「正しい時に正しいことを思いつく方法」

「世界がもたらすもの、事物がもたらすものに、私はいつも没頭する」とは考えないように試みる必要があります。・・・・人生の心配事にかかわりあっている人がいるとします。その心配事は意識の中に忍び込み、その人はその心配事に煩わされます。そうなると、決して正しい時に正しいことを思いつけません。・・・・・(以降、思考の訓練の内容と同様の物)半時間休息できる時、「自分自身が選んだ対象を意識の中に置くことにしよう。・・・・例えば二年前に散歩の途中で体験したことについて考えてみよう。当時体験したことを、自分の意志によって思考の対象とし、それについて五分間考えてみよう。その五分間は他の事は一切考えない。思考の対象を、自分で選ぶのだ。」と思わなくてはなりません。・・・難解な事柄について思考することに意味があるのではありません。人生によって引きずり込まれた状況から、自分を引き離すことが重要なのです。日常によって巻き込まれた状況から抜け出る必要があるのです。・・・悩み事以外のことが考えられず、何も思いつけなくて悩んでいる人は、本を開いて最初に目にした文章について考えてみるといいでしょう。・・・このようにして、普段なんら思考の対象とならなかったものを、日常から取り出して思考してみるのです。・・・・このような練習を計画的に繰り返し行っていると、正しい時に必要なことを思いつくようになります。そして、思考は柔軟なものになります。これは実生活において、人間にとって非常に意味深いことです。     
             (「人間の四つの気質」 シュタイナー著 西川隆範訳p31,32)

 普段の授業の中で行っていることの意味を、自分は、シュタイナーの言葉に見出したいと思っている。これまで10年以上、それは自分の教師としてのあり方を支えてきている。

 そして、ここで述べてきている内容は、子どもに向き合う時に自分がどのような人間であるべきかの模索であり、試みである。

 そこにいるだけで授業行為である教師のあり方は、どのようなあり方であるべきか、何を思って何を感じてそこに立っているのか。

 だから、これは、そんなことを思いながら、子どもの前に立とうという自分だけの、形式のまったく違う学習指導案のようなものになればいいなあと思っている。

 「こんなこと勉強したって、社会に出て実際つかわないじゃん。」という言葉を学校の勉強に対して言われることがある。

 だから、「普段なんら思考の対象とならなかったものを、日常から取り出して思考してみるのです。・・・・このような練習を計画的に繰り返し行っていると、正しい時に必要なことを思いつくようになります。そして、思考は柔軟なものになります。これは実生活において、人間にとって非常に意味深いことです。」と言うような言葉は、教える立場の自分にとっての支えになるのです。自分が行うことや、思考することが、子どもの生き方にとって、どう影響するのか、どう役に立つのかということについて、テストの結果ではなく、別の生き方、取り組み方、向かい方として、子ども達の中に息づかせることが出来ているのか、息づかせようとさせることが出来るのか。自分が子ども達の前で行う思考や感情、行為。それら一つ一つに意味を持たせたいと願うのです。

どんなプロの道も、ベストは無く、常にベターしかないと言います。これで良いというものは無いと思います。これがいつも正しいということも無ければ、いつも正しいことを出来ているなどといういうことは絶対にありえません。その時、その時の目指すベストは、次のベストへと向かうベターへと変化していきます。

以前にも書いたことがあると思うのですが、例えば、国語の時間の出された課題(この良し悪しは非常に差があると思いますが。)に対して、子ども達が集中して取り組み、何か新たな発見に驚く。そんな授業をした後の子ども達のすがすがしい様子を見ると、ああ、今日は良かったと思う。でも、ずっと困っていて、なかなか考えられない、時には自分は駄目なんだとさえ思ってしまうような課題を与えてしまった時には、子どもの事を理解できていなかったなあ。と思うと同時に、新たな子どもの認識がそこで生まれます。大勢で行う授業の中では、○○にとっては良かったけれど、○○にとっては難しかったということも生じます。でも、その中で、誰にとっても意味のある活動、価値のある時間をすごして欲しいと願うのです。

問題や、トラブルが起きたとき、私達はすごくそこに悩まされます。そのことが頭から離れず、気持ちが重くなってしまう事も多くあります。そうしているうちに、もっと目を向けるべき子どものことを見落としてしまうことがあります。

何気ない言動が、子どもにとって大きく影響を与えたりします。

言われて気づくこともあり、言われてもどうにもならないと思ってしまうこともあります。

変われないことや、無意識でついやってしまうこともあります。

そういうことが見えていないうちにどんどん膨らんでしまっていることもあります。

自分自身はこれまでの育ちを振り返ると、どれほどどうしようも無いことに感情を逆撫でされて人を恨んだり、愚かな考えを持ち続けてきたことかと思います。

もう、手遅れだと何度も思いました。どうにもならない自分の状況に対する反応。こうしたいと思っても出来ない数々の事。

だから、子ども達には少しでもそんな落とし穴にはまってしまわないで欲しいと願っています。と同時に、あきらめることなく自己改革に取り組んで行きたいと思っています。人智学はその中心的な部分でもありますが、他にもいろいろと自分の支えとしているものはあります。学びの成果はすべて日常生活が反映してくれる気がします。まるで今までの学びは役に立たないじゃないか。と思う事もありますし、勉強していてやっぱり良かったということもあります。

自分で学んでいく中で、下手ながらも絵や音楽を楽しむ事が出来るようになってきたりして、おかげで音楽会では、他校の先生方からも褒められるような合唱や演奏が子ども達と出来たり、パステル画にメッセージを添えて贈る事で、非常に喜ばれたり、下手で苦手だと思って、上手ではないと価値がないと思ってしりごみをしていた時には味わえなかった多くの喜びを経験できるようになってきていることを自分自身はうれしく思っているのです。

 そして、それは以前からできていた事ではまったく無く、今はじめたから、今必要にかられて学んでいきたいと願っているから出来たことだと思うのです。出来ないけれど、出来たら良いな。できるようになりたいな、やれるかな、どうかな。結果ではないと言いながらも、やはり結果で分かるものでもある。

 継続して努力したからこそ分かる事。

 そういう世界をすこしでも多く共有していきたいと思う。