真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと
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イタリアの画家から「盗作」したということで、いっとき話題になった和田義彦画伯と、いまネット上で大変人気のあるIT作家わらし仙人とを比べるのは、何とも申し訳ないのだが、両者に共通しているキーワードがある。
「パクリ」である。和田氏は自分の絵が「盗作」であることを否定しているが、二人の画家の作品にあれほど似た構図があって、後で描いたのが和田氏だということからすれば、和田氏の絵が「パクリ」であることには違いないであろう。
一方、わらし仙人のほうは、「パクリ方講座」なるものを書いていて、他者の文章からいかにパクリ、自分の文章として完成するかということを事細かに教えている。
パクリとは「盗む」ことではなくて「借りる」ことだと仙人は言う。それも、単なる借用ではなくて、他者の文章のスタイルやパターンを真似しつつ、そこに自分独自の経験を加えた、いわば「創造的借用」なのだと言う。
こういう文章術こそまさにIT時代のものであり、正当化されるものだというのが、仙人の主張である。
私は、こういうことをズバリ言ってのけるわらし仙人に、IT時代の将来を見通した先駆者的な姿、ヒーロー的なイメージを見るのだが、このことについては、稿を改めて述べることにしよう。
さて、こういうわらし仙人の発想が、和田義彦氏の制作方法と完全に一致していることは明らかなのだが、ただ一つ決定的な違いがある。
それは、両者の姿勢だ。わらし仙人は、他人の文章をそのまま書けば「盗作」になることを認め、さまざまなアレンジの方法を用いて、自分の新しい作品に昇華させることを説く。
これに対して、和田氏のほうは、他人の絵のパターンをそっくりそのまま写しながら、それが「盗作」であることは認めない。
つまり、わらし仙人は、「パクリ」のポジティブな意味を認めながら、最後の一線を守ること、完全な模写をしてはならないと言うのであるが、和田氏のほうは、あれほど類似した構図を用いながら、「パクリ」をネガティブに捉え、パクリであることをあくまで否定する。
実は、私は、和田氏のこの固い信念の内に、この画家の芸術創造の意味を解く鍵があると思っているのだが、もう一つ、彼の行動の謎を解く鍵になるのではないかと思われる事実にも触れておきたい。
私がいちばん不思議に思うのは、和田氏はなぜ、元の絵のパターンをほとんど変えることなく、そっくりそのまま描き出したのかということである。
意図的に盗作する者なら、むしろパターンを変えて描いたはずである。和田氏の画家としての才能をもってすれば、そんなことは朝飯前だったであろう。複写することしかできないという無能な画家ならいざ知らず、和田氏ほどの力量のある画家なら、適当にアレンジすることは容易であっただろう。
それを敢えてせず、あの「盗作」と言われた20数枚の絵を堂々と公表した和田氏の心の内に、この事件の意味を解く鍵があるのではないかと思うのである。
世間は、奇矯な芸術家の、常識はずれな言動ぐらいにしか思わなかったのであろうが、その常識はずれに見える言動のうちにこそ、何か真実が隠されているようにも思えるのである。
和田氏にとっては、元のイタリア人の絵に変更や修正を施して、あたかも自分の創作であるかのように仕上げることこそ、正真正銘の贋作であり、パクリであったのではないだろうか。
いずれにせよ、和田氏の生きるイメージの世界では、模倣にせよ、パクリにせよ、目につきやすいことは確かである。ところが、言葉の世界では、文章をそっくりそのまま写し取らないかぎり、盗作もパクリもほとんど気づかれずに通用していることが多い。
わらし仙人は、他人の思考に頼らないで本を書ける人間は1%にも満たないのが今の時代だと言っているが、実は、そういう現象は、もうかなり前から始まっていると言ってよい。
とりわけ、私が関わっている哲学系・思想系の学界では、実験に基づいて実証的に新しい知識を見つけていく自然科学系とは異なって、言葉だけで内容を組み立てていくので、どれが本物でどれが偽物なのか判らない、一種の無政府状態に陥っている。
独創的な研究になればなるほど、それが判る人が少なくなるので、他人の思想をパクリまくって、巧妙につなぎ合わせた研究と区別できなくなる。他人の文章をアレンジして、自分の作品にしてしまう才能に長けている人は多いので、「盗作」とは見えない盗作が氾濫している世界なのだ。
こういう世界でも、時とすると他人の著書をそっくりそのまま写した本が見つかることがある。ちょうど、作家や記者が他人の文書を剽窃したとしてニュース種になるのと同じだ。なんでこんなバカなことを、と人は思うかも知れない。もっとうまくやれたはずなのに、と。
しかし、これしかできないこともあるのだ。文体にも、論理にも、筋の運び方にも独創性があって、どうしてもうまく書き換えることができない。結局、あるがままにパクってしまう他はないということになる。
私は、或る本に、「野球は筋書きのないドラマだとよく言われるが、筋書きはある。あまりにも単純な筋書きなので見落とされてしまうかもしれないが、自分の技術を磨くために努力した者は勝つ、という筋書きである」という文章を書いた。
しばらくして、この文章が一言一句違わず、或る野球解説者の口から出てくるのをテレビで見聞したのである。見事に全文パクラれたことになるが、私はそんなふうには感じなかった。
実は、うれしかったのである。私の本の読者が一人ここにいた。彼がその一節を、タイミングの良い文脈で語ってくれたことに、感謝の気持ちでいっぱいになった。私と彼の、そして彼を通して視聴者全体との、人間的なコミュニケーションが、いっきに成立したような気分だった。
そして、考えたのである。著作権とは何だろうと。それが、商品の製作権や販売権として法的規制に用いられるのはやむを得ないが、言葉やイメージの独占的な所有権のように見られることには問題がある、と。
誰ひとり自分の書いた文章に、自分の発言した言葉に所有権を持つことはない。それは、他者に向かって発せられ、他者が読み取り、聞き終わった瞬間に消失するものであって、単なるコミュニケーションの記号にすぎない。
他者がその記号をどう使おうが自由なのである。わらし仙人は、他人の文章をそのまま書き写すのは「盗作」だと言ったが、それさえも盗作でもなければパクリでもないという視点が開けてくるのではないだろうか。
和田義彦画伯が、他人のイメージを模写しながら、それを「盗作」とは認めなかった視点とも重なってくるように思えるのである。
私がこういう問題に初めて直面したのは、大学に勤め始めた頃だった。学生が提出した哲学のレポートに、本人の文章がなく、何人かの哲学者の書いたものを取り混ぜて、書き写してあった。
その学生は私の部屋へ来て、これはコラージュの手法を用いた正当なレポートだと言い張った。そういえば、この学生は絵画部に属していた。
彼とはそのあと喫茶店へ行って、長々と議論し合ったことを覚えている。結論はどうなったのか忘れてしまったが、不合格にはしなかった。
当時、広告写真家のマッド・アマノが、山岳写真家の白川義員と裁判で争っていた。アマノは、白川の写した雪山の写真に自動車のタイヤの絵を重ねて合成写真を作ったのである。これも創作か盗作かが問題であった。
しかし、いったん公にされたイメージに所有権の概念を持ち込むと、自由な創造性が阻害されることは確かである。特に、言葉の場合、真に独創的な言葉などというものはあり得ない。すべての言葉が、結局は貰い物である。
私の言葉は、父母の言葉、先生の言葉、友人の言葉、メディアの言葉をパクったものであり、父母の言葉は祖父母の言葉、先人の言葉をパクったものである。
日本製CDの海賊版を出したことでなじられた中国人が、お前ら日本人は、中国人が発明した漢字を盗んだではないかと言ったそうだが、確かにパクリ合うことによって文化は発展してきた。
そして、今、IT時代に入って、盗むとか、借りるとか、パクルといった制約のない、自由な言葉の世界が始まろうとしているのではないだろうか。
これにちょっと遅れて、イメージの世界も加わろうとしている。グーグルのユーチューブ買収がそれを象徴しているように。
この問題についての結論と分析は、いま執筆中の『和田義彦画伯の芸術』(ビワコ・エディション出版予定)で示すつもりだ。
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清潔クラブ─清潔について語ろう
発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000216973.html
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真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと
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BSで放送されている清潔マニアの名探偵モンクは、ヌーディストが嫌いである。4月15日に放映された「恐怖のヌーディスト」では、若い女性が深夜の海岸で殺されたため、モンクも助手のナタリーを連れて捜査を助けにやって来る。
その海岸はヌーディストたちの溜まり場になっていた。モンクは、ジープに乗って海岸へやって来た上半身裸の男を見るなり、シャツを着てくれという注文を出す。男が言われた通りにシャツを着て、ジープから降りてきたのを見ると、下半身は丸出しだった。
これは、嫌いなものを避けようとして、もっと嫌いなものに出会ってしまうという、よくあるお笑いのパターンだ。モンクが何よりも避けたかったのは、むき出しの肉体を見ることだったということがよく分かる。
上半身裸の男を見ることだったら、モンクだってそれほどムキにはならなかったであろう。海岸へ行けば、そんな男はいくらでもいるだろうし、日常生活でも、人々の裸の姿や画像はいくらでも目に入ってくる。
モンクがいちいちそんなことを気にしていたら、この現代社会で暮らすことなどできないだろうし、また、これまでのシリーズを私が見たかぎりでは、そんな場面に出会ったことは一度もなかったように思う。
モンクがヌーディストの男にシャツを着るようにと言ったのは、その男の裸が主義主張を含んでいて、単に上半身裸だというだけでは納まらないからであろう。上半身の裸は、下半身の裸を予想させるからである。
そして、モンクの清潔好きとヌーディスト嫌いとが結びつくのは、まさにこの点なのである。
下半身を丸出しにすることは、昔から不潔と考えられてきた。旧約聖書で、アダムとイブの創造神話が象徴的に語っているところでは、禁断の果実を食べた後でこの二人が初めて示した行為は、自分たちの前を隠すことであった。
私は、この行為のうちに、人類が持つ恥じらいの感情ばかりでなく、それとともに清潔・不潔の観念の起原を見るということを、以前にも書いたことがある(ブログ「ハエを叩いて三千里」)。
この解釈に基づいて言えば、人類の歴史は、清潔と感じられるものを見せ、不潔と感じられるものを隠すことから始まったと言える。
何が清潔で何が不潔か、どこまでが清潔でどこまでが不潔か、この感覚には微妙なところがあって、個人差や状況の違いによっても左右されるし、科学的には説明できない謎の部分を含んでいると言える。無菌状態にあるものが必ずしも清潔と感じられるわけではないであろう。
アダムとイブも、彼らの裸身すべてを隠そうとしたわけではなかった。裸にはむしろ清潔感もあれば美しさもある。女性のヌードには魅力があるし、スポーツ選手の鍛え抜かれた肉体にも美しさや清潔感がある。
しかし、例えば、プールサイドに居並んだ水泳選手たちがみなヌーディストに変身してしまったら、私たちはいったいどう反応するだろう? 普通の感覚ならば、私たちは本能的に目を逸らすか閉じるかして、自分の目からその光景を隠そうとするに違いない。
その本能の根源にあると考えられるのが、清潔・不潔の観念に他ならないのである。従って、清潔好きのモンクがヌーディストを嫌うのは、人間の本性に従ったごく自然な感情だと言ってよいであろう。
NHKの解説を見ると、モンクのそのような傾向を「ヌーディストへの偏見」と呼び、かなり手厳しい見方をしているが、これは単なる好き嫌いの問題であって、決して病的な偏った精神と考えてはならないであろう。むしろ、人間の自然的な傾向としては、モンクのような感じ方のほうが一般的だと言えるのである。
ヌーディストたちは、人間が本来持っているはずの純粋な自然に還ることを主張するが、そこではむしろ、人間にとって最も反自然的な行為が必要になるとも言えるのである。
というのも、人間や人間が造り出した物には、見せてもよい部分と、見せてはならない部分、あるいは見せたくはない部分とがあり、その全ての部分をさらけ出すことは自然とは言えないからである。
BS海外ドラマの一つ「気分はぐるぐる」(4月21日放映)では、母親の裸体彫刻が展示会に出されるのを娘が嫌って、さまざまな妨害工作をする話が面白おかしく描かれていたが、通常のドラマでは、なぜイヤなのかという感情の深層までは問題にしない。
娘は単純に母親の裸体が不潔だとか醜いと思ったわけではないだろうが、とにかく恥ずかしいから隠したいという否定的な感情を持ったことは確かである。
何が恥ずかしくて何が隠したかったのか、何がそのような否定的な感情を引き起こしたのか、問題は複雑だが、今はそのような詮索はやめておいて、人間は本能的に何かを見せようとする一方で何かを隠そうとする感情を備えているという事実だけに注目しよう。
何を見せ何を隠したいか区別する感覚の基礎に、「清潔」と「不潔」の観念があると言える。ここでいう清潔と不潔は、私たちが通常使っている意味よりももっと広く、キレイ・キタナイからイイ・イヤダ、時にはヨイ・ワルイといった意味にもなる識別の観念だと思ってほしい。
そのような意味で、人間の肉体のみならず人間の精神にも、見せてもよい清潔な部分と、見せてはならない、あるいは見せたくない不潔な部分とがあると言うことができる。歴史や社会についても同様である。
清潔を愛し、マニアックに不潔なものを拒もうとするモンクが、探偵業に情熱を燃やし、社会の清潔と不潔の葛藤に身を置こうとする衝動をここに見ることができよう。
清潔マニアの探偵を主役に立てたドラマ制作者の狙いも、おそらくこの辺にあるのに違いない。ドラマの冒頭に使われているシーンで、崩れ落ちたゴミ袋に埋もれてもがいているモンクの姿は、社会の不潔と戦う人間を象徴しており、ドラマ制作者の意図を示しているものと思われる。
モンクが最初に戦いを挑むのは、真実と虚偽、本当と嘘の判定である。虚偽や嘘の背後に隠された真実を明るみに出し、社会の不潔な部分を清潔な部分へと塗り替えていく。犯人たちは、嘘をつくことがどんなに不潔な行為か思い知らされるであろう。
しかし、ここで問題になるのが、そのような追求の限界である。それ以上は進めない、それ以上は見せてはならないという究極の不潔さにいずれは到達するであろう。その隠さねばならない最終的な部分を人間の根源悪、すなわち「原罪」と認めるのが、ユダヤ・キリスト教的な発想にほかならない。
原罪の事実は見せてはならないものである。人間の本性に根ざした殺しの衝動、犯罪への意志は、周囲を清潔な壁で固め、罪の意識と信仰の力によって密閉し、人間からは隠しておかなければならない。
しかし、この場合、人間の行為のどこまでが清潔で、どこからが不潔かということは、簡単には決められない困難な問題を含んでいると言える。人間の思考は限られており、どれが最終的な認識かということさえ判らないからだ。
それを知るための最も手っ取り早い方法として、モンクのようなヌーディスト嫌いという性向は、それを課題として自覚するかぎり、分かりやすい目印になるであろう。人間がどこまでを見せ、どこから隠さねばならないかということを考えるきっかけになるからだ。
中世のキリスト教会に基礎を持つ貴族主義や騎士道精神が、肌の露出を徹底的に抑える方向を目指してきたのに対して、異教的なギリシャ精神は、裸体の自由な解放を目指してきた。
一方は、隠すことに清潔を求め、一方は、見せることに清潔を求める。この両極端の間に立って、私たちはもう一度、清潔・不潔の意味を考え直してみる必要があろう。
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真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと
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大江健三郎さんはすごい。これがノーベル賞作家というものなのかとつくづく思う。今でもどんどん小説や評論を書いていて、創作意欲はいっこうに衰えていない。さらに、その間には世界の大作家らと文通し、これぞ大先生と思わせるような堂々たる文章を書いている。
また、今回の「沖縄ノート」裁判では、元戦士や遺族の訴えを斥け、まずは第一審での勝利を収めた。このことについては、ブログの(2)で述べることにしよう。
私は、大江さんより二つ年下で、世代としては同じ戦後派に属するが、物の考え方と言い、行動の広さと言い、大江さんにはとうてい太刀打ちできるものではなく、何ともお恥ずかしいかぎりである。
実は、正直言うと、大江さんの作品としては、「死者の奢り」という短編しか読んだことがなく、私はこれが芥川賞受賞作だとばかり思っていた。その後、或る雑誌に連載されていた小説の一部を読んで、大江さんの書いた本はもうこれかぎりにしようと思っていたのだ。
そこにはこんなことが書かれていた。仰向けに寝転んだ主人公の顔を、裸の女性に跨らせて、しゃがんだり立ったりさせるのだ。主人公はそれを下から眺めているのである。
私は、こういうすごい小説を読んでいると人生がイヤになってしまいそうなので、それ以上読むのをやめてしまった。その頃の私には、淡いプラトニックな愛を寄せている女性がいたので、彼女のためにも、人生の美しい側面にのみ想いを馳せていたかったのだ。
ところが、三十数年後、大江さんがノーベル文学賞を取ったという報道に接し、ビックリ仰天したのである。私はそれまで、大江さんをポルノ作家風の文学者だと決めつけていたので、ここで考えを改めねばならないと思った。
ノーベル賞の選考委員の中には、日本語の判る人もたくさんいて、大江さんの文学が単なるセックス描写にとどまらず、もっと深い意味や思想を持っていることを読み取ったのに違いない。私も日本人として、この偉大な作家の文学作品に改めて触れてみようと思い立ったのである。
そこで、まず手始めとして、私は、ノーベル賞受賞後の大江さんの講演をいくつかテレビで聞くことにした。そして、今や大江さんが大変な平和主義者であり、戦争と平和に関する沢山の著書を残していることを知った。
講演の一つに、日本軍の真珠湾攻撃について語ったものがあって、私はそれには痛く感服したのだった。大江さんは、子供の頃からすでに大変な平和主義者であったことを知ったからである。
真珠湾攻撃の翌日、大江さんの家の番頭さんだったか使用人だったかが駆けつけて、大江さんの家族の前でその報告をしたそうだ。
大江さんはその話を聞いて、「これは良くないことだ」「やってはならないことだ」と思ったそうである。「休日の真珠湾」で、アメリカ人の男女が「ダンスパーティ」を楽しんでいる所へ、日本軍が爆弾の雨を降らすなんてもってのほかだ、というのが大江さんの弁だった。
私は、この話を聞いて、やっぱりノーベル賞を取る人はすごいと思ったのである。真珠湾攻撃の時、大江さんは六歳だった。その六歳の子供が、即座に反戦的な立場に立って、日本軍に批判的な判断をくだすなんて、私にはとうてい考えられないことだった。
あの頃の自分自身のことを考えてみると、私は、国家のことも、世界のことも何も知らず、日本がアメリカと戦争を始めたことぐらいは何となく分かっていたが、戦争が悪いものだと判断する分別はまだ全く備えていなかったように思う。
大江さんより年下だったせいかも知れないが、戦争がいつ始まったのかということも特に意識したことはなく、真珠湾攻撃がその幕開けだったということも知らなかった。そういうことが歴史的な認識になるのはもっと後だったように思う。
ただ、日本は「鬼畜米英」を相手に戦争をしている、日本の陸海空軍はあちこちで敵をやっつけている、などといったことがいつの間にか頭に入っていて、子供ながらに戦争に勝つことを願い、日本軍の戦況に一喜一憂するというのが、私ばかりでなく、当時の子供たちのごく自然な姿であった。
私は、いっぱしの軍国少年で、自分の国のすることには何の疑いも抱かず、大人たちの教えるままに「鬼畜米英」を敵視し、いずれは日本のために、天皇のために戦うつもりでさえいた。真珠湾攻撃の話を聞いた時は、それこそ胸躍る思いで、日本の隼やゼロ戦の勇姿を思い浮かべたものである。
私の周辺にいた同年輩の子供たちはみんな似たり寄ったりだったように思う。あの時代に、平和を愛する反戦的な少年なんて、ちょっとやそっとではお目にかかれない存在だった。また、そんな子供がいたとしたら、仲間から大変な迫害を受けたであろう。
大江さんはまさにそういう存在だったと思う。真珠湾攻撃を悪だと断定することは、当時としては、とりわけ小学校に入ったばかりの六歳の子としては、ちょっと考えられないことなのだ。六歳にして善悪を弁えていた大江さんのような存在は、まるで神童に近く、それだけでも周囲の子供たちから浮き上がってしまったであろう。大江さんはさぞかし孤独で苦しい少年時代を送ったに違いないのである。
そればかりか、真珠湾攻撃の日が休日だったとか、その時みんながダンスパーティをやっていたなどということを大江さんが知っていたのは、実に驚くべきことなのだ。私などは、大江さんの講演を聞くまでは、全く考えてもみなかったことだ。
それが、あの時代に、あんなに情報の乏しかった時代に、六歳の大江さんがそこまで考え、そこまで敵国の事情や生活習慣を知っていたというのは、実に驚くべきことであり、まさに天才的な頭脳の成せる業だと言ってよいであろう。
大江さんはどこからそういう知識を得ていたのだろう。私たち同年輩の子供たちにとって、最も頼りになる情報源は、講談社の絵本であった。子供たちの憧れる英雄は、楠正成や源義経などの戦国武将や、東郷平八郎元帥、乃木希典大将、広瀬武夫中佐、山本五十六司令官、加藤隼戦闘隊長、爆弾三勇士といった軍神と呼ばれる人たちであったが、それらの知識のほとんどは講談社の絵本を通して得られたものである。
外国人としてはヒトラーやムッソリーニの名前が高かった。ヒトラーを讃えた講談社の絵本は、私の愛読書のひとつだった。この絵本に出てくるヒトラーの軍服姿は子供たちの憧れで、七五三のお祝いにはその格好をした少年も多かった。実は、恥ずかしながら、私にもそんな写真が残っている。
私の周りにいた同年輩の子供たちは、まだ幼かったので特別な教育を受けたわけでもないのに、「鬼畜米英」に勝つことを願う点にかけては大人以上であった。おそらく、まったく理屈なしにそう信じていたので、より純粋に軍国少年であったのだろう。
大江さんの精神的風土が、こういう私たちの世界とは全く異なることに驚きを感じるのである。大江さんは、軍国少年たちの烏合の衆とは遙かに離れた高い場所にいて、戦争の是非を判断し、休日を楽しむ人々に攻撃を加えることが罪悪であると反省していたのである。
これは、たとえ戦争であっても、安息日は守らねばならないというユダヤ思想に由来しており、小学校の一年生になったばかりの大江さんがどこからこういう発想を身に着けていたのか、非常に興味の持たれるところである。
私の周辺にできていた軍国少年ばかりの勇ましい集団の中にも、一人だけ例外がいた。隣家の子なので私とはよく遊んだ。
「日本は戦争に負けたほうがいいんだ」と彼は言った。
「どうしてなんだ?」
私がキッとなって尋ねると、
「戦争に負けたら、ロックだって食べられるし、コーヒーだって飲めるんだ」と言う。
「えっ、何だって?」
私はとっさに意味が飲み込めなかった。
「お前の伯父さんが言ってたことだぞ」と彼は言った。
私は、そこで、伯父のところへ飛んで行ったのである。
「伯父さん、日本は戦争に負けるもんか」と私は抗議した。
「あれ、そんなこと言ったかな」と伯父は苦笑いをした。
伯父は、戦前外国航路の船乗りをしていたが、戦争が始まるとすぐに会社をやめ、家でブラブラしていた。毎週街へ出ては、風月堂でロックと呼ばれる固いパンケーキを買ってきて、コーヒーを飲みながら食べるのを楽しみにしていた。隣家の子にもよくそのロックをやっていたのである。
「私だって日本が勝つことを願っているよ。ただ、あちらさんとは物資の量が違うんだ。日本には戦争を続けるだけの物資が無いんだよ」と伯父さんは言った。
「だから、日本は負けるだろうとあの子に言ったんだ」
大江さんとはだいぶ異なる精神状態だが、日本の戦争には否定的だった子供の唯一の例である。彼は、学校では仲間外れにされていた。なぜ、そんな考え方になってしまったのか、隣家の子なので私にはよく判っていた。
彼は、母親に虐待されていたのである。特に食べ物での虐待が酷かった。母親が留守の時、私は一度誘われて彼の家に入ったが、彼は台所のゴミ籠からリンゴの皮を拾って口に入れた。
「リンゴの皮だってけっこう旨いんだぞ」と彼は言った。果実のほうは貰ったことがないそうだ。彼は、母親が近所の人と立ち話をしていると、こっそり大きな石を運んできて、母親の後ろに置くのだった。母親がそれに躓いてよろけるのを見るのが、彼の唯一のウップン晴らしだった。
彼は、私の伯父から貰う一個のロックのためだったら、日本など負けてもよいと考える唯一の存在だったが、こういう珍しい異質な少年を除けば、私の周辺には、日本が勝つことを真剣に願い、帝国軍人を崇め、自分もいつかはお国のために戦おうという子供たちしかいなかった。
そういう時代にあって、大江さんがいかに卓越した少年であり、私たちの誰とも異なったスゴイ存在であったかということがよく判るであろう。
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大江健三郎さんはすごい。これがノーベル賞作家というものなのかとつくづく思う。今でもどんどん小説や評論を書いていて、創作意欲はいっこうに衰えていない。さらに、その間には世界の大作家らと文通し、これぞ大先生と思わせるような堂々たる文章を書いている。
また、今回の「沖縄ノート」裁判では、元戦士や遺族の訴えを斥け、まずは第一審での勝利を収めた。このことについては、ブログの(2)で述べることにしよう。
私は、大江さんより二つ年下で、世代としては同じ戦後派に属するが、物の考え方と言い、行動の広さと言い、大江さんにはとうてい太刀打ちできるものではなく、何ともお恥ずかしいかぎりである。
実は、正直言うと、大江さんの作品としては、「死者の奢り」という短編しか読んだことがなく、私はこれが芥川賞受賞作だとばかり思っていた。その後、或る雑誌に連載されていた小説の一部を読んで、大江さんの書いた本はもうこれかぎりにしようと思っていたのだ。
そこにはこんなことが書かれていた。仰向けに寝転んだ主人公の顔を、裸の女性に跨らせて、しゃがんだり立ったりさせるのだ。主人公はそれを下から眺めているのである。
私は、こういうすごい小説を読んでいると人生がイヤになってしまいそうなので、それ以上読むのをやめてしまった。その頃の私には、淡いプラトニックな愛を寄せている女性がいたので、彼女のためにも、人生の美しい側面にのみ想いを馳せていたかったのだ。
ところが、三十数年後、大江さんがノーベル文学賞を取ったという報道に接し、ビックリ仰天したのである。私はそれまで、大江さんをポルノ作家風の文学者だと決めつけていたので、ここで考えを改めねばならないと思った。
ノーベル賞の選考委員の中には、日本語の判る人もたくさんいて、大江さんの文学が単なるセックス描写にとどまらず、もっと深い意味や思想を持っていることを読み取ったのに違いない。私も日本人として、この偉大な作家の文学作品に改めて触れてみようと思い立ったのである。
そこで、まず手始めとして、私は、ノーベル賞受賞後の大江さんの講演をいくつかテレビで聞くことにした。そして、今や大江さんが大変な平和主義者であり、戦争と平和に関する沢山の著書を残していることを知った。
講演の一つに、日本軍の真珠湾攻撃について語ったものがあって、私はそれには痛く感服したのだった。大江さんは、子供の頃からすでに大変な平和主義者であったことを知ったからである。
真珠湾攻撃の翌日、大江さんの家の番頭さんだったか使用人だったかが駆けつけて、大江さんの家族の前でその報告をしたそうだ。
大江さんはその話を聞いて、「これは良くないことだ」「やってはならないことだ」と思ったそうである。「休日の真珠湾」で、アメリカ人の男女が「ダンスパーティ」を楽しんでいる所へ、日本軍が爆弾の雨を降らすなんてもってのほかだ、というのが大江さんの弁だった。
私は、この話を聞いて、やっぱりノーベル賞を取る人はすごいと思ったのである。真珠湾攻撃の時、大江さんは六歳だった。その六歳の子供が、即座に反戦的な立場に立って、日本軍に批判的な判断をくだすなんて、私にはとうてい考えられないことだった。
あの頃の自分自身のことを考えてみると、私は、国家のことも、世界のことも何も知らず、日本がアメリカと戦争を始めたことぐらいは何となく分かっていたが、戦争が悪いものだと判断する分別はまだ全く備えていなかったように思う。
大江さんより年下だったせいかも知れないが、戦争がいつ始まったのかということも特に意識したことはなく、真珠湾攻撃がその幕開けだったということも知らなかった。そういうことが歴史的な認識になるのはもっと後だったように思う。
ただ、日本は「鬼畜米英」を相手に戦争をしている、日本の陸海空軍はあちこちで敵をやっつけている、などといったことがいつの間にか頭に入っていて、子供ながらに戦争に勝つことを願い、日本軍の戦況に一喜一憂するというのが、私ばかりでなく、当時の子供たちのごく自然な姿であった。
私は、いっぱしの軍国少年で、自分の国のすることには何の疑いも抱かず、大人たちの教えるままに「鬼畜米英」を敵視し、いずれは日本のために、天皇のために戦うつもりでさえいた。真珠湾攻撃の話を聞いた時は、それこそ胸躍る思いで、日本の隼やゼロ戦の勇姿を思い浮かべたものである。
私の周辺にいた同年輩の子供たちはみんな似たり寄ったりだったように思う。あの時代に、平和を愛する反戦的な少年なんて、ちょっとやそっとではお目にかかれない存在だった。また、そんな子供がいたとしたら、仲間から大変な迫害を受けたであろう。
大江さんはまさにそういう存在だったと思う。真珠湾攻撃を悪だと断定することは、当時としては、とりわけ小学校に入ったばかりの六歳の子としては、ちょっと考えられないことなのだ。六歳にして善悪を弁えていた大江さんのような存在は、まるで神童に近く、それだけでも周囲の子供たちから浮き上がってしまったであろう。大江さんはさぞかし孤独で苦しい少年時代を送ったに違いないのである。
そればかりか、真珠湾攻撃の日が休日だったとか、その時みんながダンスパーティをやっていたなどということを大江さんが知っていたのは、実に驚くべきことなのだ。私などは、大江さんの講演を聞くまでは、全く考えてもみなかったことだ。
それが、あの時代に、あんなに情報の乏しかった時代に、六歳の大江さんがそこまで考え、そこまで敵国の事情や生活習慣を知っていたというのは、実に驚くべきことであり、まさに天才的な頭脳の成せる業だと言ってよいであろう。
大江さんはどこからそういう知識を得ていたのだろう。私たち同年輩の子供たちにとって、最も頼りになる情報源は、講談社の絵本であった。子供たちの憧れる英雄は、楠正成や源義経などの戦国武将や、東郷平八郎元帥、乃木希典大将、広瀬武夫中佐、山本五十六司令官、加藤隼戦闘隊長、爆弾三勇士といった軍神と呼ばれる人たちであったが、それらの知識のほとんどは講談社の絵本を通して得られたものである。
外国人としてはヒトラーやムッソリーニの名前が高かった。ヒトラーを讃えた講談社の絵本は、私の愛読書のひとつだった。この絵本に出てくるヒトラーの軍服姿は子供たちの憧れで、七五三のお祝いにはその格好をした少年も多かった。実は、恥ずかしながら、私にもそんな写真が残っている。
私の周りにいた同年輩の子供たちは、まだ幼かったので特別な教育を受けたわけでもないのに、「鬼畜米英」に勝つことを願う点にかけては大人以上であった。おそらく、まったく理屈なしにそう信じていたので、より純粋に軍国少年であったのだろう。
大江さんの精神的風土が、こういう私たちの世界とは全く異なることに驚きを感じるのである。大江さんは、軍国少年たちの烏合の衆とは遙かに離れた高い場所にいて、戦争の是非を判断し、休日を楽しむ人々に攻撃を加えることが罪悪であると反省していたのである。
これは、たとえ戦争であっても、安息日は守らねばならないというユダヤ思想に由来しており、小学校の一年生になったばかりの大江さんがどこからこういう発想を身に着けていたのか、非常に興味の持たれるところである。
私の周辺にできていた軍国少年ばかりの勇ましい集団の中にも、一人だけ例外がいた。隣家の子なので私とはよく遊んだ。
「日本は戦争に負けたほうがいいんだ」と彼は言った。
「どうしてなんだ?」
私がキッとなって尋ねると、
「戦争に負けたら、ロックだって食べられるし、コーヒーだって飲めるんだ」と言う。
「えっ、何だって?」
私はとっさに意味が飲み込めなかった。
「お前の伯父さんが言ってたことだぞ」と彼は言った。
私は、そこで、伯父のところへ飛んで行ったのである。
「伯父さん、日本は戦争に負けるもんか」と私は抗議した。
「あれ、そんなこと言ったかな」と伯父は苦笑いをした。
伯父は、戦前外国航路の船乗りをしていたが、戦争が始まるとすぐに会社をやめ、家でブラブラしていた。毎週街へ出ては、風月堂でロックと呼ばれる固いパンケーキを買ってきて、コーヒーを飲みながら食べるのを楽しみにしていた。隣家の子にもよくそのロックをやっていたのである。
「私だって日本が勝つことを願っているよ。ただ、あちらさんとは物資の量が違うんだ。日本には戦争を続けるだけの物資が無いんだよ」と伯父さんは言った。
「だから、日本は負けるだろうとあの子に言ったんだ」
大江さんとはだいぶ異なる精神状態だが、日本の戦争には否定的だった子供の唯一の例である。彼は、学校では仲間外れにされていた。なぜ、そんな考え方になってしまったのか、隣家の子なので私にはよく判っていた。
彼は、母親に虐待されていたのである。特に食べ物での虐待が酷かった。母親が留守の時、私は一度誘われて彼の家に入ったが、彼は台所のゴミ籠からリンゴの皮を拾って口に入れた。
「リンゴの皮だってけっこう旨いんだぞ」と彼は言った。果実のほうは貰ったことがないそうだ。彼は、母親が近所の人と立ち話をしていると、こっそり大きな石を運んできて、母親の後ろに置くのだった。母親がそれに躓いてよろけるのを見るのが、彼の唯一のウップン晴らしだった。
彼は、私の伯父から貰う一個のロックのためだったら、日本など負けてもよいと考える唯一の存在だったが、こういう珍しい異質な少年を除けば、私の周辺には、日本が勝つことを真剣に願い、帝国軍人を崇め、自分もいつかはお国のために戦おうという子供たちしかいなかった。
そういう時代にあって、大江さんがいかに卓越した少年であり、私たちの誰とも異なったスゴイ存在であったかということがよく判るであろう。
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清潔クラブ─清潔について語ろう
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☆ ☆ ☆
私の義母、通称ママは、生涯人前ではオナラをしなかった。前回そういうことを書いたのだが、このことについては、娘である妻にもまったく異論は無かった。
妻は、幼い頃から身近に母親と接してきたので、私の知らないこと、例えば、鼻をほじったことも無いとか、爪楊枝を使ったことも無いなどといったことまで、詳しくコメントを入れてくれた。
ところが、前回私が書いたことのうちに一つだけ、妻とはまったく異なる観察結果があったのだ。私は、七年半のパリ生活で、人がオナラをするのを一度も聞いたことがないと書いたのだが、妻によれば、街の色々なところで、何度もその発射音を耳にしたという。
それも、発射していくのはすべて女だそうで、彼女らは何の悪びれた様子もなく、当たり前のような顔をして通り過ぎていくということだった。
パリで生活している間、私と妻は行動を共にしていることが多かった。街なかを歩く時はたいてい二人一緒だった。それが、一人はまったくそれらしい音を聞いた覚えが無く、一人はいつも聞いていたということになる。
この違いはいったいどこから来ているのだろう。オナラなどというハシタないことについて書くのは一回限りにしておこうと思っていたのだが、このことはどうしても訂正しておかなければならないと思い、やむなく二発目ということになった。
妻の意見では、街を歩く時の緊張度が違うのではないかということだった。妻のほうは守られている側なので、ノンビリ安心して身近なものに気を配っている。守る側にいる私のほうは、それより一回り広い範囲に注意を払っているので、ごく身近なことには気が付かないのではないかというのだ。
そのほかに、私と妻との身長差は15センチあるので、私には低い位置での音は聞き取れないのではないかとか、私も男性だから、すれ違うパリジェンヌたちは遠慮して、私の傍ではやらないのではないかなどと色々な推理が成されたのだが、いずれも説得力のある答とは言えなかった。
結局、最初に妻が言ったように、緊張の有無と、その方向の違いによる結果だということに落ち着いたのであるが、それにしても、経験の結果にこれほどの差があるというのは驚きであった。私と妻は、同じ街なかを歩いていても、別の世界を見、別の空間に生き、別の現象を感じているのであろうか。
確かに、パリの街での緊張度は、日本の都市での比ではない。私たちも、怪しげな男に何度か付けられたり狙われたりしたことがあるし、一度は銀行の現金引出機の前でカードを盗まれたこともあった。
これでも、私などは被害の少ないほうなので、自分ではノンビリしているつもりでいたのだが、やはり周囲の動きにはかなり神経を使っていたのであろう。
高級一眼レフを持って歩くのは危険だということで、外出する時には、小型カメラしか持たないという悪いクセも付いてしまった。おかげで、パリの街の良い写真はほとんど撮れなかったのである。
現金はなるべく持ち歩かず、カードで支払うことも心がけていた。地下鉄に乗るのは避け、バスやタクシーを使ったのも、用心深くなっていたことの現れであろう。もっとも、地方へ行くと、タクシー運転手にボラれるという危険もあるが。
とにかく、こういうことなので、欧米では道行く女性が平気でオナラをするという事実は認めてもよいように思われる。妻がパリで経験したことと、その昔私の伯父がシアトルで見聞したことが一致したからである。
ただ、いずれの場合も、対象になっているのは女性であって、男性がどんな態度を取るのかということは報告されていない。伯父は、アメリカの女はこんなふうだといった調子で、面白おかしく話していたので、その点については曖昧だ。
日本では、女性であろうが男性であろうが、街なかでこんな態度を取ることは普通はあり得ないので、欧米とはかなり意識の差があると言うことができる。
それを自由の意識などという紋切り型の言葉で説明してしまうのは問題であろう。羞恥心の無さと自由の意識は必ずしも一致しないからだ。
それに、欧米の女性たちも、そんな態度を取るのは不特定多数の人々に混じった時ぐらいで、まさか自分の知ってる人や上の人の前でも遠慮なしに自由に行動しているわけではないであろう。
欧米でも、原則として、その行為はハタ迷惑であり、それを抑えることは「思いやり」や「優しさ」に通ずるものと考えられているらしいことは、すでに前回のブログでも述べておいた。
人間の自然な行為であるから許されるとは言っても、その行為自体が認められたということにはならない。
欧米では、食卓でゲップをすることは厳禁だが、鼻をかむことは許されると言われている。しかし、これもあまり派手にやると、眉を顰める人のいることを忘れてはならない。
日本では、人前でオナラをしないことが常識になっている。しかし、家族とりわけ夫婦の間では、あまり厳格にこのルールを守ると、かえって水クサイということになってしまう。
上司やお客の前では自己制御をし、自然現象を抑えている夫でも、職場から家に帰れば、そういうコントロールから解放され、自由にくつろぎたいと思う。
それを可能にするのが、夫婦間の愛情なのだ。オナラクサイほうが水クサイよりはましだと感じる愛情が妻にも夫にも無ければ、家庭での真の団欒は成立しないということになる。
この場合、重要なのは、自分の身体現象を自由にコントロールできるという意志の存在なのだ。これが失われると、自由も失われる。
職場で行動を抑えることも、家庭で解放することも、すべて自由意志にかかっている。これが失われると、職場での自己制御は美徳ではなくなり、家庭での自己解放も真に自由なくつろぎの時間にはならないであろう。
人間は老化し、いずれは身体的な制約に身を委ねねばならない時がやってくる。その時こそ、真に問われるのが夫婦間の愛情であろう。それまでの段階は、いわばその訓練期間だったと言える。
その境界をどこに認めるか、夫婦はそこへ来るまでどうやって愛情を高め合い、身体的な移行を自然なものにできるかということが重要な課題になるであろう。
昔の武家社会は、女性に対しては最初から厳格な自己制御の道を教えた。私の義母、つまりママは、まるでその見本のような存在だった。彼女は、人前では、ハシタないと言われるようなことは一切しなかった。
こういう生き方が良いのか悪いのか簡単には断定できないが、これまでに述べてきたことを考える上で、一つの良い教訓にはなるであろう。
彼女が九十歳を過ぎてアルツハイマーの症状になったため、私と妻は交替でトイレへ付いていき、彼女の面倒を見るようになった。彼女を便器に座らせ、ドアを開けたまま用を足すのを見張っているのである。
或る日、そんなママが私に対して突然叫び始めたのである。
「あんたは何ということをするんですか! わたしは人妻ですよ!」
ママの叫びがやまないので、私は慌ててトイレのドアを閉めた。彼女は静まり、一発大きなオナラをしてトイレから出てきたのである。
彼女は終生、人前ではオナラをしなかった。その秘密を私はこの時初めて知ったのだ。大小便の現場は見られても、これだけは見せられない。私は、彼女の自由意志の譲られない一線を見たような気がしたのである。
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真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと
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確か、昨年の8月12日、ロサンジェルスから放映された桂三枝の「新婚さんいらっしゃい」だったと思う。「夫は、私の前ではオナラをしない。この人は本当に思いやりがある」と語った妻がいた。
妻の前でオナラをしないことが、「思いやり」に結びつくなどとは今まで思ってもみなかったが、所変われば品変わるということで、日本人もアメリカで暮らしているとそんな考え方になるのかなというのが、その時の感想だった。
だが待てよ、と私は思ったのである。子供の頃、伯父から聞かされた話があった。伯父は、太平洋戦争が始まった頃、日本の郵船会社で船乗りをしていた。戦前のシアトルなどへもよく行っていて、私の周辺でアメリカのことを知っている唯一の人物だった。
その伯父の話によると、アメリカでは女たちが平気でオナラをする。街なかを歩いていてもプップッとやりながら、ゴメンナサイとも言わない。男も女もそんなことには無関心なんだ、と。
私は、伯父に貰ったシアトルの街の写真を、長い間オナラの写真だと思っていた。そこには、街なかを歩く、大きなお尻をした女たちの後ろ姿が写っていて、私はなぜか伯父の話と重ね合わせてそれを見ていた。
オナラをするのは、人間の自然的な行為であり、恥ずべきことでも何でもない。それは、人間の自由なのだというのが、伯父の言いたかったことなのであろうか。
伯父には、お腹の色々な所を押すと、それぞれ違った音のオナラを出す特技があって、幼かった私をよく笑わせてくれたものだ。
軍国少年を育て上げる当時の社会の雰囲気のなかで、伯父の存在は一風変わったものだった。そう言えば、「今の時代、屁をするぐらいの自由がないと」と伯父が言っていたことも思い出す。
そういう幼年期の思い出とは別に、今度「新婚さんいらっしゃい」を見て知ったことは、アメリカで生活していても、オナラはハタ迷惑だという意識はあるらしいということだった。
自由だがハタ迷惑だ。人前でそれを隠すのは「思いやり」や「優しさ」に結びつく。アメリカ的な感じ方のうちにも、ゴメンナサイという意識は残っているに違いないということだ。
実のところ、こういう人々の意識や感情を知るのは非常に難しい。私は、フランスで七年半ほど暮らしたが、誰かがオナラをするのは一度も聞いたことがないし、そのことを話題にしたこともなかった。
人々の私的な生活にまで立ち入ることができなかったせいかも知れないし、それが語学力の限界だったのかも知れないが、こういった微妙な身体現象を人々がどう感じているのか、どう受け取っているのか知ることができないままに帰国した。
ところが、日本に帰ってみて、こちらでは人々の意識が新しい方向に進んでいることに気が付いたのである。
主としてテレビ番組の中でだが、視聴者の立場にあって普通は受け身の人たちが、非常によく喋るようになったことである。しかも、いわゆる下ネタに関することでさえ、臆することもなくペラペラと口にするのだ。
性的な行為や欲求を露骨に表現するばかりでなく、それとともに、ウンコとかオナラとか、普段は隠しておきたいようなことまで、何の恥じらいもなく平気で口にする人が増えたのだ。
そういうことを自由に話題にすることに、現代的なユーモアを感じている人も多いようで、この傾向は番組の制作者の側にもあるのだが、あまりテレビに出る機会のない人たちの方に、むしろ大胆な、思い切った発言が見られるのだ。
その代表的な番組の一つに「新婚さんいらっしゃい」があると言えよう。そう言えば、最近のアメリカ映画やテレビドラマを見ても、人間の身体現象、例えば口臭や体臭、オナラやオクビなどについてのセリフがいやに目立つのである。「名探偵モンク」や「アグリー・ベティ」にその過剰な意識を見ることができよう。
こういうことがユーモアと感じられているうちは良いのだが、社会全体があまり神経質になりすぎると、ユーモア転じて病的な現象にもなりかねないから注意が必要である。
そんな折りも折り、毎日テレビの「ドリームプレス社」という番組を見ていたら、プロレスラーの夫妻が自分たちの新婚生活について語り、話がやはりオナラにまで発展するのに出会った。
夫は、新婚の妻の前でも平気でゲップをしたり、オナラをする。──私自身は何とも思わないのだが、人前でやった時が心配だ──と妻は言う。ちょっとは失礼を詫びるぐらいの習慣を付けておいてほしい、というのが彼女の注文だった。
私は、この言葉にやや複雑なものを感じた。この夫妻にそんなことがあるとは思わないが、以前、離婚の理由の一つに、夫のオナラを挙げた女性がいたからだ。
──結婚生活はいつまでもロマンチックな気分でいたいの。人の前で平気でオナラをする夫にはウンザリよ──と彼女は言った。坊主憎けりゃオナラまでということかも知れないが。
完全な箱入り娘だった彼女は、男の自然体を知らなかったということもある。しかし、人前でオナラをすることを不潔と感じる度合いは、女のほうが強いのではないだろうか。
夫の前ではできるだけ隠そうとする女性が多いように思うのである。私の義弟などは、妻が先天的に放屁しない体質だと思い込み、俺のワイフは絶対にオナラをしないんだと威張りまくっていた。
それが、結婚生活もだいぶ経って、彼女が常人並みに、いやそれ以上に派手にやるようになった時は、大変なショックだったようだ。落ちた偶像とはまさにこのことを言うのだろう。
私は、人間が身体現象もしくは自然現象のどこまでを見せると不潔なのか、どこまでを隠せば清潔なのか、もっとよく考えてみる必要があると思う。不潔と清潔の境界線は、いったいどこにあるのだろう。
こういうことを自由に話題にできるようになった今の時代がチャンスだとも言える。ネット上の対話でも、かなり赤裸々なことを話題にすることができるし、そこでは同時に、言葉そのものの吟味や反省も可能であろう。
どこまでがユーモアで、どこから神経症的ないやらしさに転化するかということは、言葉の清潔を考える上でも重要である。
私は、「自己制御」ということを一つのキーワードと考えたいのだが、言葉の清潔とどう関係するかということについては、改めて別の機会に述べることにしよう。
ここでは、一つだけ身体現象としての例を挙げておくことにする。私の伯父が、腹の色んな部分を押しては違った音のオナラをして、子供だった私を笑わせたことは先ほども話した。その姿はただユーモラスなだけで、決して不潔を感じさせるものではなかった。
その理由はおそらく、伯父の自由意志が身体をコントロールしていたからだと思う。伯父は出したい時に出し、止めたい時に止めることができたのだ。ところが、そういう自己制御が利かなくなった時、身体現象は別の面を見せ始める。
中年を過ぎると、抑えようとしても抑えられなくなるという現象が現れ始める。さらに年を取って身体状況が悪化すると、放屁によって便を洩らすことさえ起こり得る。こうなると、もはや笑い事ではないであろう。
私は、以前、列車の中で右往左往している中年過ぎの男を見た。彼は、屁を放ちながら後部車両のほうへ走っていった。しかし、後部車両にトイレは見つからなかったのであろう。彼は、必死の形相で戻ってきて、列車の前方へ向かったのだが、その時はもうかなりの悪臭を漂わせていた。
私は、この男に同情する気持ちはあったが、それよりも、なぜかヒロイックな行動でも見るような気がしたことを今でも覚えている。彼は必死に戦っていたのだ。人前で見せてはならないものを、最後まで守り通そうとする孤独な戦いと言ったらよいだろうか。
自分の意志でコントロールできない不随意な行為は隠さねばならない。と、これが私たちの行動原則になっていると言えよう。たとえ夫婦の間でも見せてはならないものがある。
人前では悪いが、夫婦の間では許されるという行為にも限界がある。放屁はそのどの辺りに位置づけられるのであろう。
私の義母は九十四歳で亡くなったが、誰ひとり、彼女がオナラはおろかゲップをするのさえ聞いたことが無かった。最後の数年はアルツハイマーの状態になっていたのだが、それでもこのことは変わらなかった。
私は、義母の世話をしている間にその秘密を知った。ごく単純なことなのだが、彼女はすべてをトイレで処理していたのだ。それを終生怠りなく続けたのである。
武士の家に生まれ、厳しい躾を受けた彼女は、最初から自己制御の方法を教えられ、それを習慣というよりは、ほとんど習性に近いものにまでしていたのだ。
こういう厳格な自己コントロールの在り方が必ずしも正しいとは言えないかも知れないが、これも一つの生き方であることは確かであろう。
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