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[ 小説 ]
動物は子供をなくすというようなことがあ
った場合、続けて子供を産むことがあるよう
ですが、ニャンコもその年、七月にもう一度
仔猫を産みました。どうやら、ニャンコにし
かわからない安全な場所があるらしく、今度
はそこで産んだようでした。一月ほどすると
ニャンコは子供を連れて来るようになりまし
た。仔猫は二匹でしたが、私はそれを見て驚
いてしまいました。体毛(からだ)の模様がど
ちらもバケネコにそっくりだったのです。白地に黒い斑点。バケネコの子に違い
ありません。これはなんとかしなければならないと思いました。ほかの猫の子供
を捨てるなどという、そのようなことをする猫の子供などここには置いておけな
い、そう思ったのです。私は捕まえて他所(よそ)へ移すことを考えました。です
が、人間を見たことのない仔猫は人を恐れるようになっていたのです。仔猫は二
匹とも、私の姿を見ると、すぐ物陰に隠れてしまいます。捕まえることなどでき
そうもありません。いつか機会を見て捕まえよう、私は心に決めその時を待ちま
した。機会は容易にやって来ませんでした。そのうち少し慣れたのか、以前ほど
逃げ隠れはしなくなりましたが、いつも私との間に一定の距離を保っているので
す。私が近づこうとするとさっと逃げてしまいます。それなのに、食べ物を持っ
て行って与えると、それは食べるのです。もちろん私がいるうちは食べません、
私が立ち去ってから食べるのです。なんとなく馬鹿にされているような気がして
私はだんだん腹が立ってきました。ある日の夜のことです。外で物音がするので
出てみると、エントランスの硝子戸の前で二匹の仔猫がじゃれ合うようにして遊
んでいました。ニャンコはどこへ行ったのか、辺りに姿はありません。試しに近
づいてみると、仔猫たちは油断しているのか、かなりの距離まで近づけるのです。
これは絶好の機会だと思いました。私は建物に戻り、猫を捕まえるのに適当な物
はないかとさがしました。辺りを見回すと厨房にあるバケツが目に留まったので
それを手にして引き返しました。仔猫は二匹ともまだ同じ場所にいます。私はで
きるだけ静かに、少しずつ、ゆっくりと仔猫たちに近づきました。途中まで行く
と、さすがに異様な気配を感じたのか、二匹の仔猫は動きを止め、こちらをじっ
と見ましたが、それでも逃げようとはしませんでした。私はほとんど仔猫たちに
手の届く所まで行き着くことができました。ただ問題がありました。この場合、
なんとしても二匹は同時に捕まえる必要があります。そして失敗することはでき
ません。もし失敗すれば仔猫は警戒し、二度と捕まえられなくなると思われるか
らです。二匹を一度に捕まえるには仔猫の間に距離があってはなりません。問題
は仔猫の位置でした。仔猫同士が離れすぎていたのです。どうしたものかと考え
ているうち、間の悪いことにニャンコが現われてしまいました。断念するしかあ
りません。私は諦めかけました。ところが、母親の姿を見て安心したらしく、仔
猫たちはニャンコの元へ寄って来たのです。私がいることは忘れたかのようでし
た。二匹が集合したことで仔猫同士の間隔がなくなりました。しかも、ニャンコ
が私の傍に座ってくれていたために、私と仔猫たちとの距離が縮まり、ずっと捕
まえやすくなったのです。今しかない、今なら確実に捕まえられる、私は思いま
した。このような機会は二度とないに違いありません。この時を逃せばバケネコ
の子は永久に捕まえられないかもしれないのです。ですがニャンコがいます。ニ
ャンコがいる所で、そのようなひどいことができるでしょうか、できるはずなど
ないのです。仔猫を捕まえるかやめるか、私は迷いました。しかし迷っている時
間などありません。捕まえるなら早くしないと、千載一遇の機会を失うことにも
なりかねないからです。私はこの時、とんでもない過ちを犯しました。今でも後
悔していますが、後悔してもしきれるものではありません。私はニャンコの目の
前で、ニャンコの子供を生け捕りにすることを選んだのです。これで、ニャンコ
が私を嫌うようになっても、それはそれで仕方がないと……。私は持っていたバ
ケツを二匹の仔猫めがけて振り下ろしました。母親のそばで警戒心を解いた仔猫
は二匹とも簡単にバケツの中に納まりました。私は古くなって剥がれ落ちたコン
クリートの外壁のかけらをその上にいくつも乗せ、そのままその場所に丸一日放
置したのです。仔猫を捕まえた次の日の夜、大きなビニール袋と五十センチ四方
のベニヤ板を持った私の姿がエントランスにありました。私はしばらく、目の前
のバケツを見たまま立っていましたが、気がつくといつの間に来たのか、ニャン
コが少し離れた所にいて、こちらを見ていました。ニャンコは私を信じていたの
だと思います。子供たちを助けてくれるに違いない、解放してくれるに違いない
と。それなのに私は昼間考えていたことを実行したのです。それは、つまり、そ
の時私には仔猫たちを遠くまで運ぶことはできませんでした。近くに放した場合、
仔猫は戻って来るかもしれません。ですから、二匹の仔猫を海に捨てることにし
たのです。毒を食らわば皿までという思いが私の中にありました。仔猫にかぶせ
たバケツと、それが置かれているコンクリート舗装の間にベニヤ板を差し込み、
板を手で押さえてひっくり返し、ビニール袋をかぶせ、また逆さにして袋の口を
結びました。そして私はこの敷地の先から、それを下の海に向かって投げたので
す。踵を返した時、私の目にニャンコの姿が映りました。一部始終を見ていたニ
ャンコはどう思ったでしょうか、どんな思いがしたでしょう……。私はニャンコ
の信頼を裏切ってしまいました。ニャンコの気持ちを考えると私はいたたまれな
くなります。なんという愚かなことをしたのかと、ニャンコに申し訳なく思うば
かりです……。季節はもう秋になっていました。私の横を冷たい風が通り過ぎて
行きました……
────────────────────────────────────
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った場合、続けて子供を産むことがあるよう
ですが、ニャンコもその年、七月にもう一度
仔猫を産みました。どうやら、ニャンコにし
かわからない安全な場所があるらしく、今度
はそこで産んだようでした。一月ほどすると
ニャンコは子供を連れて来るようになりまし
た。仔猫は二匹でしたが、私はそれを見て驚
いてしまいました。体毛(からだ)の模様がど
ちらもバケネコにそっくりだったのです。白地に黒い斑点。バケネコの子に違い
ありません。これはなんとかしなければならないと思いました。ほかの猫の子供
を捨てるなどという、そのようなことをする猫の子供などここには置いておけな
い、そう思ったのです。私は捕まえて他所(よそ)へ移すことを考えました。です
が、人間を見たことのない仔猫は人を恐れるようになっていたのです。仔猫は二
匹とも、私の姿を見ると、すぐ物陰に隠れてしまいます。捕まえることなどでき
そうもありません。いつか機会を見て捕まえよう、私は心に決めその時を待ちま
した。機会は容易にやって来ませんでした。そのうち少し慣れたのか、以前ほど
逃げ隠れはしなくなりましたが、いつも私との間に一定の距離を保っているので
す。私が近づこうとするとさっと逃げてしまいます。それなのに、食べ物を持っ
て行って与えると、それは食べるのです。もちろん私がいるうちは食べません、
私が立ち去ってから食べるのです。なんとなく馬鹿にされているような気がして
私はだんだん腹が立ってきました。ある日の夜のことです。外で物音がするので
出てみると、エントランスの硝子戸の前で二匹の仔猫がじゃれ合うようにして遊
んでいました。ニャンコはどこへ行ったのか、辺りに姿はありません。試しに近
づいてみると、仔猫たちは油断しているのか、かなりの距離まで近づけるのです。
これは絶好の機会だと思いました。私は建物に戻り、猫を捕まえるのに適当な物
はないかとさがしました。辺りを見回すと厨房にあるバケツが目に留まったので
それを手にして引き返しました。仔猫は二匹ともまだ同じ場所にいます。私はで
きるだけ静かに、少しずつ、ゆっくりと仔猫たちに近づきました。途中まで行く
と、さすがに異様な気配を感じたのか、二匹の仔猫は動きを止め、こちらをじっ
と見ましたが、それでも逃げようとはしませんでした。私はほとんど仔猫たちに
手の届く所まで行き着くことができました。ただ問題がありました。この場合、
なんとしても二匹は同時に捕まえる必要があります。そして失敗することはでき
ません。もし失敗すれば仔猫は警戒し、二度と捕まえられなくなると思われるか
らです。二匹を一度に捕まえるには仔猫の間に距離があってはなりません。問題
は仔猫の位置でした。仔猫同士が離れすぎていたのです。どうしたものかと考え
ているうち、間の悪いことにニャンコが現われてしまいました。断念するしかあ
りません。私は諦めかけました。ところが、母親の姿を見て安心したらしく、仔
猫たちはニャンコの元へ寄って来たのです。私がいることは忘れたかのようでし
た。二匹が集合したことで仔猫同士の間隔がなくなりました。しかも、ニャンコ
が私の傍に座ってくれていたために、私と仔猫たちとの距離が縮まり、ずっと捕
まえやすくなったのです。今しかない、今なら確実に捕まえられる、私は思いま
した。このような機会は二度とないに違いありません。この時を逃せばバケネコ
の子は永久に捕まえられないかもしれないのです。ですがニャンコがいます。ニ
ャンコがいる所で、そのようなひどいことができるでしょうか、できるはずなど
ないのです。仔猫を捕まえるかやめるか、私は迷いました。しかし迷っている時
間などありません。捕まえるなら早くしないと、千載一遇の機会を失うことにも
なりかねないからです。私はこの時、とんでもない過ちを犯しました。今でも後
悔していますが、後悔してもしきれるものではありません。私はニャンコの目の
前で、ニャンコの子供を生け捕りにすることを選んだのです。これで、ニャンコ
が私を嫌うようになっても、それはそれで仕方がないと……。私は持っていたバ
ケツを二匹の仔猫めがけて振り下ろしました。母親のそばで警戒心を解いた仔猫
は二匹とも簡単にバケツの中に納まりました。私は古くなって剥がれ落ちたコン
クリートの外壁のかけらをその上にいくつも乗せ、そのままその場所に丸一日放
置したのです。仔猫を捕まえた次の日の夜、大きなビニール袋と五十センチ四方
のベニヤ板を持った私の姿がエントランスにありました。私はしばらく、目の前
のバケツを見たまま立っていましたが、気がつくといつの間に来たのか、ニャン
コが少し離れた所にいて、こちらを見ていました。ニャンコは私を信じていたの
だと思います。子供たちを助けてくれるに違いない、解放してくれるに違いない
と。それなのに私は昼間考えていたことを実行したのです。それは、つまり、そ
の時私には仔猫たちを遠くまで運ぶことはできませんでした。近くに放した場合、
仔猫は戻って来るかもしれません。ですから、二匹の仔猫を海に捨てることにし
たのです。毒を食らわば皿までという思いが私の中にありました。仔猫にかぶせ
たバケツと、それが置かれているコンクリート舗装の間にベニヤ板を差し込み、
板を手で押さえてひっくり返し、ビニール袋をかぶせ、また逆さにして袋の口を
結びました。そして私はこの敷地の先から、それを下の海に向かって投げたので
す。踵を返した時、私の目にニャンコの姿が映りました。一部始終を見ていたニ
ャンコはどう思ったでしょうか、どんな思いがしたでしょう……。私はニャンコ
の信頼を裏切ってしまいました。ニャンコの気持ちを考えると私はいたたまれな
くなります。なんという愚かなことをしたのかと、ニャンコに申し訳なく思うば
かりです……。季節はもう秋になっていました。私の横を冷たい風が通り過ぎて
行きました……
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[ 小説 ]
次の年、四月になって、ニャンコは隣りに
ある物置で五匹の赤ん坊を産みました。私は
そっと見守るつもりでした。ニャンコのこれ
までの子育ては苦労の多いものであったに違
いないのです。もしかすると、食べ物の不足
から育てられなかった子供もいたかもしれま
せん。ニャンコが私の元へ来るようになった
からには、これからはニャンコに悲しい思い
や辛い思いはさせたくない、私はそう思いました。それからどのくらいたったで
しょうか、多分一週間ぐらいだったと思いますが。その日の朝、表に出ると外に
いたニャンコが私を見つけて飛んで来ました。そばに来たニャンコはなにごとか
頻りに話しかけてきます。そしてどうやら私をどこかへ連れて行きたいらしく、
ついて来て下さいというように先に立って歩き出したのです。私があとをついて
行くとニャンコは私を物置に案内しました。そして中に入ると、ニャンコは自分
が寝床にしているダンボール箱の前で立ち止まったのです。中を覗いてみて私は
驚いてしまいました。そこには五匹の仔猫がいるはずでしたが、それが影も形も
ないのです。いったいどうしたことか。私は訳がわかりませんでした。仔猫がい
なくなった理由がわかるまでには少し時間を要しました。次の日、ニャンコは母
親の執念とでも言うべきもので、一匹でしたが仔猫を見つけ、どこからか連れ帰
ったのです。私はそれを見て、これは何かあると思い物置を見張ることにしまし
た。昼間のうちは何も起こりませんでした。夜も更けて私がそろそろ眠ろうかと
思った頃、ニャンコが小用にでも行くのか物置から出て来ました。ニャンコの姿
が物置の陰に見えなくなった、そう思った次の瞬間、何かが素早く物置の中に入
って行ったのです。私が急いで物置に駆け寄ると、中から仔猫を銜えた白地に黒
い斑点のある大きな猫が飛び出して来ました。猫は私を見て一瞬たじろぎました
が、捕らえようとした私の脇をくぐり抜け仔猫を銜えたまま逃げて行ってしまい
ました。驚いたことに、その猫がニャンコの隙を見て仔猫を銜え出しどこかへ捨
てていたのです。狐のような尖った顔をした気味の悪い猫でした。私はその猫を
バケネコという名で呼ぶことにしました。当時この岬には野良猫が何匹かいたの
ですが、バケネコは用心深く、陰に隠れて行動していたので私はそれまでその存
在すら知らずにいたのです。子供をすべて連れ去られてしまったニャンコは再び
仔猫さがしを始めました。来る日も来る日も、それは一週間ほど続きましたが、
仔猫はとうとう見つからず、ニャンコも仕方なく諦めたようでした。
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ある物置で五匹の赤ん坊を産みました。私は
そっと見守るつもりでした。ニャンコのこれ
までの子育ては苦労の多いものであったに違
いないのです。もしかすると、食べ物の不足
から育てられなかった子供もいたかもしれま
せん。ニャンコが私の元へ来るようになった
からには、これからはニャンコに悲しい思い
や辛い思いはさせたくない、私はそう思いました。それからどのくらいたったで
しょうか、多分一週間ぐらいだったと思いますが。その日の朝、表に出ると外に
いたニャンコが私を見つけて飛んで来ました。そばに来たニャンコはなにごとか
頻りに話しかけてきます。そしてどうやら私をどこかへ連れて行きたいらしく、
ついて来て下さいというように先に立って歩き出したのです。私があとをついて
行くとニャンコは私を物置に案内しました。そして中に入ると、ニャンコは自分
が寝床にしているダンボール箱の前で立ち止まったのです。中を覗いてみて私は
驚いてしまいました。そこには五匹の仔猫がいるはずでしたが、それが影も形も
ないのです。いったいどうしたことか。私は訳がわかりませんでした。仔猫がい
なくなった理由がわかるまでには少し時間を要しました。次の日、ニャンコは母
親の執念とでも言うべきもので、一匹でしたが仔猫を見つけ、どこからか連れ帰
ったのです。私はそれを見て、これは何かあると思い物置を見張ることにしまし
た。昼間のうちは何も起こりませんでした。夜も更けて私がそろそろ眠ろうかと
思った頃、ニャンコが小用にでも行くのか物置から出て来ました。ニャンコの姿
が物置の陰に見えなくなった、そう思った次の瞬間、何かが素早く物置の中に入
って行ったのです。私が急いで物置に駆け寄ると、中から仔猫を銜えた白地に黒
い斑点のある大きな猫が飛び出して来ました。猫は私を見て一瞬たじろぎました
が、捕らえようとした私の脇をくぐり抜け仔猫を銜えたまま逃げて行ってしまい
ました。驚いたことに、その猫がニャンコの隙を見て仔猫を銜え出しどこかへ捨
てていたのです。狐のような尖った顔をした気味の悪い猫でした。私はその猫を
バケネコという名で呼ぶことにしました。当時この岬には野良猫が何匹かいたの
ですが、バケネコは用心深く、陰に隠れて行動していたので私はそれまでその存
在すら知らずにいたのです。子供をすべて連れ去られてしまったニャンコは再び
仔猫さがしを始めました。来る日も来る日も、それは一週間ほど続きましたが、
仔猫はとうとう見つからず、ニャンコも仕方なく諦めたようでした。
────────────────────────────────────
[ 小説 ]
私がこの岬で暮らし始めてから何日かが過
ぎ、その頃から一匹の猫を見かけるようにな
りました。白黒の毛色をした猫です。背中の
方が頭から尾の先にかけて黒く、顔と腹部四
肢は白で、そして特徴的なことに尻尾の付け
根に白い輪がありました。身体(からだ)の大
きさから見て、まだ大人にはなりきっていな
いようでした。その時が十月でしたから、春
に生まれた子供と考えると六ヶ月ぐらいだったのでしょうか。捨てられたのだと
思います。昼間はあまり姿を見せませんでしたが、夜になると一人で駆け回って
遊んでいる姿を目にすることがありました。猫は臆病なのか、声をかけても食べ
物を与えようとしても、近くに寄って来ることはありませんでした。猫のために
残り物などを外に出しておいても、それに手をつけることさえなかったのです。
それは、自分を捨てるなどという仕打ちをした人間、そんな人間などというもの
とのかかわりを避けているかのようにも思われました。私は猫を不憫に思いまし
たが、私にはどうすることもできません。私にできることと言えばただ見守るこ
と、それだけでした。私は、誰にも頼らず自分の力で懸命に生きる猫の姿を見守
り続けました。
そして七年という歳月が流れたのです。その日――忘れもしません十一月二十
日のことでした。昼少し前、この裏庭を猫が歩いているのに気がつきました。私
は建物から出て「おーい」と呼んでみました。平生、猫を見かけると私は必ずと
言っていいほどそのようなことをしていたのです。猫は私が声をかけても、立ち
止まりこちらは見るのですが、寄って来ようとはせずそのまま行ってしまうのが
常でした。またいつものように来はしないだろう、私はそう思っていました。と
ころが、立ち止まってこちらを見た猫は私の方にやって来たのです。いったいど
うしたことか、私は驚きましたが、これはたいへんなことなのではないかと気づ
きました。人間など頼りにしていなかった猫が来るのです。よほどのことに違い
ありません。恐らく猫は自力で食物を得ることができなかったのでしょう。もう
何日も食べていないのかもしれないのです。私は急いで建物の中に入り昼食用の
弁当を持って外に出ました。猫はもう向こうに行っていましたが、「ニャンコ」
――私はいつの頃からか自分の中でその猫をニャンコと呼ぶようになっていたの
です。――「ニャンコ、ほら。」私がそう言って弁当を置くと、ニャンコは戻っ
て来てそれを食べ始めました。やがて弁当を食べ終わると、ニャンコは傍らで見
ていた私の所まで来ました。そして、私に向かってなんどもなんども鳴くのです。
あまりなんどもそれも大きな声で鳴くので私が驚いたほどです。よほどありがた
くうれしかったのでしょう。ニャンコはその思いを私に伝えたかったのだと思い
ます。そのことがあってからニャンコは毎日私の所へ来るようになりました。遊
びに来るだけの時もあれば、どうしても食べ物が入手できず空腹を抱えてやって
来る時もありましたが、それからしばらくの間、私たちは幸福な日々を過ごしま
した。ニャンコは私を信頼し慕ってくれましたし、私はニャンコの存在を心から
大事だと思うようになりました。ニャンコと私は二人で夜遅くまで遊んでいたこ
ともあります。今にして思えばほんとうに幸せな期間(とき)でした……
────────────────────────────────────
ぎ、その頃から一匹の猫を見かけるようにな
りました。白黒の毛色をした猫です。背中の
方が頭から尾の先にかけて黒く、顔と腹部四
肢は白で、そして特徴的なことに尻尾の付け
根に白い輪がありました。身体(からだ)の大
きさから見て、まだ大人にはなりきっていな
いようでした。その時が十月でしたから、春
に生まれた子供と考えると六ヶ月ぐらいだったのでしょうか。捨てられたのだと
思います。昼間はあまり姿を見せませんでしたが、夜になると一人で駆け回って
遊んでいる姿を目にすることがありました。猫は臆病なのか、声をかけても食べ
物を与えようとしても、近くに寄って来ることはありませんでした。猫のために
残り物などを外に出しておいても、それに手をつけることさえなかったのです。
それは、自分を捨てるなどという仕打ちをした人間、そんな人間などというもの
とのかかわりを避けているかのようにも思われました。私は猫を不憫に思いまし
たが、私にはどうすることもできません。私にできることと言えばただ見守るこ
と、それだけでした。私は、誰にも頼らず自分の力で懸命に生きる猫の姿を見守
り続けました。
そして七年という歳月が流れたのです。その日――忘れもしません十一月二十
日のことでした。昼少し前、この裏庭を猫が歩いているのに気がつきました。私
は建物から出て「おーい」と呼んでみました。平生、猫を見かけると私は必ずと
言っていいほどそのようなことをしていたのです。猫は私が声をかけても、立ち
止まりこちらは見るのですが、寄って来ようとはせずそのまま行ってしまうのが
常でした。またいつものように来はしないだろう、私はそう思っていました。と
ころが、立ち止まってこちらを見た猫は私の方にやって来たのです。いったいど
うしたことか、私は驚きましたが、これはたいへんなことなのではないかと気づ
きました。人間など頼りにしていなかった猫が来るのです。よほどのことに違い
ありません。恐らく猫は自力で食物を得ることができなかったのでしょう。もう
何日も食べていないのかもしれないのです。私は急いで建物の中に入り昼食用の
弁当を持って外に出ました。猫はもう向こうに行っていましたが、「ニャンコ」
――私はいつの頃からか自分の中でその猫をニャンコと呼ぶようになっていたの
です。――「ニャンコ、ほら。」私がそう言って弁当を置くと、ニャンコは戻っ
て来てそれを食べ始めました。やがて弁当を食べ終わると、ニャンコは傍らで見
ていた私の所まで来ました。そして、私に向かってなんどもなんども鳴くのです。
あまりなんどもそれも大きな声で鳴くので私が驚いたほどです。よほどありがた
くうれしかったのでしょう。ニャンコはその思いを私に伝えたかったのだと思い
ます。そのことがあってからニャンコは毎日私の所へ来るようになりました。遊
びに来るだけの時もあれば、どうしても食べ物が入手できず空腹を抱えてやって
来る時もありましたが、それからしばらくの間、私たちは幸福な日々を過ごしま
した。ニャンコは私を信頼し慕ってくれましたし、私はニャンコの存在を心から
大事だと思うようになりました。ニャンコと私は二人で夜遅くまで遊んでいたこ
ともあります。今にして思えばほんとうに幸せな期間(とき)でした……
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[ 小説 ]
岬 の 猫
© Banri Yo. Grace Corporation. 2006-2008
私は人里離れた岬に住む売れない物書きです。いえ、本当は物書きとは言えま
せん。なぜなら、私の書いたものは一度も世の中に出たことはないからです。
その日、朝の散歩から帰った私は、私の住み家となっている建物の裏手に人が
倒れているのに気がつきました。近づいてみると、その身なりから一見して仏門
にある方のようです。私はそばに寄って声をかけました。何度か声をかけている
うちにその方は正気づき閉じていた目を開きました。私が「大丈夫ですか」と尋
ねると僧侶はかすかに頷きました。私はお坊さんに肩を貸し建物の中に入ってい
ただきました。お話をお聞きすると、旅をしていらっしゃるとのこと。三日も食
事を摂っていないと仰るので、お粥を作って差し上げました。旅の僧はそれをお
いしそうに召し上がっていらっしゃいましたが、食べ終わると私に礼を述べ、そ
れからこんなことをお話しになったのです。
実は私(わたくし)は以前、ここに住んでいた者なのです。あなたが今お住まい
になっていらっしゃる、正にこの建物に私は住んでおりました。住んでいたとい
うより、半ば幽閉されていたのです。
もう二十年以上も前のことになりますが、私は右足に潰瘍ができ、それが治ら
なくなってしまったのです。いくつも病院を回りましたが、どこへ行っても何も
わかりませんでした。二年後、すがるような思いで訪ねた大学病院でやっと診断
がつきました。膠原(こうげん)病 (※ 1)―― それが私の病気でした。原因不明
の不治の病です。私の両親は私がそのような訳のわからない病気になってしまっ
たことに驚き慌てました。自分の家系(うち)から難病奇病の患者を出すことを恥
と思い、決して世間に知られてはならないと考えたのです。両親は以前自分たち
が経営していて、すでに営業を取りやめたレストハウスに私を連れて来ました。
――そうです、この建物です。――お前は今日からここで暮らすのだ。この岬か
らは絶対に出てはならない。建物の外にもできる限り出ないように。それがお前
のためなのだ。両親はそう言い残して去りました。両親は私を陸の孤島のような
この岬に閉じ込め、そして知人の目に触れないようにしたのです。その時私はす
でに二十歳を過ぎておりました。子供ではありませんから、両親の言うなりにな
どならず、この岬から出ることも自由に行動することももちろん可能でした。で
すが私はそれをしませんでした。気力をなくしていたのです。私には二度と治ら
ない病気になってしまったことより、自分の両親がそのような行動を取ったこと
の方が衝撃でした。すっかり気落ちした私はこの岬で隠れるような生活を始めた
のです。
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(※ 1):膠原病は診断名ではありません。
詳しくは別記「膠原病について」をご覧下さい。
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※小説中に、訳のわからない病気、自分の家系(うち)から難病奇病の患者を出
すことを恥と思う、というような表現が出てまいりますが、これは作品の設
定・テーマ上、どうしても必要不可欠であり、他の言葉に置き換えることが
できないため、このようになっております。決して、膠原病の患者さんを嘲
たり差別したりしているのではございません。ご理解下さいますよう、お願
い申し上げます。
────────────────────────────────────
○膠原病について○
[膠原病(Collagen Disease)]
人体は、約60兆の細胞から成り立っていると言われています。細胞間には
結合組織と呼ばれるものが存在し、細胞同士を接合する、細胞に栄養を送る、
細胞から老廃物を受け取る、等の役割を担っています。膠原病とは、この結
合組織(主にコラーゲン)に、フィブリノイド変性という特有の病変を起こす
病気の総称です。
1942年、病理学者 クレンペラー(Paul Klemperer・1887-1964)によって、
初めてこの病気の概念が提唱されました。それまでは、病気は特定の臓器が
障害されて起こる(モルガーニの学説・臓器病理学)と考えられていましたが、
クレンペラーの発見と研究により、結合組織に発症し、多臓器が多発的に侵
される病気の存在が明らかになったのです。
膠原病には、全身性エリテマトーデス(SLE)・強皮症(PSS)・結節性多発動
脈炎(PN)・多発性筋炎および皮膚筋炎(PM/DM)・顕微鏡的多発血管炎・混合
性結合組織病(MCTD)・慢性関節リウマチ(RA)・悪性関節リウマチ等があり、
その多くは日本では厚生労働省により特定疾患(難病)に指定されています。
膠原病の(真の)原因は残念ながらわかっていません。そのため、現在の医
学では根本的に完全にこの病気を治すことは不可能です。薬(ステロイド −
副腎皮質ホルモン− 剤等)の服用と対症療法を中心とした治療で病気の進行
を抑えます。
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