[ 横浜ストーリー ]
★この本から感じる「横浜」:中島敦が8年間を生きたまち・横浜
78冊目、79冊目に続いて復刊3連打といきたい。
「ちくま日本文学」シリーズは、1991年から1993年にかけて刊行された『ちくま日本文学全集』の新装版で、昨年11月から文庫本として復刊が始まっている。
全30巻のうちの12冊目として刊行された本書『中島敦』は、中島敦自らの横浜での教師生活をモチーフにした短編「かめれおん日記」を収録している「横浜本」である。
『山月記』
儒家の家柄で、祖父撫山は漢学者、父田人は中学校の教師で転勤族だった。
1930年(昭和5年)に東京帝大国文学科に入学、荷風、谷崎、鷗外、子規などを読破。
1933年、中区の横浜高等女学校(現横浜学園)教諭となり、国語と英語を教える。
1935年から中区本郷町に住むが、喘息に苦しみ1941年に横浜高女を退職。
パラオ南洋庁へ赴任するも「劇務ニ適セズ」帰国。
1942年12月4日、喘息のため、東京で33年余の短い人生を終えている。
中島敦の作品が世に出たのは最晩年の1年のことであり、それに先立つ横浜高女時代の
8年間は「沈潜の時期」「苛烈な懊悩の時代」(勝俣浩『中島敦の遍歴』
1936年脱稿の「かめれおん日記」はそうした心理状態のよく表れた作品。
物語の終盤で主人公は山手の外国人墓地を訪れ、ギリシア詩人エウリピデスの、
現世に執着する人間を嘆く一節を回想しながら思いを巡らす。
周囲の墓々を見廻すと、死者達の哀しい執着が――「願望はあれど希望なき」
彼等の吐息が、幾百とも知れぬ墓処の隅々から、白い靄となって立昇り、
そうして立罩めているように思われる。
外国人墓地をこれだけ詩情豊かに描いた文章はなかなかないのではないか。
また、中島敦は外国人墓地のほかに、元町や中華街の散策を好んだが、行きつけの
聘珍楼にまつわる歌を、「聘珍楼雅懐(がかい)」という表題で14首残している。
李白の詩「春夜宴桃李園序」になぞらえたものだという。
例えばこんな具合。
冬の夜の聘珍と聞けば大丈夫(ますらを)と思へる我も心動きつ
冬の夜の羊肉(ひつじ)の匂ふとかげば北京のみやこ思ほゆるかも
肉白き蟹の巻揚味軽しうましうましとわが食(を)しにけり
特に最後の1首などはひねりがない(!)ように感じられるが、それもまた味わい深い。
こちらは『中島敦全集1』
アンソロジー『書物の王国14 美食』
全集をめくってみると、横浜にまつわる小説や歌は他にも数多く残されているようだ。
中島敦。一度じっくりと向かい合ってみたいと思わせられる作家だ。
【書誌データ】
書 名:ちくま日本文学012 中島敦
著 者:中島敦
出 版:筑摩書房
出版年:2008年3月(単行本1992年)
価 格:880円
ISBN: 978-4480425126
