[ 映画 ]
今年の春先に書いたレビューのまとめ、です。
結構、まとめると長く、かなり、この映画と
新井浩文に執着があるのだとわかります。
その1.
ゲルマニウムには、
無機と有機があります。
無機を飲食してはいけません。
20数年前に死亡事故が発生しています。
さて「ゲルマニウムの夜」は、
語るに値する作品でしょうか?
原作を見つけて、もちろん原作と映画は別物とは
理解しているのですが、読んでいます。
遠くまで観に行ったから賞めるのではなく、
単館上映だから賞めるのではなく、
感性に忠実にレビューを書こうと考えています。
その2.
原作を読んでいて、
これは「ファルス」なのね、
随分面白い中間小説ね、と思って、
でも、そのわりには蘊蓄というより
能書きが多いのね、と思って
本の後ろの方を見たら、
1998年に第119回目の芥川賞を受賞しているのね。
それでようやく映画がわかった、のです。
ず〜と「ファルス」と思っていたのに、
笑いが不発で、困ったな〜と思っていた、
その訳がわかったのでした。
何で「ファルス」と断じて、
映画を作らなかったのでしょうか?
筒井康隆の「俗物図鑑」を超える傑作になったのに。
こういうELMの感性はおかしい、のかも知れませんが、
あの程度の性描写、暴力描写に驚いたり感心したり、
しては逝けません。(これ、誤変換です。面倒いので放っておきます)
「ファルス」には象徴としての男根の意味もありますが、
具象としても抽象としても、それは出てきません。
形而下にも出てきません。
つまらない、と言っているのではありません。
惜しい、と言っているのです。
ELMなら、石を喰わせて殴った宇川君の頬に空いた穴に、
朧が指を入れる場面を作ります。
特殊メイクで、今ならそれくらいできます。
何より、作者が主人公に朧(ろう:おぼろ)と名付けた意味を、
真剣に考えなければいけません。
ELMなら、痰を舐める場面をワンカットで撮影します。
そこで挫けて、カット割りしてはいけないのです。
CGで、できるではありませんか。
アクチュアリティ、とはそういう事です。
「ファルス」とは、簡単に言えば「笑い」の事です。
「お笑い」ではありません。神の「哄笑」の事です。
それは、ありません。
「笑い」を理解するのは、人だけだからです。
「聖書」に「笑い」はないでしょ。
その3.
朧がシスターテレジアの所に
残飯を取りに行く時には、
ジャンパーを着ていた。
リアカーを引いて泥濘を帰って来て、
北君?を殴り倒す場面では着ていない。
鶏小屋に入って壁をぶち破る時には、
ジャンパーを着ている。
そういう細部を気にしては
いけないのかも知れませんが。
もう一度、観に行く・・・か?
その4.
bambiの実家で2泊3日目です。
持参したノートPCを開く時間が、
そうそうあるわけもなく、
今日はお留守番なので、
ようやく・・・と思ったら。
「ゲルマニウムの夜」の脚本を書いた
浦沢義雄氏の「練馬大根日記」を見つけました。
http://www.style.fm/as/05_column/urasawa11.shtml
>今日はお願いがあります。
>上野の国立博物館に建てた「一角座」という映画館に行って
>『ゲルマニウムの夜』という映画を観て貰いたいのです。
>観て貰いたいだけではなく笑って貰いたいのです。
>この映画、ほとんど誰も笑ってくれません。でも信じています、
>この日記を読んでくれている人は必ず笑ってくれる事を……。
>笑ってくれないと脚本を書いた意味がありません。
>笑ってくれるだけが真実です。
>勇気をもって笑って下さい。
>皆さんのセンスを信じています。
「ファルス」だとELMが感じたのは、
ビンゴ!!だったのです。
みなさん、観に行きましょう。
笑いに行きましょう。
上野駅の公園口近辺には案内看板が
ありませんから、国立博物館をめざして
行きましょう。
博物館前からは、案内看板もあれば
案内の人も角々に立っています。
なお、近くにはコンビニがありません。
その5.
しぶとく「ゲルマニウムの夜」の事を書くのは、
この作品が気に入っているから。
ひどい事も書くかも知れないが、
許してね。でも、読者のみなさんは、
観に行ってね。
裂けた頬に指を突っ込む場面とか、
痰を舐める場面とか、
ELMの創作、妄想じゃあないからね。
原作にあるんだ。
ELMは、そんな変態じゃあ、ないからね。
なんで、あれを外したのだろう?
映倫通していないんだから、
通すつもりがなかったのかも知れないが、
グロテスクこそが究極の笑いに直結するアイテムで、
日本映画を爆破する起爆剤のひとつなのに。
冒頭の雪原を行く黒い牛の群れに、
何の意味があったのでしょうね。
後で出てくるのは黒豚ばかり。
虚仮威しの演出としか思えません。
雪原を行く黒豚を描いていたら、
かなりシュール、かなり笑えた、のに。
一組の男女を殺して、救護院に戻って来る。
それって父殺し、母殺しの暗喩だよね。
その後で童貞を失うって、意味深だよね。
独り立ちしてから大人になるという意味で。
父を殺し、母を殺し、
ようやく人は大人に向かうのだ、と言う意味で。
短い、男女を殺した後のインサートの時、
鉄パイプを背負った朧をゴルゴダの丘で
磔になったジーザスになぞらえた人もいるが、
鉄パイプの空洞越しにあっちが見えた事を
何と思ったのだろう。
あれは、要するに朧がスカスカと言う事、だよね。
朧と言えば、月で、そぼろ、じゃあないよね。
あの鉄パイプは、朧、おぼろ、の象徴じゃん。
外見は頑丈に見えるけれど、中は空っぽ。
鮮明なようでいて、曖昧。
今日は、ここまで。
MEMOがある程度たまったら、
きちんとしたレビューを書くね。
こんなにELMがインスパイアされる。
「ゲルマニウムの夜」は観るに値するよ。
エスプレッソ、ごちそうさまでした。
銀のトレイごと会場に持ち込もうとしたのが、
ELM、です。
その6.「隣人13号」
新井浩文は、足が短い。
だから、動けば動くほど
存在がどこかコミカルになる。
ペンギンのように。
そして映画は
中村獅童でもなく、
小栗旬でもなく、
実は、新井浩文の映画になってしまう。
畏るべし、新井浩文。
「ゲルマニウムの夜」とは違うグロテスクです。
万人向けではありませんが、
一見の価値が、ありました。
7.小説「王国記」
何も考えずに手に入れたのですが、
幸い「ゲルマニウムの夜」の続編です。
「ブエナ・ビスタ」と「刈生の春」が収められています。
前編を読み終わりました。
一人称の赤羽修道士が語り部です。
そこでわかります。
朧(ろう)は朧(おぼろ)ですが、
朧(ろう)に関わる者は、朧(おぼろ)に
なるのです。
存在の耐えられない軽さ、です。
その時、朧(ろう)が朧(おぼろ)である事を、
赤羽修道士は気づくのです。
天才的に言い訳速度の早い人がいます。
その時は、そうかと思うのですが、
よく考えればその場しのぎ、です。
その場しのぎは、その場しか、しのげません。
しかし、今のところ、朧は、天才的な幼児です。
従うしか、ありません。
赤羽修道士は、従う事によって、
結界を超えていくはず、です。
天衣無縫には、縫い目がありません。
だから、綻び、ません。
今のところ・・・。
(つづく)
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MOVIE TRAP
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結構、まとめると長く、かなり、この映画と
新井浩文に執着があるのだとわかります。
その1.
ゲルマニウムには、
無機と有機があります。
無機を飲食してはいけません。
20数年前に死亡事故が発生しています。
さて「ゲルマニウムの夜」は、
語るに値する作品でしょうか?
原作を見つけて、もちろん原作と映画は別物とは
理解しているのですが、読んでいます。
遠くまで観に行ったから賞めるのではなく、
単館上映だから賞めるのではなく、
感性に忠実にレビューを書こうと考えています。
その2.
原作を読んでいて、
これは「ファルス」なのね、
随分面白い中間小説ね、と思って、
でも、そのわりには蘊蓄というより
能書きが多いのね、と思って
本の後ろの方を見たら、
1998年に第119回目の芥川賞を受賞しているのね。
それでようやく映画がわかった、のです。
ず〜と「ファルス」と思っていたのに、
笑いが不発で、困ったな〜と思っていた、
その訳がわかったのでした。
何で「ファルス」と断じて、
映画を作らなかったのでしょうか?
筒井康隆の「俗物図鑑」を超える傑作になったのに。
こういうELMの感性はおかしい、のかも知れませんが、
あの程度の性描写、暴力描写に驚いたり感心したり、
しては逝けません。(これ、誤変換です。面倒いので放っておきます)
「ファルス」には象徴としての男根の意味もありますが、
具象としても抽象としても、それは出てきません。
形而下にも出てきません。
つまらない、と言っているのではありません。
惜しい、と言っているのです。
ELMなら、石を喰わせて殴った宇川君の頬に空いた穴に、
朧が指を入れる場面を作ります。
特殊メイクで、今ならそれくらいできます。
何より、作者が主人公に朧(ろう:おぼろ)と名付けた意味を、
真剣に考えなければいけません。
ELMなら、痰を舐める場面をワンカットで撮影します。
そこで挫けて、カット割りしてはいけないのです。
CGで、できるではありませんか。
アクチュアリティ、とはそういう事です。
「ファルス」とは、簡単に言えば「笑い」の事です。
「お笑い」ではありません。神の「哄笑」の事です。
それは、ありません。
「笑い」を理解するのは、人だけだからです。
「聖書」に「笑い」はないでしょ。
その3.
朧がシスターテレジアの所に
残飯を取りに行く時には、
ジャンパーを着ていた。
リアカーを引いて泥濘を帰って来て、
北君?を殴り倒す場面では着ていない。
鶏小屋に入って壁をぶち破る時には、
ジャンパーを着ている。
そういう細部を気にしては
いけないのかも知れませんが。
もう一度、観に行く・・・か?
その4.
bambiの実家で2泊3日目です。
持参したノートPCを開く時間が、
そうそうあるわけもなく、
今日はお留守番なので、
ようやく・・・と思ったら。
「ゲルマニウムの夜」の脚本を書いた
浦沢義雄氏の「練馬大根日記」を見つけました。
http://www.style.fm/as/05_column/urasawa11.shtml
>今日はお願いがあります。
>上野の国立博物館に建てた「一角座」という映画館に行って
>『ゲルマニウムの夜』という映画を観て貰いたいのです。
>観て貰いたいだけではなく笑って貰いたいのです。
>この映画、ほとんど誰も笑ってくれません。でも信じています、
>この日記を読んでくれている人は必ず笑ってくれる事を……。
>笑ってくれないと脚本を書いた意味がありません。
>笑ってくれるだけが真実です。
>勇気をもって笑って下さい。
>皆さんのセンスを信じています。
「ファルス」だとELMが感じたのは、
ビンゴ!!だったのです。
みなさん、観に行きましょう。
笑いに行きましょう。
上野駅の公園口近辺には案内看板が
ありませんから、国立博物館をめざして
行きましょう。
博物館前からは、案内看板もあれば
案内の人も角々に立っています。
なお、近くにはコンビニがありません。
その5.
しぶとく「ゲルマニウムの夜」の事を書くのは、
この作品が気に入っているから。
ひどい事も書くかも知れないが、
許してね。でも、読者のみなさんは、
観に行ってね。
裂けた頬に指を突っ込む場面とか、
痰を舐める場面とか、
ELMの創作、妄想じゃあないからね。
原作にあるんだ。
ELMは、そんな変態じゃあ、ないからね。
なんで、あれを外したのだろう?
映倫通していないんだから、
通すつもりがなかったのかも知れないが、
グロテスクこそが究極の笑いに直結するアイテムで、
日本映画を爆破する起爆剤のひとつなのに。
冒頭の雪原を行く黒い牛の群れに、
何の意味があったのでしょうね。
後で出てくるのは黒豚ばかり。
虚仮威しの演出としか思えません。
雪原を行く黒豚を描いていたら、
かなりシュール、かなり笑えた、のに。
一組の男女を殺して、救護院に戻って来る。
それって父殺し、母殺しの暗喩だよね。
その後で童貞を失うって、意味深だよね。
独り立ちしてから大人になるという意味で。
父を殺し、母を殺し、
ようやく人は大人に向かうのだ、と言う意味で。
短い、男女を殺した後のインサートの時、
鉄パイプを背負った朧をゴルゴダの丘で
磔になったジーザスになぞらえた人もいるが、
鉄パイプの空洞越しにあっちが見えた事を
何と思ったのだろう。
あれは、要するに朧がスカスカと言う事、だよね。
朧と言えば、月で、そぼろ、じゃあないよね。
あの鉄パイプは、朧、おぼろ、の象徴じゃん。
外見は頑丈に見えるけれど、中は空っぽ。
鮮明なようでいて、曖昧。
今日は、ここまで。
MEMOがある程度たまったら、
きちんとしたレビューを書くね。
こんなにELMがインスパイアされる。
「ゲルマニウムの夜」は観るに値するよ。
エスプレッソ、ごちそうさまでした。
銀のトレイごと会場に持ち込もうとしたのが、
ELM、です。
その6.「隣人13号」
新井浩文は、足が短い。
だから、動けば動くほど
存在がどこかコミカルになる。
ペンギンのように。
そして映画は
中村獅童でもなく、
小栗旬でもなく、
実は、新井浩文の映画になってしまう。
畏るべし、新井浩文。
「ゲルマニウムの夜」とは違うグロテスクです。
万人向けではありませんが、
一見の価値が、ありました。
7.小説「王国記」
何も考えずに手に入れたのですが、
幸い「ゲルマニウムの夜」の続編です。
「ブエナ・ビスタ」と「刈生の春」が収められています。
前編を読み終わりました。
一人称の赤羽修道士が語り部です。
そこでわかります。
朧(ろう)は朧(おぼろ)ですが、
朧(ろう)に関わる者は、朧(おぼろ)に
なるのです。
存在の耐えられない軽さ、です。
その時、朧(ろう)が朧(おぼろ)である事を、
赤羽修道士は気づくのです。
天才的に言い訳速度の早い人がいます。
その時は、そうかと思うのですが、
よく考えればその場しのぎ、です。
その場しのぎは、その場しか、しのげません。
しかし、今のところ、朧は、天才的な幼児です。
従うしか、ありません。
赤羽修道士は、従う事によって、
結界を超えていくはず、です。
天衣無縫には、縫い目がありません。
だから、綻び、ません。
今のところ・・・。
(つづく)
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