★この本から感じる「横浜」:寺社と地蔵と老僧の横浜
1890年(明治23年)4月4日、ラフカディオ・ハーンが横浜に
降り立った。
3月8日にニューヨークを出発したハーンは、カナダのモントリオールから汽車「横浜号」で大陸を横断し、3月18日、ヴァンクーバーを出航、2週間あまりの船旅だった(牧野陽子『ラフカディオ・ハーン』)。
1850年6月27日、ギリシャのイオニア諸島のレフカス島(ラフカディオの由来)で
アイルランド人の父とギリシャ人の母の間にハーンは生まれた。
アメリカで記者としてのキャリアを積み、1884年にニューオーリーンズで開催された
万国産業博覧会で日本の展示に興味を持ったハーンは、39歳で訪日を実現する。
1890年8月に英語教師として赴任した松江で生涯の伴侶セツを得たハーンは
1896年に日本に帰化し、小泉八雲と改名。
その後、1904年9月に没するまで、熊本、神戸、東京で職を得ながら
『怪談』や『心』
など、日本人の心象風景に迫る作品を数多く残すことになる。
そんなハーンは横浜をめぐる小文もいくつか残している。
今回紹介する『神々の国の首都』は、1894年刊行の日本に関する最初の著作
『知られぬ日本の面影』の抜粋版であるが、冒頭の「東洋の土を踏んだ日」には、
ハーンが横浜上陸当日から人力車で寺社巡りに駆け回り、のれんに書かれた漢字や
日本人の足の形や桜、そして鳥居などに感嘆する様子が描かれている。
初めて立派な鳥居を見る人は、何か美しい漢字の模型が空をついてそびえ
立っているのを見ているのではないかと疑うだろう。鳥居のすべての線が、
生気に充ちた文字の品格――書の大家が四筆で書いた墨痕淋漓の文字を
しのばせるからである。
「東洋の土を踏んだ日」に続く「地蔵」では、地蔵が子供の霊魂を鬼の手から助け出す
地蔵信仰に、日本の民間信仰の「もっとも麗しく、心優しい姿の表現」を見出す。
優美な瞼を半ば閉じ、仏教美術のみが思い描きえた微笑み、無限の愛の
深さと崇高な慈悲をふくんだ微笑みをたたえて、何とも神々しいお顔である。
実際、地蔵の理想が強く人々の心を捉えているからこそ、美しい顔を地蔵の
容顔にたとえて一般に“地蔵顔”というのである。
このようにハーンにとっての横浜は、鳥居や地蔵により銘記されるまちであった。
ちなみに1895年刊行の『東の国から』に収録されている「横浜で」には、
5年ぶりに訪れた地蔵堂の変容ぶりへのハーンの失望が描かれている。
「万物のはじまり」などについての語らいを楽しんだ老僧はすでに亡くなっており、
かつて阿弥陀如来、観音、閻魔大王の像や奉納の絵馬が乱離雑然と共存し、
「無心な美しさ」を見せていた須弥壇には地蔵のほか何もなくなっていたのだという。
ハーンが横浜に継続して滞在したのは松江に赴任するまでの4ヶ月余であったが、
その間の求職活動などについては、先ごろランダムハウス講談社文庫から復刊された
工藤美代子氏によるハーン伝の3冊目『神々の国』で知ることができる。
その部分は20ページほどではあるが、合わせてご一読をお薦めしたい。
【書誌データ】
書 名:神々の国の首都
著 者:小泉八雲(平川祐弘
編)
出 版:講談社学術文庫
出版年:1990年11月(原著1894年)
価 格:1,200円
ISBN: 978-4061589483![]()
[ 横浜エッセイ ]
