[ 放送大学大学院 ]
[ 2007/01/05 14:04更新 ]
まいった。まいっている。研究計画書を書くために机に向かい、本を読み、ネットで調べるほどに、自分の無知を知らされる。
研究計画書とは本来、知識や経験という土台の上に書くものだろうに、私の場合はそれを書くために結局、土台の勉強になってしまうのだ。いくら机に向かっても、自分の計画書は一向に進まず、先行研究やその分野の基礎的な知識を自分が吸収するのに精一杯なのだ。大学ではなく、大学院を目指すということは、そういう基礎的な部分はしっかり持っていなければならないわけで、自分が目指そうとしているものがいまさらながら、全く登山経験のない素人が富士山頂を目指すのに似ているということを感じる。
あと数日で計画書を仕上げなければならないというのに、自分がやりたいと思っている研究は、考えれば考えるほど、臨床心理というより、学校教育に近いような気がしてくる。臨床心理とは、範囲が広いものだし、スクールカウンセラーは治療的というより、カウンセリング的要素が強いとしても、やはりどうなのだろう?と考えてしまう。
教師としてではなく、臨床心理士として、エンカウンターのできるカウンセラーになりたいと思うのだが…。自分の興味があるテーマの先行研究は、多くが学校の先生のものだったりするのだ。
「心の専門家」になりたいとは、いまの私にとって、野球選手がサッカー選手を目指すようなものだったのかも、と打ちのめされている。
とはいえ、この打ちのめされている期間は、すごい勉強になっていることも確かではある。なんとか、前向きに考えながら自分を保っている。
今回ダメなら、また次がある。そうかもしれないが、この気力はそんなに持続できるのだろうか。
とりあえず見えてきたことは、カウンセラーとして仕事をするために今自分に足りないと思うものは、アセスメントができる能力とスーパーバイザーを受ける体制かな。そのためにはどうしたらいいかを、今後考えていこう。
でもいまは、とにかくどんなに素人っぽくても、計画書を仕上げなければ。仕上げたい。仕上げるのだ。
研究計画書とは本来、知識や経験という土台の上に書くものだろうに、私の場合はそれを書くために結局、土台の勉強になってしまうのだ。いくら机に向かっても、自分の計画書は一向に進まず、先行研究やその分野の基礎的な知識を自分が吸収するのに精一杯なのだ。大学ではなく、大学院を目指すということは、そういう基礎的な部分はしっかり持っていなければならないわけで、自分が目指そうとしているものがいまさらながら、全く登山経験のない素人が富士山頂を目指すのに似ているということを感じる。
あと数日で計画書を仕上げなければならないというのに、自分がやりたいと思っている研究は、考えれば考えるほど、臨床心理というより、学校教育に近いような気がしてくる。臨床心理とは、範囲が広いものだし、スクールカウンセラーは治療的というより、カウンセリング的要素が強いとしても、やはりどうなのだろう?と考えてしまう。
教師としてではなく、臨床心理士として、エンカウンターのできるカウンセラーになりたいと思うのだが…。自分の興味があるテーマの先行研究は、多くが学校の先生のものだったりするのだ。
「心の専門家」になりたいとは、いまの私にとって、野球選手がサッカー選手を目指すようなものだったのかも、と打ちのめされている。
とはいえ、この打ちのめされている期間は、すごい勉強になっていることも確かではある。なんとか、前向きに考えながら自分を保っている。
今回ダメなら、また次がある。そうかもしれないが、この気力はそんなに持続できるのだろうか。
とりあえず見えてきたことは、カウンセラーとして仕事をするために今自分に足りないと思うものは、アセスメントができる能力とスーパーバイザーを受ける体制かな。そのためにはどうしたらいいかを、今後考えていこう。
でもいまは、とにかくどんなに素人っぽくても、計画書を仕上げなければ。仕上げたい。仕上げるのだ。