<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>

<rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns="http://purl.org/rss/1.0/">
  <channel rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/">
    <title>瓦版坂の上の雲</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/</link>
    <description></description>
    <dc:date>2008-05-16T17:40:57+09:00</dc:date>
    <items>
      <rdf:Seq>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109729994.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109726514.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109723187.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109719912.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109719851.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109719758.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109710855.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109707794.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109704254.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109702417.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109701226.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109698094.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109693705.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109693672.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109691466.html"/>
      </rdf:Seq>
    </items>
  </channel>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109729994.html">
    <title>730.　「外交上の配慮を払う必要はない」</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109729994.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;バルチック艦隊は、ガボン港外に居座りつつ&amp;rdquo;けた。理由は、近く喜望峰あたりで暴風雨がおこりうるという気象予報を得たためであった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;士官の一部は、上陸をゆるされた。もっとも、嬉々として上陸した者はなかった。「このあたりには人食い人種がいる」といううわさが艦隊じゅうにひろまっていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;上陸したロシア士官をおどろかせたのは、このあたりの黒人の王が、英国海軍士官の礼装であらわれたことであった。帽子も、海軍礼装の例の三角帽子をかぶっていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;十二月一日の夕方五時、艦隊はいっせいに錨をあげて、ガボンを出発した。&lt;br&gt;&lt;br&gt;（こんどは、どこを目指すのか）ということは、艦隊の士官たちにもよくわからなかった。「艦隊はどこへゆくか」という、もっとも重大なことについては、ロジェストウェンスキーにもまだ決しかねていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;寄港地について、ロジェストウェンスキーは、その幕僚たちより強引であった。「外交上の配慮を払う必要はない」と、かれはいった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-16T17:40:57+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109726514.html">
    <title>729. “浮浪艦隊”</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109726514.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;フランスの地方長官の使いは、どこかもっと辺鄙な湾をみつけてそこで石炭積み込みをやってもらえまいか、といったが、ロジェストウェンスキーは黙殺した。&lt;br&gt;&lt;br&gt;（フランス人め、イギリスの鼻息をうかがいおって。）と、この癇癪持の提督はあやうくどなりつけたくなった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;さらに、露都ペテルブルグから訓令の電報がとどいた。「フランスの心証を損ずることはよろしからず。他の場所に移動せよ」というものであった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;ロシアは仏と独という二つの有力な同盟国を味方にもっていながら、戦争の相手がヨーロッパとは無縁の日本であり、さらには戦場が極東であるということで、両国から他人行儀のあつかいをうけている。とくにフランスから冷淡にあしらわれている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;ロシア帝国には本格的な外交というものが存在しているかどうか。この帝国は、他国と同盟を結んでも自分の都合で平然とそれを破るという点ですでに欧州では札つきであった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;この艦隊は、世界の外交から見放された、という点で、ノビコフ・プリボイの表現によれば&amp;ldquo;浮浪艦隊&amp;rdquo;になっていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-15T18:07:06+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109723187.html">
    <title>728.　ガボンに投錨</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109723187.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;ガボンには、わずかに埠頭がある程度で、港といえるほどの施設はない。七百人ばかりの白人が住んでいるが、突如やってきた艦隊をみて、大騒ぎになった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;ロジェストウェンスキーは、全艦隊を沖合いにとどめ、それぞれ錨を投じた。領海外だからフランス政府の許可を得ることはないであろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;翌日、陸地から一隻の汽艇がやってきた。フランスの海軍大尉が乗ってきた。大尉であっても、彼はフランス国家を代表している以上、ロジェストウェンスキーは、この大尉に対し、礼をもって迎え、昼食を共にした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;「戦況について、なにかあたらしい事をご存知でしょうか」と、参謀長コロン大佐は、フランス語できいた。フランス士官は、たえず微笑をうかべながら&amp;ldquo;ノン&amp;rdquo;とかぶりを振った。&lt;br&gt;&lt;br&gt;当地には新聞すらときに半月遅れになります、といった。この時期、驚くべきことに、ロジェストウェンスキーは、満州と旅順港におけるあらゆる戦況について情報をあたえられていなかった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;フランス士官が去ったあと、ドイツ国旗をかかげた汽船があらわれ、艦隊のために石炭を提供した。おなじ同盟国でも、ドイツのほうがまだ頼もしかった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;ところが、この地のフランスの地方長官から使いがきて、「ここで石炭積み込みをやってもらってはこまる」と、いってきた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-14T18:12:07+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109719912.html">
    <title>727.　洋上の“迷子艦隊”</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109719912.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;こんどは工作船カムチャッカが、急に艦隊の列外に出て、「われ著しき破損あり、運転することを得ず」という信号をかかげた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;が、実際は艦の故障ではなく、徴用された火夫たちの小さな反乱であった。すでにロシアでは革命的気分が横溢しており、この艦隊の徴用船員や、職工、水兵たちにもそういう危険分子がまじっているという恐怖心が士官達にあった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;この種の事は、いちいちロジェストウェンスキーのもとに信号で報告された。ロジェストウェンスキーはまるで憲兵下士官のようにどなりながら、いちいち信号で刑罰を言いわたした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;全艦隊が洋上でいっせいに停止した。こんどは故障でも反乱でもなかった。ロジェストウェンスキー自身が、つぎの寄港地&amp;ldquo;ガボン&amp;rdquo;という港がどこにあるかわからなくなったのである。洋上で、全艦隊が、迷子になった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;あまりにもその能力に欠けていることが、どうやら全艦隊の将兵にわかったようであった。総帥に対する信頼感のない軍隊に、士気があがるはずがなかった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-13T18:31:22+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109719851.html">
    <title>726.　全艦隊わずか五ノット</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109719851.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;本来、北洋を棲息地にしているロシア艦隊が、暑いアフリカ海岸を航行したのは、これが史上最初のことであった。軍艦というこの鉄鋼のかたまりが火を噴きそうに熱くなり、たれもさわることができなかった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;士官でさえ、もはや威儀を正しておれなくなり、水兵のようにしてごろ寝した。軍隊秩序というものは、ただこれだけのことで微妙な部分が腐敗してくるものであった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;各艦に故障が続出した。輸送船マライヤが、機関に故障を生じたため、全艦隊が停止しなければならなかった。よくしらべると機関の故障ではなく、操艦の不注意で、浅瀬で底を擦ってしまい、キングストン弁に、土砂が入ったためとわかった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;この種の事故は、軍規整然たる海軍には、ふつうおこらないものであった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;沖合いに出てほどなく、戦艦ボロジノが&amp;ldquo;われ故障せり&amp;rdquo;と信号をかかげた。やがてボロジノの二つの機関のうち一つが動くようになった。全艦隊は、ようやく走ったが、わずか五ノットだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-13T18:08:58+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109719758.html">
    <title>725. “専制国家は、結局はもろい”</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109719758.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;この大艦隊は、万里の波濤だけではなく、外交の海を航海していた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;このさきの寄港や薪水の供給ができないと極東の海にたどりつけるのかどうかという憂色が、幕僚たちの胸を占めた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;「なぜ、リバウ港を出る前に、外交の手を打っておかなかったのか」「ロジェストウェンスキーが悪い」と、プリボイはいう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;が、かれは専制国家の国において皇帝のお気に入りの廷臣であったとはいえ、外交の責任まで負う職務ではなかった。ただかれは、そいいう外交上の工作をしておくことについて、「そういうものは不要である」といったことは、たしかである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;バルチック艦隊のゆくさきざきで、どの国がロシアの威をさまたげるであろう、と誇り高くおもっていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;「外交上の下ごしらえはご無用」と、ロジェストウェンスキーがいうと、皇帝もそのような方針をとった。外務大臣がもはや口出しすべき隙がなかった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;セオドル・ルーズベルトは、&amp;ldquo;専制国家は、結局はもろい&amp;rdquo;と、日露いずれが勝つかという予想をたてたときに、日本は皇帝専制でないから勝つだろうといったことがあるが、専制のもろさは、そういうところにあらわれてしまっていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-13T17:42:05+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109710855.html">
    <title>724.破産した親類に対するような態度</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109710855.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;バルチック艦隊は、この暑い港にすわりつつ&amp;rdquo;けた。この現地の総督が、フランス外務省へ&amp;ldquo;ロシア艦隊を碇泊させてよろしきや&amp;rdquo;という問いを発したのに対し、同外務省はわざと沈黙をもって返答した。&lt;br&gt;&lt;br&gt;要するに、総督に対し&amp;ldquo;ロシア艦隊は勝手に入ってきた。一度は石炭積み込みの禁止を申し入れたが、艦隊をひきいる提督は無法にもそれを黙殺した&amp;rdquo;ということにしておけ、ということであった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;ノビコフ・プリボイの表現をかりると、「わが艦隊に対するフランスのあしらいは、まるで破産した親類に対するような態度」ということになる。これ以上かかわりたくないということであろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;フランス外務省は、同盟国であるロシアが欧露を空にして極東に陸海軍の大軍を送りすぎていることに不快の念をもっていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;仏は、英に威圧をうけていた。主としてアフリカという餌をめぐってのことである。仏は、対英戦にとうてい自信はない。露をたのむしかないのだが、その露が、極東で国軍をあげて日本と死闘しているのは、仏としては自国にうま味のないことなのである。しかも満州でロシア軍は負けつつある。&lt;br&gt;&lt;br&gt;やっとフランスは英に対抗してきたのに、その仲間が、世界の軍事力の相場界から急落した以上、こんどは逆に英の機嫌を損じまいとするのは当然であった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-10T18:33:16+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109707794.html">
    <title>723.　フランス、石炭積込を不許可</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109707794.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;この石炭積込みと、その炭塵のなかでの息苦しさを、ノビコフ・プリボイは「拷問」という言葉をつかっている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;ダカール港の昼間ときたら、体じゅうが燃え上がるようだった。過労で倒れる者が続出した。&lt;br&gt;&lt;br&gt;「早くやれ」と、ロジェストウェンスキーは、口うるさい下士官のようにたえずどなっていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;黒人が、艦のまわりを小さな舟で漕ぎまわっていた。金を投げてくれ、とせがんでいるのである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;このダカール港はフランスの植民地であったが、開戦後時間がたつにつれロシアに対する態度がつめたくなってきている。満州の野におけるロシア陸軍の連戦連敗が、フランスの態度を冷たくしているようである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;フランスは、日本の勝利が重なるにつれ、日本の同盟国であるイギリスに遠慮しはじめたのである。「石炭を積み込むために碇泊させてもらいたい」と、西アフリカ総督に申し入れると、その変事はなんと、「本国に照会してみる」という、意外なつめたさであった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;夕方になると、「残念ながら当港における石炭の積み込みはこれを許可しません」と、ロジェストウェンスキーに対し申しわたした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-09T18:00:16+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109704254.html">
    <title>722. 石炭がなければ、戦場まで行けない</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109704254.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;海からみるアフリカ西岸の風景は、北方のロシア人にとって、陰鬱な暗色にみたされていた。暑さは我慢できるとしても、湿気がたまらなかった。みなあの雪にとざされたロシアの冬を恋しがった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;十一月十二日の朝、艦隊はダカール港に入った。この港はフランスがおさえていて、西アフリカ経営の策源地としており、港はその軍港になっていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;「ここはわが同盟国の軍港だから、われわれはたっぷり石炭を仕入れられるはずだ」と、提督ロジェストウェンスキーは安心しきっていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;ともかく石炭を積み込まなければならない。石炭がなければ、戦場まで行けないのである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;さきのタンジール港での場合、イギリス商人が、ハシケとザルを買い占めてしまって艦隊はひどく積み込み作業に不自由した。イギリスは日本にとってはこれ以上の同盟国はなかったが、ロシアにとって悪魔であった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;「今後の航海が成功するかしないかは、すべて石炭にある。石炭積み込みの十分、不十分がわが艦隊の運命をにぎっているのだ」と、幕僚たちが、各艦の艦長に説いた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;この作業は炭塵の朦々たるなかでやらねばならず、そのためには艦のあらゆる扉と窓を閉じておかねば、艦隊は真っ黒になってしまうのである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-08T18:04:47+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109702417.html">
    <title>721. 「ロジェストウェンスキー航海」</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109702417.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;「ロジェストウェンスキー航海」といわれるバルチック艦隊の苦難の航海は、まだアフリカ大陸のはしにさしかかったばかりであった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;ロシアから極東の島国まで一万八千海里、この記録的な目標にむかって、性能のそれぞれ違う大小四十数隻をひっぱって、この宮廷むきの司令長官はいどもうとしているのである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;しかし一万二千の乗組員のうち、確乎とした必勝の見通しをもっている者はいなかった。&lt;br&gt;かれらの苦難は、この大遠征が、その遠征に必要な条件のすべてを供給されているのではないことであった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;一万八千海里の航海のうち、大半の港が、イギリスによって握られているか、その影響下にある。イギリスは、世界の海上における日本の代理者であった。イギリスは、国際法のゆるすぎりぎりにおいてバルチック艦隊の航海をさまたげようとし、その艦隊を疲労させようとした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;航海中、英国海軍の巡洋艦は相変わらずつけてきていた。英国艦隊のおもなねらいは、水兵を疲労させてしまうことにあった。水兵を疲労させることは、国際法上の違法では決してない。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-08T04:59:22+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109701226.html">
    <title>720.　“七段構え”の邀撃法</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109701226.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;真之は、「兵理というものはみずから会得すべきもので、筆舌をもって先人や先輩から教わるものではない」ということを、かれはのちに海軍大学校で講義したことがある。&lt;br&gt;&lt;br&gt;要するに教科書は個々が作る以外にない、ということであった。真之の対バルチック艦隊の戦法もかれの独創で、どの国の戦術書にもない。&amp;ldquo;七段構え&amp;rdquo;という邀撃戦法である。&lt;br&gt;&lt;br&gt;真之は敵を一艦のこらず沈めるとすれば、原則としてこれ以上ないと考えている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;第一段は足の速い駆逐艦や艇隊をくりだし敵主力を襲撃し、混乱せしめる。武田信玄の戦法に酷似している。&lt;br&gt;&lt;br&gt;第二段はその翌日、わが艦隊の全力をあげて敵艦隊に正攻撃をしかける。戦いのヤマ場である。&lt;br&gt;&lt;br&gt;第三段と第五段は、ふたたび駆逐・水雷という小艦艇をくりだし、徹底的な魚雷戦をおこなう。奇襲攻撃である。&lt;br&gt;&lt;br&gt;その翌日、第四段と第六段の幕をあげる。わが艦隊の大部分をもって敵艦隊の残存勢力をウラジオストック港の港外まで追い詰める。&lt;br&gt;&lt;br&gt;しかるのちに第七段としてあらかじめウラジオストック港口に敷設しておく機雷沈設地域に追い込み、ことごとく爆沈させるという雄大なものである。その精密さと周到さという点において、古今東西のどの海戦史をみてもこのようではない。&lt;br&gt;&lt;br&gt;真之は母親のお貞を背負って貰い湯にゆくときもこのことを考えていたし、天井をにらんでいるときは、むろんこのことばかりである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-07T18:27:25+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109698094.html">
    <title>719.　日本の作戦家は 借家住まい</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109698094.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;バルチック艦隊は、その遠征航海をつつ&amp;rdquo;けている。&lt;br&gt;これだけの大艦隊が、ヨーロッパの北海から極東の海までそれこそ万里の波濤を蹴って遠征するというその事業そのものが、すでに英雄詩的であった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;それに対し、それを迎え撃つべき日本の作戦家が、東京の一隅の借家で、空豆を齧りながら天井をにらんで考えているということ自体、なにやら滑稽であるといえるであろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;ロシア士官のほとんどは貴族であったが、日本の作戦家の秋山真之の借家には、湯殿さえなかった。さいわい近所に妻のすえ子のほうの親戚があったため、そこへ貰い湯にゆくのである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;真之の母のお貞は、末っ子の淳の家で住みたい、というのでこちらにきている。そのお貞が貰い湯にゆくとき、真之は彼女をかるがると背負って出かけた。軍服で背負ってゆくときもあった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;「はずかしいけん、おやめ」と、そのつど体じゅうで反対するのだが、さっさとお貞を背中にのせ、近所の親戚までつれてゆく。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-06T18:29:14+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109693705.html">
    <title>718.　（バルチック艦隊は、どこをどうくるか）</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109693705.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;ともあれ、船がドックにはいっている。船乗りにとって、この期間は休養であり、真之も毎日軍令部にだけは出てゆく。が、早めに帰ってくる、&lt;br&gt;&lt;br&gt;帰宅すると、「枕」と、すえ子に言い、軍服のまま寝転んでしまう。じっと天井を見つつ&amp;rdquo;けている。&lt;br&gt;ともあれ、自宅での真之は飯を食っている以外は、ずっと天井をながめている。真之がながめている天井は、すえ子にとってはただの天井だが、真之にとってはそこに正確無比な日本列島があった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;内海があり外海があり、海は東シナ海から、日本海、太平洋、オホーツク海までひろがっている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;（バルチック艦隊は、どこをどうくるか）という課題が、日本国そのものの存亡にかかっていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;日本としてはこれを邀撃する艦隊を一セットしかもっていないため、太平洋と日本海の二ヶ所で待ち伏せることはできないのである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;バルチック艦隊がやってきてからの作戦は、すべて真之の仕事である。至上命令として要求されていることは勝つというような簡単なことではなかった。一艦のこらず沈めるという、世界戦史上かつてない要求が、連合艦隊を拘束しているのである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;三艦、四艦が生き残ったりしてウラジオストックへ遁走させれば、それが日本の海上輸送の大脅威になって満州における陸軍の死活問題になるであろう。真之が、毎日、気がおかしくなるほどに考えこんでいる課題は、これであった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-05T17:43:03+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109693672.html">
    <title>717.　真之帰宅</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109693672.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;東郷連合艦隊司令長官と上村第二艦隊司令長官が東京にもどったのは、この月の三十日である。新橋停車場に降りると、数万の群衆が押しかけて、かれらを歓迎した。&lt;br&gt;&lt;br&gt;両人は、宮内省からさしまわされた馬車に乗って登営したが、幕僚たちはそのまま海軍省にいった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;夕刻、真之は兄の好古の留守宅へゆき、老母と嫂の多美子にあいさつした。母親のお貞はすでに七十八歳で、出征前にくらべると、ひとまわり小さくなったような感じで、真之はどうにも彼女を正視することができず、ついにお貞から、「淳よ、オマイ、妙にこそこそして」と、苦情をいわれた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;いまも、真之は、（もしこの母親が死んだらどうしよう）という思いで、感情がどうにもならなくなっている。そういう真之という男の性分は、この末っ子を一番可愛がってきたお貞にはよくわかっていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;真之は日没後、青山高樹町の新居にもどった。そこに、去年の七月に娶った妻のすえ子が夕食のしたくをして待っていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-04T19:02:35+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109691466.html">
    <title>716. 「第三艦隊をのこして、ひきあげよ」</title>
    <link>http://blog.mag2.com/m/log/0000199337/109691466.html</link>
    <description>&lt;font size="2"&gt;東郷は旗艦三笠にもどると、すぐ大本営にむかって長文の電報を打った。起草は例によって、秋山真之である。真之は鉛筆をとって三十分で書きあげた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;内容は、「これをもって旅順封鎖作戦は終了せり」というものであった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;おりかえし、軍令部長伊東祐亨から、指示がきた。「第三艦隊をのこして、ひきあげよ」というものであった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;第三艦隊は、中将片岡七郎がひきいる二等巡洋艦（4000t強）四隻を主力に、三等巡洋艦四隻、砲艦・海防艦のたぐいが十隻、それに水雷艇隊が三艇隊付属している。&lt;br&gt;&lt;br&gt;この第三艦隊が、敵要塞への補給路を断つ仕事と、乃木軍への協同作戦のために残留する。&lt;br&gt;&lt;br&gt;三笠以下東郷の艦隊は、その根拠地であった裏長山列島を離れ、第一艦隊は呉へ、第二艦隊は佐世保に入った。どの艦も傷みようがひどかった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;たとえば、ひとあしさきに帰国して入渠していた戦艦敷島の場合、主砲、副砲だけでなく機関の傷みようもはなはだしかった。修理には二ヶ月半かかると、技術官は予定をたてた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;ところがいざ修理をはじめてみると、職工たちが気負い立っているため、技術官の考えた以上の速度で物事が運んだ。職工たちは休息をとらず、食事時間も立食いですませるなどで、働いた。乗組の兵員たちはそれを気の毒がり、茶を運んだり、間食を作ったりした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;「そのように働いては体がつつ&amp;rdquo;かない。まだ三笠もくるし、あと百隻からの艦がくる。体をうまく使ってくれなければこまる」と、ついに艦長の寺垣猪三が現場の職工たちに説いてまわったくらいであった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;font size="2"&gt;産経新聞連載　新聞小説要約　　下高原健二挿絵　切抜&lt;/font&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;/font&gt;</description>
    <dc:date>2008-05-03T18:28:56+09:00</dc:date>
  </item>
</rdf:RDF>

