真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと

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 私も人並みに、大学生になった頃から自分の口が臭うのではないかと気にするようになった。異性の友人ができ始めた頃と重なっていて、それ以前の高校や中学の時代には天衣無縫と言えばよいのか、そんなことはまるで気にもかけずに生きていたのである。

 大学に入ってまもなく、私は地元のフランス領事館で行われていたフランス語講座に通い始めたのだが、同じクラスに私より二、三歳年長の女性がいた。彼女はK大の学生で、美しい顔立ちと優雅な身のこなしでクラスの中でも抜きんでていた。

 たまに彼女と隣り合わせになったりすると、もうフランス語の勉強どころではなく、気もそぞろで落ち着きのない時間になってしまうのだ。

 ところが、そんな或る日、何かで話しかけてきた彼女の口から、かなり強い悪臭が漂ったのである。こういう経験は、私にとっては初めてのことだった。

 モナリザの口にも現実には匂いがあるということがなかなか受け入れられず、このことはしばらくの間、私の悩みの種になっていた。そして、他の人間から来たこの悩みが、いつの間にか自分自身の問題として意識されるようになったのである。

 自分だって知らない内に、そんなショックを他人に与えているかも知れないと思うようになり、時々ハアハアと自分の息を手に吹きかけては、匂ってみるという動作をするようになった。

 私がフランス語を習っていたのは、かなり年配のフランス人女性からだった。彼女は大変なギョーザ好きで、授業が終わると、学生を誘って街へ食べに出かけることが多かった。

 私も何回か同席したことがあるが、たまたまギョーザのニンニクの匂いが異常にきつい日があった。
 「マダム、これでは、明日、だいぶ臭うでしょうね」と、口臭のことが頭から離れない私は、思わず言ってしまった。

 マダムが教室でフランス語を教えている姿を思い浮かべてしまったのだ。彼女は、相手の目を覗き込むようにして、顔を近づけて話をする癖があった。

 「大丈夫」とマダムは事もなげに答えた。「あとでリンゴを食べれば良い」

 翌日、マダムの口が私の鼻に噛みつきそうなところまで来て、発音練習をやらされたのだが、確かにニンニクの臭いはしなかった。

 これが、生まれて初めて人から教わった口臭除去の方法だった。フランス人に教わったということが何か因縁めいたものを感じさせるのだ。

 私は、その効果を信じたわけではないが、なんとなく、デートの前などにはリンゴを食べて出かけるようになった。

 もちろん、フランス語講座に出席する時にも、できるだけリンゴを食べて行くことにした。そして、或る日、例の「息のくさい」モナリザの横に座って、ちょうど学習中のフランス語の構文を使って言ったのだ。

 「あなたはリンゴがお好きですか?」
 彼女は、最初ビックリしたような顔をしたが、
 「はい、とても」と、同じようにフランス語で答えた。
 「私は、いくつか持っています。お食べください」
 そう言って、私はカバンの中からリンゴを2個取り出し、彼女に手渡した。
 「メルシ」と彼女は、ニッコリ笑って受け取り、それ以上のことは何も考えないようだった。その日の彼女は、この間とは違って、実に爽やかな空気を放っていた。

 「誰にだって口臭ぐらいある」と友人の医者が言っていたのを思い出す。それが出る時もあれば、出ない時もある。病気が原因ではないかぎり、自然に任せておくほかはなく、あまり神経質にならないほうが良いというのが、彼の勧める基本的な心構えであった。

 フランス人もだいたい同じような精神状態なのではないだろうか。口臭を感じさせないという環境的な優位はあるにしても、何よりも強いのは言葉への愛着、会話への情熱であって、それが多少の身体的条件など吹き飛ばしてしまうと言ってよいだろう。

 実は、私は六年半ほどパリで暮らしたが、フランス人との間で口臭そのものを話題にしたことは無かった。そんなことを話題にするような雰囲気ではないのである。何よりも会話が先にあって、会話の発生源についての意識や反省などまったく問題にならない。それは、独りになった時に考えれば済むことである。

 そのようなわけで、私はもっぱら外から観察してフランス人の心理状態を類推するほかはなく、これがフランス人全体の考え方だと結論するつもりもなければ、根拠もない。

 ただ、私の見るかぎりでは、この国では意志的な要素が、身体的・感覚的な要素に打ち勝っていると言えるのではないだろうか。何よりも相手と話をしようとする意志が強く、言葉を伝えることが先行するのである。

 人間が自然的に持っているものに神経質になり、感覚的な壁を作ってしまうことは、言葉の自由な交流を妨げ、心の直接的な触れ合いを失わせる。ひいては人間への愛を忘れさせてしまうのだ。

 最初から、口臭とか体臭、加齢臭などといったもので相手を差別することから始めると、それは年代間の壁を作るばかりではなく、人種差別にさえ発展しかねない。

 個々の人間が持つ身体的な違いには、可能なかぎり寛容になり、極端に言えば無感覚になり、そのような差別を忘れてしまうことが重要であろう。それを実現するのは、言葉や会話を愛する意志にほかならない。

 これは、単に精神的な意味で考えられるだけではなく、現実的な意味でも言えることである。口臭の多くは、意志だけでも確実に無くすことができる。口臭は、忘れれば無くなる部分もあるのだ。このことについては、いずれ稿を改めて詳しく述べることにしよう。

 前回も書いたように、ここで、フランス人が匂いに対してまったく無対策だいうわけではないことを注意しておかなければならない。

 フランスでも口腔洗浄薬がよく売れているところを見れば、あらかじめ何らかの方法で口腔内の清潔を保ち、悪臭の根をつみ取ろうとする努力が成されていることは確かである。

 カミュの小説だったと思うが、エレベータの中で人々の吐く息が、ニンニクの匂いをさせているので困ったというような一節があった。

 フランス人も口臭についてまったく無関心だというわけではなく、適切な予防措置を取ろうとしていることは明らかである。私が通っていた歯科医院からも頻繁に歯垢を除去するようにという勧告が届いていたし、口内の清潔を保つことには非常に熱心である。

 一般的な傾向としては、あのフランス語講座の先生のように、何か匂いのきついものを食べた後や口臭のある時には、リンゴやオレンジ、ミカンなどの果実類を食べれば良いと思っている人が多いようだ。デザートで果物を多用する根拠もそこにあるのだろう。

 日本でも、メロンが良いということで、或る女優は毎日メロンを半個だったか一個だったか食べているという話を聞いたことがある。その結果、彼女の口の中はもちろん、体中がメロンの芳香を放っているということだ。

 こういう話をどこまで信じていいのか分からないが、果実類がしばしの匂い消しになることは確かなようだ。そして、その中でも、やはりあのマダムが言ったように、リンゴが一番良いような気がする。というのも、リンゴを噛むことによって、かなりの歯磨き効果があるのではないかと思うからだ。

 とにかく、このような素朴な信念がいまだに優勢なことと、デンタル・リンスに人気があるということに、私は、匂いに関する「攻め」の論理よりも、むしろ「守り」の論理を読み取るのである。

 フランスは香水の国と言われるが、その発祥は、他者に良い匂いを与えるためのものと言うよりも、むしろ自分の悪臭を隠すためのものだったと言われている。風呂にあまり入らなかった中世のご婦人方が、自分の体臭を消すための「守り」の手段として香水を多用し始めたのである。

 それと同様に、デジタル・リンスも、良い香りを発散させようという自己主張のためというよりも、悪臭を感じさせまいとする社交術の「守り」の一環としての使用なのだ。

 こうして、いちおう予防はしておいても、ひとたび他者との会話に入れば、自己の身体的な「匂い」としての存在は忘れ、言葉だけの世界へと没入する。これが、フランス的な対人関係の基礎と言えるのではないだろうか。

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