真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと
☆ ☆ ☆
売れない本でも、著者にとってはわずかな慰めがある。世間に出回っている数が少ないのだから、希少価値はあるだろうと自分に言い聞かせることができるからだ。この本を持っている人は、いずれ古本のオークションで百万長者にだってなれるかも知れない、などと想像してみたりもする。
ところが、最近、たまたまアマゾンの中古品値段を見て大変なショックを受けたのだ。なんと、私があんなに情熱を込めて書いた本が最安値で36円! そのあと1円ずつ上がって37円と38円の本が続き、次に11円上がって49円。一番高いもので133円。本体価格1000円の本がこの始末なのだから、なんとも情けない。
これが現実なんだろうか。この本は、このブログ・マガジンでも時々紹介している『清潔マニアの快的人生─永遠のキレイを求めて─』(ビワコ・エディション版 www.e-biwaco.com)で、私自身としては、「清潔の哲学」を考える上での備忘録に相当する本なのだ。
この本は、私の少年時代の友人が琵琶湖畔で営んでいる出版社から2006年の6月に出してもらった。これまでに出荷したのは394册で、そのうち売れたのは124册だ。270册は書店からの返本として戻ってきた。
出版社を経営している友人にとっては、この返本が大変なショックらしい。本が大量に戻ってくるのを見ると、そのたびに出版社を止めたくなるそうだ。
著者にとってもあまり嬉しいことではないのだが、それでも、出版時に一定の印税を受け取る身から言えば、だいぶ気が楽な面もある。
私にとっては、今回の中古品価格36円のほうが、返本よりも何よりもはるかに大きなショックなのだ。何十万、何百万と売れている本ならともかく、まだ124册しか世間に顔を見せていない本が、たちまちタダみたいな値段で叩き売られてしまうとは。
それでも、クズ箱へ放り込まれないで売買されているだけでも良しとしなければならないのだろうか。一つだけ、わずかに救いだったのは、133円の値段を付けた古書店が、「手に取った印象は大変さわやかで、全体に清潔感があります」とコメントを書いていたことだった。
まあまあ、見た目だけでも本の題名に相応しければ、それはそれでいいんじゃないかと自分を慰めるしかなかったのだ。
この本は、或るフランス人の友と寿司屋で一杯やっていた時の論戦が出発点になった。
「パンは不潔な手で持っても良いが、寿司は困る。なぜなら、パンは乾いているが、寿司は濡れているからだ」と彼は言った。
このことが引き金になって、日仏の清潔感情を比べているうちに、トイレの概念、パン屋の造り、握手やキッスの習慣、ペットや寄生虫の問題、利他や自己犠牲の意味などと、人間にとって清潔とは何かということに問題が発展していったのである。
「清潔は文化のバロメータ」とフロイトも言ったが、色んな国の清潔感を比べてみると、その国の文化的な水準が見えてくる。
原始人が地べたからじかに食べるのをやめて、食器を使い始めた時から文化が始まったと言ってもよいだろう。その清潔感をどのように発展させてきたかということで、国家や民族の文化水準が定まったと言っても過言ではない。
その意味で、日本は有史いらい立派な文化国家であったし、ヨーロッパの知らない清潔感情も育ててきた。もちろん、ヨーロッパには日本人の知らない清潔感情もあるから、単純に優劣を競い合うことはできないし、また、そんなことを比べ合っても意味がないだろう。
各国の清潔感情を比較するのは、むしろ学ぶためであって、自分たちの足りないところを知り、その知識を活かしてさらに高度な文化国家を目指すための手段であり、それこそ、世界のグローバル化に相応しい方向だと言うことができよう。
私は、最近大きく報道されている輸入食品の汚染の問題も、端的に言えば、国家や民族間の清潔感情の違いに原因があると考えている。
つまり、文化水準の較差が引き起こしている軋轢であって、これに対処するためには、応急的に汚染原因を突き止めるだけではなく、国家全体の清潔意識を高める必要があると言える。
各国が謙虚にそのことを学び、また教え合って、文化国家としての向上を目指す以外に、理想的な社会や政治経済を実現する道はないし、真に「清潔」と言える世界や宇宙を人間のものにする手段も得られない。
清潔という言葉は、非常に多様な意味で使われている。病気から身を守るための身体的な清潔もあれば、社会が目指す物質的な目的としての清潔もある。最終的には、理想としての清潔といった精神的な意味に至るであろう。
極めて広い領域で、種々雑多な意味で、清潔という言葉が使われているのであるが、このことは、清潔の観念が根源的であると同時に普遍的でもあることを示していると言える。
日常的なごく些細な清潔感から、人間の高潔さを示す清潔感まで、私たちがキレイとかキタナイと言うあらゆる観念を含んでいるが、根源的にはそのすべてが結びついている。
例えば、前回のブログで述べたような、他人に飲ませるジュースにツバを吐き込む女性の行為は、ごく身近な個人的な行為のように見えるが、これは国民性とも結びつき、伝統的な生活習慣や他者への差別感情ともなり、ひいては世界の政治や経済を動かす重大な出来事にもなりかねない。
ブッシュ大統領は、戦後の日本と戦後のイラクを一緒にして、両方とも簡単に片づくパターンと見たが、日本の、敗れた時は潔く、キタナイことはしないという武士道精神を知らなかった。
こういう違いの根底には、ツバを吐くことを好まない民族と、ツバを吐くことに無神経な民族の、清潔意識の違いが関わっていないとは言えないのである。
清潔意識の在り方が、物質的な意味での産業の構造にも変化を与える例を、最後に一つ挙げておくことにしよう。
私は、若い頃から大のカメラマニアで、日本のカメラ産業の発達をずっと見守ってきた。この業界は物凄い競争の世界で、かつては沢山のメーカーが技術の粋を尽くして戦ってきたが、今ではその多くの名が消えてしまった。
私が好きだったカメラでも、ミランダ、トプコン、ペトリ、マミヤといったところが姿を消し、結局、現在は少数の生き残りメーカーの寡占状態ということになってしまった。
この多数のメーカーが、戦後長い間、いったい何を競い合い、激烈な戦いを繰り広げてきたのかということになるが、それはひとことで言うと、優れた画像作りということになる。
言い換えれば、画像の「清潔度」を高めるということにあらゆる努力を集中し、無数のカメラボディとレンズを世に送り出しては、その技術力を競ったのである。
画像の「清潔度」という表現に、欧米風の整理・整頓・調和といった清潔概念を加えて考えれば分かりやすいであろう。
レンズの解像力(resolution)や判明度(definition)を高め、適正なコントラストやシャープネスを与え、ボケ味を良くし、画像の歪みをなくし、レンズの周辺光量を増やしたり、内部の反射光を抑えるといったことに各社が全力を傾け、何十分の一ミリかの精度を競い合ったのは、ひとえにより美しく忠実な画像を得るためであった。
もちろん、この競争に勝つだけでは充分ではなく、業界で生き残るためには営業力も重要な要素になることは言うまでもない。
しかし、日本の専門メーカーがこぞってカメラとレンズの性能に技術力を傾注し、キレイな写真を生み出すことに努力した結果、日本の写真産業は全体としてドイツやアメリカを抜き、世界一にのし上がったのである。
清潔はもとより、精密や繊細といったことを志向するマニア的な国民性があってこそ、こういうことが可能になったと言えるのではないだろうか。
そういう歴史や経験のない新興国の企業が、自動車や電気製品を造る片手間のような形でいきなりカメラを造ろうとしても、そう簡単には行かないことは、外国の専門雑誌のテスト結果にも現れている。文化水準の差はなかなか埋まらないのである。
私たちは、自分自身を知るためにも、また、その正しい方向を見失わないためにも、清潔志向とは何かということをもっと深く考えてみるべきだと思うのである。
しかし、清潔を求める手段について書かれた本は沢山あるが、清潔とは何かとか、正しい清潔志向は何を目指せばよいのかといった目的について書かれた本は、私の知るかぎり皆無である。
部屋の掃除の仕方について書かれた本はあるが、部屋を掃除する意味について書かれた本は無い。何のために、何の目的で掃除をするのか、そもそも掃除ということがなぜ必要なのかといったことを、もう一度根本から考え直してみなければならない。つまり、掃除や清潔そのもの哲学的な探究が必要なのである。
私の義母が認知症になった時、部屋を掃除すると彼女の精神状態を悪化させることに気がついた。何をどの程度に片付け、何を清潔に保つかということが重要な課題となったのである。
私の書いた本は、書店でも置き場所に困るようだ。どの棚に置かれても邪魔者扱いされてしまうのである。明確なカテゴリーが得られないのだ。しかし、そんな状態にあるにもかかわらず、わざわざ購入して読んでくれた読者には感謝すべきであろう。たとえ、すぐに古本屋に払い下げてしまったとしても。
その本が今度は36円で買えるのだから、むしろ同じ本でもう一度、新しい読者が期待できることを喜ぶべきであろう。そして、一風変わった形で日常の雑事を問題にしてはいるが、そこで目指しているものがまさに清潔の哲学であることを、ぜひ読み取ってほしいのである。
-------------------------------------------------------------------
清潔クラブ─清潔について語ろう
発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000216973.html
-------------------------------------------------------------------