[ 横浜ドキュメント ]
★この本から感じる「横浜」:日米が互いを認めた横浜法廷
本ブログ63冊目で紹介した「横浜裁判」が映画になった。
小泉堯史監督による『明日(あした)への遺言』。
45年前の『天国と地獄』と同じ3月1日封切りで、私は遅ればせながら今日観に行ってきた。
1982年に新潮社から刊行された『ながい旅』はその原作で、映画化に合わせて角川文庫から復刊された。
この物語の主人公は陸軍第十三方面軍・東海軍管区司令官、岡田資(たすく)中将。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月14日以降に名古屋等を空襲した
米軍降下B29搭乗者27名に対し、軍律裁判を省略した略式手続で死刑と決定し、
6月28日から7月15日にかけて、斬首処刑したことなどの責任を問われた。
岡田は1946年9月21日にスガモ・プリズンに入所し、東海軍の公判は、
1948年3月8日から5月14日までの68日間、横浜法廷で行われた。
大岡昇平が感銘を受けたという岡田中将の法廷での振る舞いは、潔く、堂々としている。
自分の身を守るという発想はなく、東海軍の行いについてはありのままに語る一方、
部下の減刑のために、「全ての責任は司令官である自分にある」という証言を貫いた。
その結果の詳細は伏せるが、1948年5月19日の判決で、岡田の意図は実現する。
「私は何も知らなかった。みな部下の責任だ」と叫び続けた司令官もいた中で、
自らの死をも賭した岡田の「法戦」ぶりは際立つものだったのだだろう。
この公判の主任検察官バーネットまでが、後に岡田の減刑嘆願書に署名している。
本書では、もう一つ、主任弁護人フェザーストーン法学博士の弁論も印象に残る。
フェザーストーン博士はアメリカ人でありながら岡田らの弁護に努力を惜しまなかった。
処刑された27名が国際条約で保護される「捕虜」でなく「戦争犯罪人」であると主張する
ために多くの民間人証人を要請し、米軍の空襲が工場等を狙ったものではなく、
国際法違反となる無差別爆撃であったことを立証したことは殊に画期的な成果であり、
市ヶ谷でのA級戦犯裁判や他の横浜裁判では見られなかったことであった。
こうしたフェザーストーンのフェアな弁護や裁判長ラップ大佐の寛大な法廷運営に対し、
岡田は自らへの尋問の終了に当たり発言を求め、次のような言葉を残した。
米空軍の内地爆撃問題に就て(中略)極めて寛大なる処置を執ってくれたのは、
此の法廷が初めてであると思う。(中略)此の法廷において絶大の感謝の気持ちを
加えられました。一点の曇りなき青空のごとき気持を持っている。此の気持は横浜
法廷のほかの人たちの持ち得なかったものと思う。日本人同胞も此の寛大なる
法廷の状況を、間もなく聞くでしょう。そして感謝の気持ちを持つであろう。
横浜裁判は本ブログ63冊目で触れたように、「勝者の裁き」の矛盾に溢れていた。
しかし中には日米が相互に感銘を与え、認め合う場面も存在していたのだ。
このことはもっと知られるべきであり、映画が作られた理由の一つはそこにあるのだろう。
最後にもう一つ、横浜で広く知られるべきと感じた事実を紹介しておきたい。
A、B、C級、いずれの戦犯も、横浜の久保山市営火葬場で荼毘に付されたという。
ブログを綴る中で、横浜が戦争と深いつながりを持っていることが分かってくる。
【書誌データ】
書 名:ながい旅
著 者:大岡昇平
出 版:角川文庫
出版年:2007年12月(単行本1982年)
価 格:590円
ISBN: 978-4-04121-108-3
