[ 「坂の上の雲」 要 約 ]
バルチック艦隊は、この暑い港にすわりつつ”けた。この現地の総督が、フランス外務省へ“ロシア艦隊を碇泊させてよろしきや”という問いを発したのに対し、同外務省はわざと沈黙をもって返答した。
要するに、総督に対し“ロシア艦隊は勝手に入ってきた。一度は石炭積み込みの禁止を申し入れたが、艦隊をひきいる提督は無法にもそれを黙殺した”ということにしておけ、ということであった。
ノビコフ・プリボイの表現をかりると、「わが艦隊に対するフランスのあしらいは、まるで破産した親類に対するような態度」ということになる。これ以上かかわりたくないということであろう。
フランス外務省は、同盟国であるロシアが欧露を空にして極東に陸海軍の大軍を送りすぎていることに不快の念をもっていた。
仏は、英に威圧をうけていた。主としてアフリカという餌をめぐってのことである。仏は、対英戦にとうてい自信はない。露をたのむしかないのだが、その露が、極東で国軍をあげて日本と死闘しているのは、仏としては自国にうま味のないことなのである。しかも満州でロシア軍は負けつつある。
やっとフランスは英に対抗してきたのに、その仲間が、世界の軍事力の相場界から急落した以上、こんどは逆に英の機嫌を損じまいとするのは当然であった。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
要するに、総督に対し“ロシア艦隊は勝手に入ってきた。一度は石炭積み込みの禁止を申し入れたが、艦隊をひきいる提督は無法にもそれを黙殺した”ということにしておけ、ということであった。
ノビコフ・プリボイの表現をかりると、「わが艦隊に対するフランスのあしらいは、まるで破産した親類に対するような態度」ということになる。これ以上かかわりたくないということであろう。
フランス外務省は、同盟国であるロシアが欧露を空にして極東に陸海軍の大軍を送りすぎていることに不快の念をもっていた。
仏は、英に威圧をうけていた。主としてアフリカという餌をめぐってのことである。仏は、対英戦にとうてい自信はない。露をたのむしかないのだが、その露が、極東で国軍をあげて日本と死闘しているのは、仏としては自国にうま味のないことなのである。しかも満州でロシア軍は負けつつある。
やっとフランスは英に対抗してきたのに、その仲間が、世界の軍事力の相場界から急落した以上、こんどは逆に英の機嫌を損じまいとするのは当然であった。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
[ 「坂の上の雲」 要 約 ]
この石炭積込みと、その炭塵のなかでの息苦しさを、ノビコフ・プリボイは「拷問」という言葉をつかっている。
ダカール港の昼間ときたら、体じゅうが燃え上がるようだった。過労で倒れる者が続出した。
「早くやれ」と、ロジェストウェンスキーは、口うるさい下士官のようにたえずどなっていた。
黒人が、艦のまわりを小さな舟で漕ぎまわっていた。金を投げてくれ、とせがんでいるのである。
このダカール港はフランスの植民地であったが、開戦後時間がたつにつれロシアに対する態度がつめたくなってきている。満州の野におけるロシア陸軍の連戦連敗が、フランスの態度を冷たくしているようである。
フランスは、日本の勝利が重なるにつれ、日本の同盟国であるイギリスに遠慮しはじめたのである。「石炭を積み込むために碇泊させてもらいたい」と、西アフリカ総督に申し入れると、その変事はなんと、「本国に照会してみる」という、意外なつめたさであった。
夕方になると、「残念ながら当港における石炭の積み込みはこれを許可しません」と、ロジェストウェンスキーに対し申しわたした。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
ダカール港の昼間ときたら、体じゅうが燃え上がるようだった。過労で倒れる者が続出した。
「早くやれ」と、ロジェストウェンスキーは、口うるさい下士官のようにたえずどなっていた。
黒人が、艦のまわりを小さな舟で漕ぎまわっていた。金を投げてくれ、とせがんでいるのである。
このダカール港はフランスの植民地であったが、開戦後時間がたつにつれロシアに対する態度がつめたくなってきている。満州の野におけるロシア陸軍の連戦連敗が、フランスの態度を冷たくしているようである。
フランスは、日本の勝利が重なるにつれ、日本の同盟国であるイギリスに遠慮しはじめたのである。「石炭を積み込むために碇泊させてもらいたい」と、西アフリカ総督に申し入れると、その変事はなんと、「本国に照会してみる」という、意外なつめたさであった。
夕方になると、「残念ながら当港における石炭の積み込みはこれを許可しません」と、ロジェストウェンスキーに対し申しわたした。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
[ 「坂の上の雲」 要 約 ]
海からみるアフリカ西岸の風景は、北方のロシア人にとって、陰鬱な暗色にみたされていた。暑さは我慢できるとしても、湿気がたまらなかった。みなあの雪にとざされたロシアの冬を恋しがった。
十一月十二日の朝、艦隊はダカール港に入った。この港はフランスがおさえていて、西アフリカ経営の策源地としており、港はその軍港になっていた。
「ここはわが同盟国の軍港だから、われわれはたっぷり石炭を仕入れられるはずだ」と、提督ロジェストウェンスキーは安心しきっていた。
ともかく石炭を積み込まなければならない。石炭がなければ、戦場まで行けないのである。
さきのタンジール港での場合、イギリス商人が、ハシケとザルを買い占めてしまって艦隊はひどく積み込み作業に不自由した。イギリスは日本にとってはこれ以上の同盟国はなかったが、ロシアにとって悪魔であった。
「今後の航海が成功するかしないかは、すべて石炭にある。石炭積み込みの十分、不十分がわが艦隊の運命をにぎっているのだ」と、幕僚たちが、各艦の艦長に説いた。
この作業は炭塵の朦々たるなかでやらねばならず、そのためには艦のあらゆる扉と窓を閉じておかねば、艦隊は真っ黒になってしまうのである。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
十一月十二日の朝、艦隊はダカール港に入った。この港はフランスがおさえていて、西アフリカ経営の策源地としており、港はその軍港になっていた。
「ここはわが同盟国の軍港だから、われわれはたっぷり石炭を仕入れられるはずだ」と、提督ロジェストウェンスキーは安心しきっていた。
ともかく石炭を積み込まなければならない。石炭がなければ、戦場まで行けないのである。
さきのタンジール港での場合、イギリス商人が、ハシケとザルを買い占めてしまって艦隊はひどく積み込み作業に不自由した。イギリスは日本にとってはこれ以上の同盟国はなかったが、ロシアにとって悪魔であった。
「今後の航海が成功するかしないかは、すべて石炭にある。石炭積み込みの十分、不十分がわが艦隊の運命をにぎっているのだ」と、幕僚たちが、各艦の艦長に説いた。
この作業は炭塵の朦々たるなかでやらねばならず、そのためには艦のあらゆる扉と窓を閉じておかねば、艦隊は真っ黒になってしまうのである。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
[ 「坂の上の雲」 要 約 ]
「ロジェストウェンスキー航海」といわれるバルチック艦隊の苦難の航海は、まだアフリカ大陸のはしにさしかかったばかりであった。
ロシアから極東の島国まで一万八千海里、この記録的な目標にむかって、性能のそれぞれ違う大小四十数隻をひっぱって、この宮廷むきの司令長官はいどもうとしているのである。
しかし一万二千の乗組員のうち、確乎とした必勝の見通しをもっている者はいなかった。
かれらの苦難は、この大遠征が、その遠征に必要な条件のすべてを供給されているのではないことであった。
一万八千海里の航海のうち、大半の港が、イギリスによって握られているか、その影響下にある。イギリスは、世界の海上における日本の代理者であった。イギリスは、国際法のゆるすぎりぎりにおいてバルチック艦隊の航海をさまたげようとし、その艦隊を疲労させようとした。
航海中、英国海軍の巡洋艦は相変わらずつけてきていた。英国艦隊のおもなねらいは、水兵を疲労させてしまうことにあった。水兵を疲労させることは、国際法上の違法では決してない。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
ロシアから極東の島国まで一万八千海里、この記録的な目標にむかって、性能のそれぞれ違う大小四十数隻をひっぱって、この宮廷むきの司令長官はいどもうとしているのである。
しかし一万二千の乗組員のうち、確乎とした必勝の見通しをもっている者はいなかった。
かれらの苦難は、この大遠征が、その遠征に必要な条件のすべてを供給されているのではないことであった。
一万八千海里の航海のうち、大半の港が、イギリスによって握られているか、その影響下にある。イギリスは、世界の海上における日本の代理者であった。イギリスは、国際法のゆるすぎりぎりにおいてバルチック艦隊の航海をさまたげようとし、その艦隊を疲労させようとした。
航海中、英国海軍の巡洋艦は相変わらずつけてきていた。英国艦隊のおもなねらいは、水兵を疲労させてしまうことにあった。水兵を疲労させることは、国際法上の違法では決してない。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
[ 「坂の上の雲」 要 約 ]
真之は、「兵理というものはみずから会得すべきもので、筆舌をもって先人や先輩から教わるものではない」ということを、かれはのちに海軍大学校で講義したことがある。
要するに教科書は個々が作る以外にない、ということであった。真之の対バルチック艦隊の戦法もかれの独創で、どの国の戦術書にもない。“七段構え”という邀撃戦法である。
真之は敵を一艦のこらず沈めるとすれば、原則としてこれ以上ないと考えている。
第一段は足の速い駆逐艦や艇隊をくりだし敵主力を襲撃し、混乱せしめる。武田信玄の戦法に酷似している。
第二段はその翌日、わが艦隊の全力をあげて敵艦隊に正攻撃をしかける。戦いのヤマ場である。
第三段と第五段は、ふたたび駆逐・水雷という小艦艇をくりだし、徹底的な魚雷戦をおこなう。奇襲攻撃である。
その翌日、第四段と第六段の幕をあげる。わが艦隊の大部分をもって敵艦隊の残存勢力をウラジオストック港の港外まで追い詰める。
しかるのちに第七段としてあらかじめウラジオストック港口に敷設しておく機雷沈設地域に追い込み、ことごとく爆沈させるという雄大なものである。その精密さと周到さという点において、古今東西のどの海戦史をみてもこのようではない。
真之は母親のお貞を背負って貰い湯にゆくときもこのことを考えていたし、天井をにらんでいるときは、むろんこのことばかりである。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
要するに教科書は個々が作る以外にない、ということであった。真之の対バルチック艦隊の戦法もかれの独創で、どの国の戦術書にもない。“七段構え”という邀撃戦法である。
真之は敵を一艦のこらず沈めるとすれば、原則としてこれ以上ないと考えている。
第一段は足の速い駆逐艦や艇隊をくりだし敵主力を襲撃し、混乱せしめる。武田信玄の戦法に酷似している。
第二段はその翌日、わが艦隊の全力をあげて敵艦隊に正攻撃をしかける。戦いのヤマ場である。
第三段と第五段は、ふたたび駆逐・水雷という小艦艇をくりだし、徹底的な魚雷戦をおこなう。奇襲攻撃である。
その翌日、第四段と第六段の幕をあげる。わが艦隊の大部分をもって敵艦隊の残存勢力をウラジオストック港の港外まで追い詰める。
しかるのちに第七段としてあらかじめウラジオストック港口に敷設しておく機雷沈設地域に追い込み、ことごとく爆沈させるという雄大なものである。その精密さと周到さという点において、古今東西のどの海戦史をみてもこのようではない。
真之は母親のお貞を背負って貰い湯にゆくときもこのことを考えていたし、天井をにらんでいるときは、むろんこのことばかりである。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
[ 「坂の上の雲」 要 約 ]
[ 2008/05/06 18:32更新 ]
バルチック艦隊は、その遠征航海をつつ”けている。
これだけの大艦隊が、ヨーロッパの北海から極東の海までそれこそ万里の波濤を蹴って遠征するというその事業そのものが、すでに英雄詩的であった。
それに対し、それを迎え撃つべき日本の作戦家が、東京の一隅の借家で、空豆を齧りながら天井をにらんで考えているということ自体、なにやら滑稽であるといえるであろう。
ロシア士官のほとんどは貴族であったが、日本の作戦家の秋山真之の借家には、湯殿さえなかった。さいわい近所に妻のすえ子のほうの親戚があったため、そこへ貰い湯にゆくのである。
真之の母のお貞は、末っ子の淳の家で住みたい、というのでこちらにきている。そのお貞が貰い湯にゆくとき、真之は彼女をかるがると背負って出かけた。軍服で背負ってゆくときもあった。
「はずかしいけん、おやめ」と、そのつど体じゅうで反対するのだが、さっさとお貞を背中にのせ、近所の親戚までつれてゆく。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
これだけの大艦隊が、ヨーロッパの北海から極東の海までそれこそ万里の波濤を蹴って遠征するというその事業そのものが、すでに英雄詩的であった。
それに対し、それを迎え撃つべき日本の作戦家が、東京の一隅の借家で、空豆を齧りながら天井をにらんで考えているということ自体、なにやら滑稽であるといえるであろう。
ロシア士官のほとんどは貴族であったが、日本の作戦家の秋山真之の借家には、湯殿さえなかった。さいわい近所に妻のすえ子のほうの親戚があったため、そこへ貰い湯にゆくのである。
真之の母のお貞は、末っ子の淳の家で住みたい、というのでこちらにきている。そのお貞が貰い湯にゆくとき、真之は彼女をかるがると背負って出かけた。軍服で背負ってゆくときもあった。
「はずかしいけん、おやめ」と、そのつど体じゅうで反対するのだが、さっさとお貞を背中にのせ、近所の親戚までつれてゆく。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
[ 「坂の上の雲」 要 約 ]
ともあれ、船がドックにはいっている。船乗りにとって、この期間は休養であり、真之も毎日軍令部にだけは出てゆく。が、早めに帰ってくる、
帰宅すると、「枕」と、すえ子に言い、軍服のまま寝転んでしまう。じっと天井を見つつ”けている。
ともあれ、自宅での真之は飯を食っている以外は、ずっと天井をながめている。真之がながめている天井は、すえ子にとってはただの天井だが、真之にとってはそこに正確無比な日本列島があった。
内海があり外海があり、海は東シナ海から、日本海、太平洋、オホーツク海までひろがっている。
(バルチック艦隊は、どこをどうくるか)という課題が、日本国そのものの存亡にかかっていた。
日本としてはこれを邀撃する艦隊を一セットしかもっていないため、太平洋と日本海の二ヶ所で待ち伏せることはできないのである。
バルチック艦隊がやってきてからの作戦は、すべて真之の仕事である。至上命令として要求されていることは勝つというような簡単なことではなかった。一艦のこらず沈めるという、世界戦史上かつてない要求が、連合艦隊を拘束しているのである。
三艦、四艦が生き残ったりしてウラジオストックへ遁走させれば、それが日本の海上輸送の大脅威になって満州における陸軍の死活問題になるであろう。真之が、毎日、気がおかしくなるほどに考えこんでいる課題は、これであった。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
帰宅すると、「枕」と、すえ子に言い、軍服のまま寝転んでしまう。じっと天井を見つつ”けている。
ともあれ、自宅での真之は飯を食っている以外は、ずっと天井をながめている。真之がながめている天井は、すえ子にとってはただの天井だが、真之にとってはそこに正確無比な日本列島があった。
内海があり外海があり、海は東シナ海から、日本海、太平洋、オホーツク海までひろがっている。
(バルチック艦隊は、どこをどうくるか)という課題が、日本国そのものの存亡にかかっていた。
日本としてはこれを邀撃する艦隊を一セットしかもっていないため、太平洋と日本海の二ヶ所で待ち伏せることはできないのである。
バルチック艦隊がやってきてからの作戦は、すべて真之の仕事である。至上命令として要求されていることは勝つというような簡単なことではなかった。一艦のこらず沈めるという、世界戦史上かつてない要求が、連合艦隊を拘束しているのである。
三艦、四艦が生き残ったりしてウラジオストックへ遁走させれば、それが日本の海上輸送の大脅威になって満州における陸軍の死活問題になるであろう。真之が、毎日、気がおかしくなるほどに考えこんでいる課題は、これであった。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
[ 「坂の上の雲」 要 約 ]
東郷連合艦隊司令長官と上村第二艦隊司令長官が東京にもどったのは、この月の三十日である。新橋停車場に降りると、数万の群衆が押しかけて、かれらを歓迎した。
両人は、宮内省からさしまわされた馬車に乗って登営したが、幕僚たちはそのまま海軍省にいった。
夕刻、真之は兄の好古の留守宅へゆき、老母と嫂の多美子にあいさつした。母親のお貞はすでに七十八歳で、出征前にくらべると、ひとまわり小さくなったような感じで、真之はどうにも彼女を正視することができず、ついにお貞から、「淳よ、オマイ、妙にこそこそして」と、苦情をいわれた。
いまも、真之は、(もしこの母親が死んだらどうしよう)という思いで、感情がどうにもならなくなっている。そういう真之という男の性分は、この末っ子を一番可愛がってきたお貞にはよくわかっていた。
真之は日没後、青山高樹町の新居にもどった。そこに、去年の七月に娶った妻のすえ子が夕食のしたくをして待っていた。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
両人は、宮内省からさしまわされた馬車に乗って登営したが、幕僚たちはそのまま海軍省にいった。
夕刻、真之は兄の好古の留守宅へゆき、老母と嫂の多美子にあいさつした。母親のお貞はすでに七十八歳で、出征前にくらべると、ひとまわり小さくなったような感じで、真之はどうにも彼女を正視することができず、ついにお貞から、「淳よ、オマイ、妙にこそこそして」と、苦情をいわれた。
いまも、真之は、(もしこの母親が死んだらどうしよう)という思いで、感情がどうにもならなくなっている。そういう真之という男の性分は、この末っ子を一番可愛がってきたお貞にはよくわかっていた。
真之は日没後、青山高樹町の新居にもどった。そこに、去年の七月に娶った妻のすえ子が夕食のしたくをして待っていた。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
[ 「坂の上の雲」 要 約 ]
東郷は旗艦三笠にもどると、すぐ大本営にむかって長文の電報を打った。起草は例によって、秋山真之である。真之は鉛筆をとって三十分で書きあげた。
内容は、「これをもって旅順封鎖作戦は終了せり」というものであった。
おりかえし、軍令部長伊東祐亨から、指示がきた。「第三艦隊をのこして、ひきあげよ」というものであった。
第三艦隊は、中将片岡七郎がひきいる二等巡洋艦(4000t強)四隻を主力に、三等巡洋艦四隻、砲艦・海防艦のたぐいが十隻、それに水雷艇隊が三艇隊付属している。
この第三艦隊が、敵要塞への補給路を断つ仕事と、乃木軍への協同作戦のために残留する。
三笠以下東郷の艦隊は、その根拠地であった裏長山列島を離れ、第一艦隊は呉へ、第二艦隊は佐世保に入った。どの艦も傷みようがひどかった。
たとえば、ひとあしさきに帰国して入渠していた戦艦敷島の場合、主砲、副砲だけでなく機関の傷みようもはなはだしかった。修理には二ヶ月半かかると、技術官は予定をたてた。
ところがいざ修理をはじめてみると、職工たちが気負い立っているため、技術官の考えた以上の速度で物事が運んだ。職工たちは休息をとらず、食事時間も立食いですませるなどで、働いた。乗組の兵員たちはそれを気の毒がり、茶を運んだり、間食を作ったりした。
「そのように働いては体がつつ”かない。まだ三笠もくるし、あと百隻からの艦がくる。体をうまく使ってくれなければこまる」と、ついに艦長の寺垣猪三が現場の職工たちに説いてまわったくらいであった。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
内容は、「これをもって旅順封鎖作戦は終了せり」というものであった。
おりかえし、軍令部長伊東祐亨から、指示がきた。「第三艦隊をのこして、ひきあげよ」というものであった。
第三艦隊は、中将片岡七郎がひきいる二等巡洋艦(4000t強)四隻を主力に、三等巡洋艦四隻、砲艦・海防艦のたぐいが十隻、それに水雷艇隊が三艇隊付属している。
この第三艦隊が、敵要塞への補給路を断つ仕事と、乃木軍への協同作戦のために残留する。
三笠以下東郷の艦隊は、その根拠地であった裏長山列島を離れ、第一艦隊は呉へ、第二艦隊は佐世保に入った。どの艦も傷みようがひどかった。
たとえば、ひとあしさきに帰国して入渠していた戦艦敷島の場合、主砲、副砲だけでなく機関の傷みようもはなはだしかった。修理には二ヶ月半かかると、技術官は予定をたてた。
ところがいざ修理をはじめてみると、職工たちが気負い立っているため、技術官の考えた以上の速度で物事が運んだ。職工たちは休息をとらず、食事時間も立食いですませるなどで、働いた。乗組の兵員たちはそれを気の毒がり、茶を運んだり、間食を作ったりした。
「そのように働いては体がつつ”かない。まだ三笠もくるし、あと百隻からの艦がくる。体をうまく使ってくれなければこまる」と、ついに艦長の寺垣猪三が現場の職工たちに説いてまわったくらいであった。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
[ 「坂の上の雲」 要 約 ]
真之が、この両将の対面につき、小笠原長生に物語った感想は、小笠原長生によって文語になって記録されている。
「余は従来、いまだかつてかくのごとき思い出深き場合に会したることあらず。東郷・乃木両大将が、熱誠を籠めて握手せる刹那の光景は、忘るべからざるの印象を余に与えたり」
黒井中佐の重砲陣地へゆくまでのあいだ、砲声はなお殷々として天にある。
途中、歩きながら、案内者である乃木は東郷に対し、二度おなじことをいった。
「あなたは海の提督であって、陸で怪我をされては大変ですから、頭を出してはいけません。頭を出すと、すぐ射ってきますから」
乃木は東郷をかばうべく左側に自分の体を置き、腰をまげて歩いた。
陸戦重砲隊陣地につくと、黒井中佐が路上で出迎えていた。「ご苦労でした」と、東郷は黒井にいった。ちょっと言葉をとぎらせて、「まだ、あとがあるな」と、にこっと微笑した。
「今夜は大連へお泊りになりますか」と、真之はきいた。
「いや、三笠に帰る」東郷は、いった。
そうあるべきであろう。あたらしい敵を待つために、半日でも早く連合艦隊は旅順の洋上からひきあげるべきであった。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜
「余は従来、いまだかつてかくのごとき思い出深き場合に会したることあらず。東郷・乃木両大将が、熱誠を籠めて握手せる刹那の光景は、忘るべからざるの印象を余に与えたり」
黒井中佐の重砲陣地へゆくまでのあいだ、砲声はなお殷々として天にある。
途中、歩きながら、案内者である乃木は東郷に対し、二度おなじことをいった。
「あなたは海の提督であって、陸で怪我をされては大変ですから、頭を出してはいけません。頭を出すと、すぐ射ってきますから」
乃木は東郷をかばうべく左側に自分の体を置き、腰をまげて歩いた。
陸戦重砲隊陣地につくと、黒井中佐が路上で出迎えていた。「ご苦労でした」と、東郷は黒井にいった。ちょっと言葉をとぎらせて、「まだ、あとがあるな」と、にこっと微笑した。
「今夜は大連へお泊りになりますか」と、真之はきいた。
「いや、三笠に帰る」東郷は、いった。
そうあるべきであろう。あたらしい敵を待つために、半日でも早く連合艦隊は旅順の洋上からひきあげるべきであった。
産経新聞連載 新聞小説要約 下高原健二挿絵 切抜









