[ 童話のこと ]  
 23日の日曜日、「宮古の春あすぴ(遊び)」と題したイベントに参加した。「参加した」というより、「出演した」という方が正しい。宮古の文学を楽しむ集いということで、創作童話の朗読をしてきたのだ。市の教育委員会が主催したもので、担当者には、「このイベントのメインですから」といわれていた。創作童話を朗読したのは二人。ともに創作活動をしている仲間だ。
 私は、昨年、沖縄の童話賞である「ふくふく童話大賞」で優秀賞を受賞した「オバーの宝物」を朗読した。衣装は、親戚のおじさんにもらった絣(かすり)の着物に、手ぬぐい頭で、昔のオバーを思わせるような姿になった。
 音楽や効果音などを、数日前からあれこれ試し、沖縄音楽のインストゥルメンタルを選曲して、本番にのぞんだ。参加人数は数十人のこじんまりとした集まりで、スポットライトをあびながらも、近くにいる人たちの表情はなんとなく伝わってきた。
 近くには、友人のお母さん(おばあちゃん)も座っていて、私の話にいちいちうなずきながら、まるで「よく分かるよ」と言ってくれているように、聞いてくれていた。
 小学校の読み聞かせ活動の成果か、人権擁護委員としての活動の成果か、人前で朗読することに、さほど緊張は感じなかった。けれど、自分で選んだ音楽を聞きながら、お話を読んでいるうちに、近くでうなずいてくれるオバーの気持ちも重なってか、主人公のオバーの気持ちがどんどん伝わってきて、自分で自分の書いたものに、感動して涙がこみ上げそうになってしまった。
 のどのあたりが苦しくなり、涙がこぼれそうになった。これはいけない、ここで私が泣いても、会場の人たちは何事かと思うだろう。自分の感情を沈めなければ。朗読しながら、そんな思いを必死にコントロールして、最後まで読み終えた。
 エンディングに選んだ曲は、「黄金三星(くがにみちぶし)」という三線の曲なのだが、これがなかなかいいのだ。
 主人公のオバーが、家族との思い出すべてを大事な宝物として、家の上に載せてしまった庭の上で眠っている様子と、夜空に輝く金色の三星が、この話にピッタリだなあと、我ながらしみじみと思った。
 かなり、自己陶酔をした、アホな作家かもしれないが、参加するより、出演した私の方が、何倍も心地よい思いをしたような気がする。
 イベントを終えて、多くの人に「朗読が本当に上手いですねえ」「落ち着いた声が素敵でしたよ」などと感想をもらったが、お世辞やウソをつかない、うちの子どもとその友だちに「面白かったよ!」と言われたことが、何よりうれしかった。子どもたちの評価がよければ、大人の評価も、あながちお世辞ではなかったのだろうと思えるからだ。
 
 なかなか気持ちいい体験をしたのだが、じつは、ここ数日、腹痛に悩まされている。日曜日のイベントも、多少の痛みを抱えながらだった。痛みを感じ始めてからもう今日で6日。我慢できない痛みではなく、熱もないのだが、心配なので、昨日は内科へ。すると、泌尿器科をすすめられ、泌尿器科では、婦人科かも?ということで、病院をはしごした。
 今日は、夜まで予定がないので、覚悟を決めて病院へ行ったのだが、結局、診断がつかなった。でもまあ、結石の可能性は低く、婦人科系の方もとりあえずは大丈夫ということで、ここ2年くらい受けていなかったがん検診も受けてきた。
 まずは、緊急性の病気ではないということで、ひとまずの安心を、時間とお金をかけて買ったような感じだ。
 内科的な病気ではないとすると、一つ思い当たることは、私の中から生まれそうな作品が、あともう少し、あともうひとふんばりというところで、ストップしているからかもしれない、なんて思ったりもする。
 もう少し、産みの苦しみを味わって、そうしてこの作品を書き上げなければならないと思っているのだ。
 講談社の締め切りまであと、2週間。最後まで、推敲に推敲を重ねて、丁寧に仕上げてから提出しようと思う。