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[ アフリカのニュース ]  

今日のアフリカは、日本では報道されないアフリカの情報を、政治、経済、文化に渡って幅広く、いち早くお伝えします。クリック1つで世界の見方が変わります。

 

TV5より

元リベリア副大統領モズ・ブラは水曜日、戦争と人道に反する罪に問われている元大
統領チャールス・テイラーの裁判で証言を始めた。


「わたしはモズ・ゼ・ブラ、リベリア人で、2003年8月から10月まで大統領を務めまし
た。」と、述べた。チャールス・テイラーは、初めてシエラ・レオネ特別法廷(ハー
グ国際法廷)に出廷したアフリカの大統領だ。


シエラ・レオネ特別法廷の検事ステファン・ラップが尋問した。


ブラ氏はテイラー裁判の27人目の証人で、被告が大統領だった当時副大統領だった。
1997年民主的に選ばれた戦争リーダーがナイジェリアに追放された2003年、任期を終
えた。


 
ブラ氏61歳は、ギュドゥ・ブリヤン大統領代理の2003年10月から2006年1月まで権力に
ついた。


チャールス・テイラーは1991年から2001年の内戦の間、11の罪に問われている。この
内戦で隣国シエラ・レオネは引き裂かれた。
 
起訴状によれば、チャールズ・テイラーはシエラ・レオネ反乱軍;革命連合前線RUFを
操って、この国の豊かな資源特にダイヤモンドを統制した。


チャールス・テイラーは、殺人、強姦、少年兵については否定している。
 
シオラ・レオネ特別法廷は、地域の混乱を危惧するリベリアの要請で、フリータウン
からハーグへ移された。

***
昨日の夜テレビをつけるとまたダイヤモンドのレポを再放送していました。シエラ・
レオネの血塗られたダイヤモンドです。手を切り落とされた小さな女の子もいます。

わたしはパスカルさんにもらった紙に包まれたダイヤモンドをピアスの箱の隅に入れ
ました。まだカットしてない原石です。米粒よりも少し大きい感じですが、これを見
つけてくれた人は、どのくらいの米を買えたのでしょう。

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イギリスのハリー王子は、エリザベス2世にジンバブエの婚約者を公式に紹介する予
定だ。

ハリー皇太子23歳は、いとこのピーター・フィリップの結婚を機に、チェルシー・デ
ィヴィ(22歳)を紹介する。

チェルシーは、チャールス皇太子とカーミラ夫人と何度も会っている。
 
ハリー王子の情報部によれば“女王への紹介は未来のプリンセスの社会的地位を上げ
るための第1歩だ”と指摘する。

この2人は4年前から交際しているようだ。チェルシーは南アフリカに住んでいた
が、昨年イギリスの北東リードに超してきて、法律の学位を取ろうとしている。


チェルシーの父親とロベール・ムガベ大統領の関係が問題になってはいるが、王女に
紹介するという決定は、この関係を認めさせる重要ポイントと見られている。

チェルシーの父親は億万長者で、ムガベが経営していたZANU=PFのすぐれたメンバー・ウエブスター・シャムとサファリ社に加わっていた。

彼は、ムガベ大統領に没収されずに土地を所有している数少ない地主の1人だ。

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こんばんわ。

奴隷制度が廃止されて160年が経過しました。

フランス・サルコジー大統領は土曜日、奴隷制度の歴史を見つめることを促し、今の
なお隷属は残っていると語った。

太陽の降り注ぐリュクサンブール公園で、第3回「奴隷制度廃止記念日」の式典が行
われた。

また、4月17日になくなったマルチニャックの詩人・エメ・セゼールを追悼する集会も
ありました。

「奴隷制度は、今も深く人々の心を苦しめています。われわれはそれを正しく認識し
なければなりません。なぜならそれはフランスの歴史だからです」

奴隷制度については、9月の新学期から小学校の教科書に載ります。

また、根強く残る偏見に抗議する黒人協会代表委員会Cranの8000人のデモがありまし
た。

***
フランスのボルドーの港に奴隷の乗せた船が到着したのですが、セネガルのゴレは、
奴隷が出て行くところでした。わたしは2月にこのゴレ島に行きました。本当に美し
い島で、観光客でにぎわっていました。

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ジュンヌ・アフリックコムより

国連によればDRコンゴで4月、市民34人を含む43人がローラン・クンダの反乱軍と北―
キヴの民兵マイマイとの衝突で死亡した。

「地方の情報によれば、市民34 とパルコ(コンゴ抵抗愛国者、マイマイ)が、衝突で
死亡した」と、DRコンゴ国連平和維持軍(Monuc)のディートリヒは語った。

この戦闘は、CNDP(コンゴのツチ反乱軍リーダー、ローラン・クンダの人民防衛国民
議会)と対立するパルコとの間で、2008年4月20日から28日の間に、ゴマから北―西
100kmのワリカル地区;ルレコ、ボコンボ、マシャンゴで勃発した。
 
 詳しい情報なない。

陸軍大佐ディートリヒは、4月24日、マシャンゴの国連軍のパトロール隊が CNDPとパ
ルコのメンバーの銃撃戦に出くわしたことを覚えている。
犠牲者はなく、Monucの介入でそれぞれが引き返した。

 1週間後、コンゴ軍は(FARDC)隣のリュシュルで、ルワンダ解放軍(FDLR、ルワン
ダ・フツ反乱軍)の発砲にあった。ウガンダとの国境付近でも5月5日に同様の衝突が
あった。

「停戦協定を守らないとは困ったものだ」(1月ゴマでキヴの武装グループと停戦協定
を結んだ)


1月23日ゴマで、北および南キヴのコンゴ武装グループは、それぞれの地域の戦闘をやめ、ただちに撤退すると証書を交わした。

しかし 北―キヴでは、CNDP4000人と数千人の様々なマイマイグループから出てきたと
思われる武装グループは全く撤退しようとせず、衝突は日常化している。

国連によればこの地域で2006年12月以来、847000人が移動し、内500000人が村を捨て
なければならなかった。

 

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こんにちわ。「今日のアフリカ」は、1ヶ月前の記事でしかもあまりアフリカとは関
係ありません。

ジュンヌ・アフリック・コムより」

1990年から1993年までニューヨーク市は、アフリカ系アメリカ人ディヴィッド・ディ
ンキンが市長を務めた。

3月17日以来、市は初めての黒人市長、そしてアメリカの歴史上2人目の盲目の政治家
ディヴィッド・ピーターソンを得た。1954年ニューヨークに生まれ、子供の時に感染
により左目の視力を失った。右目のごくわずかな視力だけが残ったが、点字を学ぶの
を拒んだと言われている。

これらの障害はあったとはいえ、彼はコロンビア大学で歴史、そしてホフストラ法律
を学んだ。バスケットもマラソンもしなかった。

彼の父バジルは、ニューヨークの助役で、地方民主党の議員だった。ディヴィットも
上院議員で、2002年少数派の代表になった。

2006年、11月に選ばれたエリオット・スピッツーのもとで助役になった。

公的には“エリオット・ネス”を演じているが、エリオット・スピッツーは2重生活
をしていた。1時間1000ドルの高級クラブ”エンペラーズ“の顧客ナンバー9だ。

泣いている妻がテレビに映り、彼は“罪”を認めざるを得なかった。1週間後、彼は
ディヴィッド・ピーターソンに席を譲った。

一方、ディヴィッドには1999から2001年に別の女性がいたが、子供とともにもとの生
活にもどったと、妻ミッシェル・ページはインタビューで答えている。

ディヴィッドは、丁寧で会話を好み、「悪い方向に向かいそうなときには、良き“調
停者”でありたい」と言う。

彼はアメリカの目や耳に障碍のある人たちが、仕事がないことを心配している。彼は
長年家庭内暴力や女性の進出について戦ってきた。また同性愛を擁護し、ゲイの結婚
に反対ではない。

***
またあと数行のところで面倒になってしまいました。ディヴィッドはオバマ氏のファ
ンの一人で、彼には可能性があると言っています。そしてクリントン氏のことをとて
も重要な友人と言っていますが、前はクリントン氏を支持していました。

この前日仏で見た映画のことでタスマと書いたりツスマと書いたりしましたが、タス
マが正解です。2003年ブルキナファソの映画です。

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