真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと
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お金をキタナイと思ったことはありますか。そんなことあまり気にしたことがないという人が意外に多いんですね。ふだん清潔を気にしていて、電車の吊革に触ることさえ嫌がる人が、お金に触ることは何とも思っていないという例にはよく出会うんです。
極端な清潔マニアで、夫とキスするのもイヤだという女性を知っているのですが、お金に触ることにはまったくの不感症なんですね。
買い物から帰ってきたら、真っ先に手を洗って、清潔な部屋着に着替えます。そこまでは良いのですが、そのあと、お膳の上に紙幣や硬貨をひろげて数え始めます。
そして、そのままの手で食事の支度を始めたりするのですから、彼女の清潔感はいったいどうなってんだろうと、考えさせられてしまいます。お金っていうのはあまりにも身近にあるせいか、盲点になっているのでしょうか。
お金を愛するあまり、キタナサなど感じないのでしょうか。そうなると、夫よりもお金のほうが好きだということになりますね。
私は、子供の頃から、お金はキタナイと言って育てられました。母は、かなり清潔を気にするほうでしたが、特に、お金についてはうるさかったのです。
「お金は天下の回り物って言うでしょ。お乞食さんだって触るんだからね」というのが母の口癖でした。その言葉に、子供だった私は、なるほどと納得したものです。
確かに、一枚の硬貨がどんな人の手に渡るかは分かりません。回りまわって不潔な手で持たれたり、不潔な場所に置かれたりすることは、充分考えられます。母の言葉は、そういった状況を想像させるのに大いに役立ったのです。
しかし、それは想像に留まっていました。母の教えにもかかわらず、私は、お金の汚れについては、二十代の終わり頃まで、ほとんど無頓着でした。
大学生の頃は、友だちと場末のキタナイ店に入りびたって、飲んだり食べたりすることが多かったのですが、考えてみれば、お金のキタナサなど意識したことは一度も無かったのではないでしょうか。
横浜の桜木町駅前に、大盛りのラーメンを食べさせる店があったのですが、いつも狭い店内がお客でいっぱいでした。そのお客の大半が、あの辺にたむろしていたプー太郎と言われる人たちでした。
或る時、すでに大学で働いている先輩をその店に連れて行ったのですが、先輩はついに一口も食べませんでした。大盛りのラーメンの上に、オバサンがモヤシをつかんで、たっぷり乗せてくれます。汁がこぼれそうになっているドンブリに、親指を根元まで突っ込んで、オバサンが運んできます。
その合間には、お客が払ったお金を手のひらに乗せて、ジャラジャラ勘定しています。妙にその時の光景を覚えているのですが、それは、その店で支払われるお金が異常に小銭ばかりだったからです。ちょっと他の店とは違っていました。
私は、それからだいぶ経った今も、あの先輩には悪いことをしたと思って、胸を痛めることがあります。他人に不潔な思いをさせるっていうことは、ほんとにつらいことですね。自分のことだったら、すぐに忘れてしまえるんですが。
母の清潔の教えは観念的なもので、私自身が実感としてお金をキタナイと思ったわけではありませんが、それでも要所要所で、母の言葉がブレーキになって、私の独走を抑えていたのではないかと思います。
ごく幼少の頃を例にあげますと、私の遊び仲間には、時々硬貨を口に入れたり、紙幣をくわえたりする子供もいましたが、私はそれを見ると、キタナイという感情をもたずにはいられませんでした。
私は、フランスでしばらく生活をしたのですが、こちらでは、大人の男女が札をくわえている姿をよく目にするのです。日本ではもうあまり目にしないのですが、ふさがっている手を自由にして何かをするために、汚れてクシャクシャの紙幣を唇に挟んでいるのです。
そういえば、フランスの子供たちもよく何かを口に入れています。いちばん目につくのは、親指や人差し指をしゃぶっている子供で、指を口に入れたまま、なかなか出そうとはしません。
驚いたことに、親もまったくそのことには無頓着で、注意しようとはしません。ところが、もっと驚くのは、大人の男で同じような格好をしているのが時々いるんです。よく見ると、しきりに爪を噛んでいるのですが、幼児体験がそのまま身に付いてしまったのでしょうか。
私は、フランスで生活してみて、日本人の清潔感とフランス人の清潔感とが、いろんな点でだいぶ異なっていることを経験しました。そのことは、『清潔マニアの快的人生─永遠のキレイを求めて』(ビワコ・エディション版 www.e-biwaco.com)という本の中でいろいろと書いてみました。
そのなかでも驚いたことの一つは、食品を扱う人が、まったくと言ってよいほど金銭との接触を気にしていないことです。例えば、パン屋の店員は、お金を受け渡しするのと同じ手で、裸のパンを触っても何とも思いません。
お客はお客のほうで、そのパンをじかにつかんで、ポケットに突っ込んだり、カバンに差し込んだりして持ち帰ります。中には、すぐにちぎって食べ出す人もいます。もちろん帰ったら、そのパンを洗って食べるわけではないでしょう。
母から教わった、お金はキタナイということが、観念的にではなく実感として分かったのは、私が20代の終わり頃の或る夏、義兄の仕事を手伝って、ホットドッグ販売をやった時でした。
半日も紙幣や硬貨をいじっていると、手指が変色してくることに気がついたのです。両手の指の先が、ムラサキがかった黒ずんだ色になります。そして、変な青臭い匂いが漂うのです。紙幣を嗅いでみたら、まったく同じ匂いでした。
おそらく印刷インクの匂いも混じっていたのではないかと思います。しかし、インクが染みたというだけではありません。汚れも混じっているということは感触で分かります。汚れが紙幣に湿り気を与え、インクの染みを引き出したとは言えないでしょうか。
印刷技術が当時よりも進んでいる今日、あいかわらず同じ現象が起こるのかどうかは分かりませんが、お金とはずいぶん汚れているものだと、この時つくづく感じたものです。硬貨よりも紙幣のほうが汚れているということも、この時、分かりました。
単に手が汚れたというだけではなく、お金の受け渡しを続けていると、それがいかに不潔に扱われているかということがよく分かります。
地面や水たまりに落としたお金を拾い上げたり、ちょっと拭いたりして差し出してくるものを、そのまま受け取らなければなりません。また、お客の手指も、決してキレイなものばかりではありません。
お金がいかにキタナイかということを経験した私は、義兄に提案して、ホットドッグの販売員が全員、消毒用のアルコールの瓶を携帯して仕事に出るようにしてもらいました。
義兄も、食品販売の衛生面には気を使っていて、パンを持つ時には、薄手のポリ手袋をはめることを義務づけていたのですが、実は、これを実行するだけでも、なかなか難しいところがあるということでした。
その上、アルコールの小瓶を持たせてもうまくいくかどうかは分からない、というのが義兄の意見でした。そして、この危惧はみごとに当たってしまったのです。アルコールの小瓶は、使われないままに、事務所の机の上にたまりました。
このあたりの事情は、ブックレット「ホットドッグ清潔作戦」に詳しく書いてあります。結局、清潔な食べ物を提供することがどんなに難しいか、ということだけが、この失敗によって明らかになりました。
綿にアルコールを浸みさせて小瓶に詰めたものが、たくさん残されたため、私と妻は、二人でせっせと使い始めました。何とか早く使い切ってしまおうと思ったのです。
これが、消毒用のアルコールの瓶を持ち歩く習慣になりました。持っているとなかなか便利だし、けっこう「快的」なんです。やめられなくなってしまったと言ってもよいでしょう。
ところが、妙なことに気がついたんです。こういう小瓶を持っていると、何となくウサンくさい目で見られるのです。それも清潔好きが多いはずの日本で、ですよ。
さっきも言いましたように、清潔について日本人ほどシビアではないフランス人のほうは、逆に、あまり気にしないというか、むしろ面白がっているふうなんです。
私たちは、フランスでの五年間も、常にこの小瓶を持っていました。そして、それに対するさまざまな反応から、ヨーロッパと日本の精神的、文化的な違いをいくぶん読み取ることができたと思っています。
お金をキタナイと言った母の言葉、お金を不浄のものと見なした日本の武士たちの態度、そういった一見小さな事を考えているうちに、人間の精神や文化の全体に関わる大きな問題へと発展していきます。
私たちは、清潔について、もっと語り合っても良いのではないでしょうか。
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清潔クラブ─清潔について語ろう
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