★この本から感じる「横浜」:「交渉条約」の交渉の地・横浜
1854年(嘉永7年)3月31日、横浜で日米和親条約が締結された。
従来、この条約については、ペリーの「砲艦外交」に直面した弱腰の幕府が言われるがままに調印した、という否定的なイメージでとらえられることも多かった。
本書では、この条約の性格を、アヘン戦争に敗れた中国がイギリスと
結んだ懲罰を伴う「敗戦条約」とは対照的な、戦争を伴わず交渉により結ばれた
「交渉条約」と位置づけ、近代国際政治史上に大きな意義を持つものとして評価する。
著者の加藤祐三氏はアジア史、文明史、横浜学を専門とする歴史学者。
長らく横浜市立大学で教鞭をとり、現在は横浜市立大学名誉教授であるが、
1998年から2002年にかけては横浜市立大学第14代学長も務めている。
(ちなみに本ブログ68冊目で紹介した三枝博音は第4代学長。)
本書は2004年、日米和親条約締結=日本開国150周年を期に、日米双方の史料に
依拠しつつ条約締結に至るまでの交渉過程を再現し、開国の実像を描いたものである。
本書で描かれるのは、1853年7月にペリーが浦賀に来航してから、翌年条約を結び、
箱館、下田を経由して1854年6月にアメリカへ出航するまでの約1年間であるが、
がぜん記述が盛り上がるのが、横浜での交渉が始まる3月8日からの部分。
印象的なのは、林大学頭らが徒に譲歩をせず、日本の立場を堂々と主張していること。
例えば、当初ペリーは漂流民・難破船の救助・保護や避難港・石炭補給所の確保とともに、
通商も要求していたが、林は次のように反論した。
日本国においては自国の産物で十分に足りており、外国の品がなくても少しも
事欠かない。したがって交易を開くことはできない。先に貴官は、第一に人命の
尊重と船の救助と申された。それが実現すれば貴官の目的は達成されるはず
である。交易は人命と関係ないではないか
林の主張を受け、ペリーは別室で熟考の末、通商に関する要求を取り下げた。
その後も3月15日にアメリカ側の条約草案とは別の独自の草案を提示、17日には
横浜を寄港地として指定することを拒絶するなど交渉を重ね、31日に調印に至る。
その調印の際にも日本側がペリーに認めさせたことがある。
条約文書は英語、オランダ語、中国語、日本語と4つの言語で作成されたが、
林は「外国語で書かれた文書には署名できない」と主張し、
林は日本語版のみ、ペリーは英語版のみに署名することで条約の交換を終えた。
このように加藤氏は、交渉プロセスを一次史料に基づいてきちんと辿ることにより、
幕府の交渉は決して拙劣なものではなく、むしろ適切な外交努力を行ったがゆえに、
戦争を回避しながらも不平等性を小さくとどめることができたとの結論を得る。
こうした主張がいわゆる修正主義的な立場によるものではなく、歴史的事実を踏まえた
冷静な検証に基づくものであることは、本書を読む中で明らかになるであろう。
ステレオタイプな歴史観に一石を投じるものとして、本書の存在意義は大きい。
【書誌データ】
書 名:幕末外交と開国
著 者:加藤祐三
出 版:ちくま新書
出版年:2004年1月
価 格:740円
ISBN: 978-4480061539![]()
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