真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと
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フランスから5年ぶりに帰ってきて、戸惑うことも色々とあります。
その中でも驚くのは、私と妻が手をつないで歩いていると、時々奇妙な目つきでそれを見ていく人がいることです。
私たちを見るというよりも、つないでいる手のほうをじっと見ていきます。あまり愉快な見方ではありません。
睨みつけるぐらいならまだいいのですが、時には明らかに憎々しげな見方をしていく人がいます。
特に中年過ぎの女性に多いのですが、男性でもかなりいます。一瞬、身を固くして、目のやり場に困っているような感じで通り過ぎます。
まあ、こちらの思い過ごしということもあるかも知れないと思い、あまり気にしないようにしていたのですが、『女性セブン』11月9日(42)号の記事を見て、ビックリしたのです。
「最近、あれっ、と思わせた写真が2枚ある」という書き出しで始まったその記事は、安倍首相夫妻が空港のタラップで見せた「手つなぎ」の姿に触れ、
「仲よき事は美しきかな、といえばそれまでだけど、どうにも落ち着かないこの気持ちは、いったい何?」と記しています。
私にとっての驚きは、これを書いた記者が恐らくまだ若い人だと思うのに、「落ち着かない気持ち」になったと言い、緊急レポートを書こうと思い立ったことです。
日本では、こんなことがまだまだ特殊な目で見られているのかと思い、そして、道ですれ違った人たちのあの目つきの意味が初めて判ったような気がしました。
この記事の見出しは、
「大人のそれってアリですか?」となっていて、
「最近、40代、50代のカップルでもベタベタ系な人を見かけませんか?」と、大変きびしいことまで書かれています。
実は、私たち夫婦は、フランスへ渡航する前にも平気で手をつないで歩いていましたし、パリへ行ってもその習慣は続いていました。
国が変わったからという意識もなく、ごく自然に同じ生活習慣を続けていたのですが、向こうでは一度も変な目で見られたことはありません。
というよりは、そんなことには気がつきもしないのではないでしょうか。
手をつないでいて助かったこともあります。どこかの階段の途中で妻が足を踏み外し、下へ転げ落ちそうになったことがありました。
その時、とっさに、隣にいた男性が妻の左手をつかみ、私と一緒に引き上げてくれました。そして、三人で手をつなぎ合ったまま、階段を登りきったのです。
ふだん女性と手をつないで歩くことに慣れていなければ、あんなに素早く、サッと手が出てくるはずがありません。それに、あとのフォローも見事なものです。
安倍夫妻が手をつないでいたのも、タラップを踏み外すことを恐れたということもあるでしょう。時々飛行機の乗り降りでつまずいている人を見かけますからね。
9.11事件の追悼式典に出席したブッシュ大統領夫妻も、終始手をつないで歩いていました。
取り立てて騒ぐほどのことでもないと思うのですが、日本人の受け取り方は、すこし過剰反応ぎみと言えるのではないでしょうか。
手をつなぐことに反対の一人が、「そういう行為を人前でしないのが、わが民族の美徳です」と言ったのには、とりわけ驚かされました。
人に見せない、隠す、ということは、その行為が不潔だということを意味します。
手をつなぐことは不潔なので、それを見せないことが清潔な行為だということになります。
いつから日本人の行為にそんな悪徳と美徳が住み着いたというのでしょう。
手をつなぐ行為自体は不潔でもなければ悪徳でもない。でも、それを人に見せる行為は不潔だし悪徳だと言う人がいるかも知れません。
しかし、どんな感覚がその二つの行為を結びつけるというのでしょう。
それ自体何でもない行為でしたら、人前でやっても別におかしくはないでしょう。何も隠したりする必要はないはずです。
隠すのが日本人の美徳だと言った人は、若いふたりが手をつないで歩いてくるのを見ると、ムシャクシャして、間に割って入るそうです。
「中央突破」だなどと言っていますが、これこそ日本人の美徳だと言いたいのでしょうか。
安倍夫妻の「手つなぎ」に好感を持った人たちも、そのことに色々と条件をつけていることが気になります。その条件をちょっとまとめてみましょう。
1)二人のルックスが良いから。
2)子供がいないから。
3)人目を意識していないから。
4)若い世代だから。
5)二人のキャラクターに合っているから。
6)相互の信頼を感じさせるから。
賛成派も、この条件に合わなかったら反対派に回りそうなのでコワイですね。
現に、「写真を見たときは、そこまでやることはないのにって、変な感じがした」と言っている人もいました。
安倍首相のキャラクターに合っていると思い直して、納得したんだそうです。
また、「若い世代だから良い」と言った人は、反対派と紙一重のところにいます。
アンケートに答えた全員が、10代から20代の男女なら「手つなぎ」をしても良いと言っていることが、それと軌を一にしています。
そうすると、賛成派であるか反対派であるかを問わず、それ以外の世代の者が手をつなぐことには抵抗を示しているということになります。
賛成派は、それでも、或る条件に合いさえすれば良いということなのでしょう。
反対派の一人は、60歳過ぎなら許されると言っていますから、これも条件付きの賛成派に数えられてもいいでしょう。
残り少ない人生を夫婦が意識するような年齢になれば許されるが、それまでは見苦しいと言います。
こういったさまざまな意見を見ていますと、私は実のところ、頭が混乱してくるのを感じます。
たとえば、60歳過ぎの夫婦は、賛成派には「手つなぎ」を反対される年代ですが、反対派には賛成される年代だと言えます。
余生は短いのだから大目に見てやろうということでしょう。
しかし、最後に最も厳しい条件が賛成派から出てきます。ルックスが良いということや、キャラクターに合っているかということです。
どうして自分自身の美的効果や性格表現を判断することができるでしょう。それも、この年齢になって。
結局は、手をつなぐのはやめろというのが大方の意見だと考えるほかはないでしょう。
或る条件を満たさないかぎり、男女が手つないで歩くのは、
「いやな感じだ。不快だ」
「仲の良さをアピールしているようでわざとらしい」
「大人としての恥じらいがない」
「人前でのスキンシップはいやらしい」
などといった集中砲火を浴びることになります。
『女性セブン』のこの記事は、「男のバッグ持ち」ということも問題にしていました。
この場合も、同じような賛否両論が出ていて、人々の反応は、「手つなぎ」の場合とあまり変わりません。
特別な反応としては、「男が情けなく見える」といった感想ぐらいのものでしょう。この場合は、バッグを男に持たせる女の優位を、人々が見て取るからです。
そして、これも驚いたことの一つなのですが、いずれの場合にも人々が感じているのは、「見せる─見せられる」という関係なのです。
手をつなぎ合っている男女は、意識してそれを人に見せている。バッグを持っている男や持たせている女は、その視覚効果を計算して他者にアピールしている、と。
中には、バッグを持つのも手をつなぐのも、他人が見ている時だけだということを公言してはばからない人さえいます。
そして、見る側にいる多くの人々は、自分たちはそれを見せつけられているんだと思っています。
『女性セブン』も、安倍夫妻が手をつないでいたことを意図的と判断したようで、「日本全国に『見せる』と意識して、仲の良さをアピッた」と書いていました。
そして、一般的には、「ビジュアル的にマネていい人と悪い人がいるはずだということを覚悟して、したい人はしたいように」と結んでいました。
結局、ルックスの悪い者は手をつなぐなということでしょう。
こういう精神構造は、フランスではまったく経験しなかったことでした。
最初に言いましたように、私自身いつも妻と手をつないでいましたし、バッグを持つことにも慣れていました。
パリの街では、誰ひとりそんなことは気にしませんし、ことさら目をつけることもありません。
それは誰もがやる日常茶飯事ですから、取り立てて問題にすることでもなければ、コメントを加えるようなことでもないのです。
「肩が痛くなったからちょっと持って」と妻に言われれば、私は喜んで持ちます。そのバッグの中には、私の持ち物も詰め込んであるのですから。
彼女が買い物をする時にも持っていますし、空港で入管の手続きをする時にも持っています。何しろ、手が二つあるのですから。
それが、日本に帰国して、いくつかの奇妙な視線に出会い、そして、こういう記事を読んだあとでは、もはや今までのような自然体では生きられなくなりました。
人目を意識するなと言われても、もはや意識せずに街を歩くことはできません。
戦後まもない頃、私は佐藤紅緑著『ああ玉杯に花うけて』という本を読みました。
1927年から28年にかけて『少年倶楽部』に連載された小説で、戦後も少年たちには人気がありました。
その最後の個所に、主人公が友人を探して映画館に入っていく場面があります。そこでは、洋画が上映されていて、主人公の光一がが目にしたのは、
「ひとりの男とひとりの女が現われて肩に手をふれあった」画面です。そして、こういう描写が続きます。
「光一は思わず目を閉じた。それはいやしくも潔白な人間が目に見るべからざる不純な醜悪な光景である」
主人公は、この映画を見ていた友人を見つけ、外へ連れ出して、このような「不潔で卑しい」映画など見るなと諭します。
私がこの本を読んだ時は、まだ小学校四、五年の子供でしたが、それでも或る種のアナクロニスム(時代の古さ)を感じたものです。
西部劇やターザン映画を見に行っても、一度や二度はキッスシーンにお目にかかります。
それをいちいち「不潔だ」とか「イヤらしい」などと言っていたら、かえって品性を疑われてしまうような時代になっていました。
私は、佐藤紅緑の描いたような日本人の精神構造はすでに過去のものだとずうっと思ってきたのです。
ところが、今回、『女性セブン』の記事を読んで、アレッ、日本人の心の中にはまだこんな感覚が根強く残っていたのか、と思わされました。
それも、夫婦や恋人同士が仲良く手をつないでいるというだけで、これほどの反応があるというのはまさに驚きであり、異常と呼ぶほかはありません。
そういえば、主として男同士の「手つなぎ」、つまり「握手」についても、日本人には独特の感覚があることを、私はフランスでの生活で発見しました。
日本人は、一見、握手の習慣を自分たちのものにしているように見えますが、とんでもない、感覚的にはヨーロッパとまったく違います。
私はこれを、ヨーロッパ的な「接触の思想」と日本的な「無接触の思想」の違いで説明しました。
「手つなぎ」についても、同じ見地から理解することができると思っています。
興味のある方は、
小野しまと著『清潔マニアの快的人生─永遠のキレイを求めて─』(ビワコ・エディション版74頁〜、www.e-biwaco. com)をぜひ読んでください。
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清潔クラブ─清潔について語ろう
発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
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