真理は隠れている。探し出すのはあなた自身だ。 小野しまと

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 大江健三郎さんはすごい。これがノーベル賞作家というものなのかとつくづく思う。今でもどんどん小説や評論を書いていて、創作意欲はいっこうに衰えていない。さらに、その間には世界の大作家らと文通し、これぞ大先生と思わせるような堂々たる文章を書いている。

 また、今回の「沖縄ノート」裁判では、元戦士や遺族の訴えを斥け、まずは第一審での勝利を収めた。このことについては、ブログの(2)で述べることにしよう。

 私は、大江さんより二つ年下で、世代としては同じ戦後派に属するが、物の考え方と言い、行動の広さと言い、大江さんにはとうてい太刀打ちできるものではなく、何ともお恥ずかしいかぎりである。

 実は、正直言うと、大江さんの作品としては、「死者の奢り」という短編しか読んだことがなく、私はこれが芥川賞受賞作だとばかり思っていた。その後、或る雑誌に連載されていた小説の一部を読んで、大江さんの書いた本はもうこれかぎりにしようと思っていたのだ。

 そこにはこんなことが書かれていた。仰向けに寝転んだ主人公の顔を、裸の女性に跨らせて、しゃがんだり立ったりさせるのだ。主人公はそれを下から眺めているのである。

 私は、こういうすごい小説を読んでいると人生がイヤになってしまいそうなので、それ以上読むのをやめてしまった。その頃の私には、淡いプラトニックな愛を寄せている女性がいたので、彼女のためにも、人生の美しい側面にのみ想いを馳せていたかったのだ。

 ところが、三十数年後、大江さんがノーベル文学賞を取ったという報道に接し、ビックリ仰天したのである。私はそれまで、大江さんをポルノ作家風の文学者だと決めつけていたので、ここで考えを改めねばならないと思った。

 ノーベル賞の選考委員の中には、日本語の判る人もたくさんいて、大江さんの文学が単なるセックス描写にとどまらず、もっと深い意味や思想を持っていることを読み取ったのに違いない。私も日本人として、この偉大な作家の文学作品に改めて触れてみようと思い立ったのである。

 そこで、まず手始めとして、私は、ノーベル賞受賞後の大江さんの講演をいくつかテレビで聞くことにした。そして、今や大江さんが大変な平和主義者であり、戦争と平和に関する沢山の著書を残していることを知った。

 講演の一つに、日本軍の真珠湾攻撃について語ったものがあって、私はそれには痛く感服したのだった。大江さんは、子供の頃からすでに大変な平和主義者であったことを知ったからである。

 真珠湾攻撃の翌日、大江さんの家の番頭さんだったか使用人だったかが駆けつけて、大江さんの家族の前でその報告をしたそうだ。

 大江さんはその話を聞いて、「これは良くないことだ」「やってはならないことだ」と思ったそうである。「休日の真珠湾」で、アメリカ人の男女が「ダンスパーティ」を楽しんでいる所へ、日本軍が爆弾の雨を降らすなんてもってのほかだ、というのが大江さんの弁だった。

 私は、この話を聞いて、やっぱりノーベル賞を取る人はすごいと思ったのである。真珠湾攻撃の時、大江さんは六歳だった。その六歳の子供が、即座に反戦的な立場に立って、日本軍に批判的な判断をくだすなんて、私にはとうてい考えられないことだった。

 あの頃の自分自身のことを考えてみると、私は、国家のことも、世界のことも何も知らず、日本がアメリカと戦争を始めたことぐらいは何となく分かっていたが、戦争が悪いものだと判断する分別はまだ全く備えていなかったように思う。

 大江さんより年下だったせいかも知れないが、戦争がいつ始まったのかということも特に意識したことはなく、真珠湾攻撃がその幕開けだったということも知らなかった。そういうことが歴史的な認識になるのはもっと後だったように思う。

 ただ、日本は「鬼畜米英」を相手に戦争をしている、日本の陸海空軍はあちこちで敵をやっつけている、などといったことがいつの間にか頭に入っていて、子供ながらに戦争に勝つことを願い、日本軍の戦況に一喜一憂するというのが、私ばかりでなく、当時の子供たちのごく自然な姿であった。

 私は、いっぱしの軍国少年で、自分の国のすることには何の疑いも抱かず、大人たちの教えるままに「鬼畜米英」を敵視し、いずれは日本のために、天皇のために戦うつもりでさえいた。真珠湾攻撃の話を聞いた時は、それこそ胸躍る思いで、日本の隼やゼロ戦の勇姿を思い浮かべたものである。

 私の周辺にいた同年輩の子供たちはみんな似たり寄ったりだったように思う。あの時代に、平和を愛する反戦的な少年なんて、ちょっとやそっとではお目にかかれない存在だった。また、そんな子供がいたとしたら、仲間から大変な迫害を受けたであろう。

 大江さんはまさにそういう存在だったと思う。真珠湾攻撃を悪だと断定することは、当時としては、とりわけ小学校に入ったばかりの六歳の子としては、ちょっと考えられないことなのだ。六歳にして善悪を弁えていた大江さんのような存在は、まるで神童に近く、それだけでも周囲の子供たちから浮き上がってしまったであろう。大江さんはさぞかし孤独で苦しい少年時代を送ったに違いないのである。

 そればかりか、真珠湾攻撃の日が休日だったとか、その時みんながダンスパーティをやっていたなどということを大江さんが知っていたのは、実に驚くべきことなのだ。私などは、大江さんの講演を聞くまでは、全く考えてもみなかったことだ。

 それが、あの時代に、あんなに情報の乏しかった時代に、六歳の大江さんがそこまで考え、そこまで敵国の事情や生活習慣を知っていたというのは、実に驚くべきことであり、まさに天才的な頭脳の成せる業だと言ってよいであろう。

 大江さんはどこからそういう知識を得ていたのだろう。私たち同年輩の子供たちにとって、最も頼りになる情報源は、講談社の絵本であった。子供たちの憧れる英雄は、楠正成や源義経などの戦国武将や、東郷平八郎元帥、乃木希典大将、広瀬武夫中佐、山本五十六司令官、加藤隼戦闘隊長、爆弾三勇士といった軍神と呼ばれる人たちであったが、それらの知識のほとんどは講談社の絵本を通して得られたものである。

 外国人としてはヒトラーやムッソリーニの名前が高かった。ヒトラーを讃えた講談社の絵本は、私の愛読書のひとつだった。この絵本に出てくるヒトラーの軍服姿は子供たちの憧れで、七五三のお祝いにはその格好をした少年も多かった。実は、恥ずかしながら、私にもそんな写真が残っている。

 私の周りにいた同年輩の子供たちは、まだ幼かったので特別な教育を受けたわけでもないのに、「鬼畜米英」に勝つことを願う点にかけては大人以上であった。おそらく、まったく理屈なしにそう信じていたので、より純粋に軍国少年であったのだろう。

 大江さんの精神的風土が、こういう私たちの世界とは全く異なることに驚きを感じるのである。大江さんは、軍国少年たちの烏合の衆とは遙かに離れた高い場所にいて、戦争の是非を判断し、休日を楽しむ人々に攻撃を加えることが罪悪であると反省していたのである。

 これは、たとえ戦争であっても、安息日は守らねばならないというユダヤ思想に由来しており、小学校の一年生になったばかりの大江さんがどこからこういう発想を身に着けていたのか、非常に興味の持たれるところである。

 私の周辺にできていた軍国少年ばかりの勇ましい集団の中にも、一人だけ例外がいた。隣家の子なので私とはよく遊んだ。
 「日本は戦争に負けたほうがいいんだ」と彼は言った。
 「どうしてなんだ?」
 私がキッとなって尋ねると、
 「戦争に負けたら、ロックだって食べられるし、コーヒーだって飲めるんだ」と言う。
 「えっ、何だって?」
 私はとっさに意味が飲み込めなかった。
 「お前の伯父さんが言ってたことだぞ」と彼は言った。

 私は、そこで、伯父のところへ飛んで行ったのである。
 「伯父さん、日本は戦争に負けるもんか」と私は抗議した。
 「あれ、そんなこと言ったかな」と伯父は苦笑いをした。

 伯父は、戦前外国航路の船乗りをしていたが、戦争が始まるとすぐに会社をやめ、家でブラブラしていた。毎週街へ出ては、風月堂でロックと呼ばれる固いパンケーキを買ってきて、コーヒーを飲みながら食べるのを楽しみにしていた。隣家の子にもよくそのロックをやっていたのである。

 「私だって日本が勝つことを願っているよ。ただ、あちらさんとは物資の量が違うんだ。日本には戦争を続けるだけの物資が無いんだよ」と伯父さんは言った。
 「だから、日本は負けるだろうとあの子に言ったんだ」

 大江さんとはだいぶ異なる精神状態だが、日本の戦争には否定的だった子供の唯一の例である。彼は、学校では仲間外れにされていた。なぜ、そんな考え方になってしまったのか、隣家の子なので私にはよく判っていた。

 彼は、母親に虐待されていたのである。特に食べ物での虐待が酷かった。母親が留守の時、私は一度誘われて彼の家に入ったが、彼は台所のゴミ籠からリンゴの皮を拾って口に入れた。

 「リンゴの皮だってけっこう旨いんだぞ」と彼は言った。果実のほうは貰ったことがないそうだ。彼は、母親が近所の人と立ち話をしていると、こっそり大きな石を運んできて、母親の後ろに置くのだった。母親がそれに躓いてよろけるのを見るのが、彼の唯一のウップン晴らしだった。

 彼は、私の伯父から貰う一個のロックのためだったら、日本など負けてもよいと考える唯一の存在だったが、こういう珍しい異質な少年を除けば、私の周辺には、日本が勝つことを真剣に願い、帝国軍人を崇め、自分もいつかはお国のために戦おうという子供たちしかいなかった。

 そういう時代にあって、大江さんがいかに卓越した少年であり、私たちの誰とも異なったスゴイ存在であったかということがよく判るであろう。

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清潔クラブ─清潔について語ろう
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