀町」や、バス停名として残る「薩摩町」などは、
このときつけられた町名の名残だという。
現在の関帝廟通りも当時は「小田原町」と名づけられていた。
「日本大通り」はそうした地名たちの「元締め」的な意味合いがあったという。なるほど!
1879年の正式な布達をネット上に見つけた(資料13)が、地図も欲しくなる。
中区関連で、本ブログ19冊目で紹介した『中区白書』の2007年版も発売されている。
表紙は引き続き中川憲造氏のNDCグラフィックスによる異国情緒あふれるもの。
今回も特集が充実しているが、私は「復興小学校」の記事が気になった。
関東大震災後、1930年(昭和5年)までに建設された31の小学校は、すべて
耐震耐火の鉄筋コンクリート構造で、震災時に児童が階段に殺到したことを教訓に
スロープが導入されたのが大きな特徴で、同時期の東京ではスロープは見られない。
現在では老朽化により建て替えが進み、旧三吉小学校の校舎が南区浦舟町に残るのみ。
こうした歴史を掘り起こしてこそ「○○周年」を祝う意味があるのだと改めて思った。
【書誌データ】
書 名:なか区 歴史の散歩道 横浜の近代100話
著 者:横浜開港資料館
出 版:神奈川新聞社
出版年:2007年10月
価 格:1,200円
ISBN: 978-4-87645-412-9
