「狭き門より入れ」
地域の哲学の学習会の役を受ける事になってしまった。
研修委員の長の先生が、聖書の中から引用した言葉。
「求めよ、さらば与えられん。」の後に出てくるとの事。聖書に関しては勉強不足で良く知らない事が多いが、大事な事だなあと素直に感じる。
間口の広いところにあるものに比べると、苦労して探し出したものの価値は高い。
また、高い価値のものは狭き門の奥にあると思う。
最近は、ものすごく頑張っているというか、ものすごく学んでいる人たちや、ものすごく学んで変化している人たちとかかわったり、そういう人たちの情報を得る事が多くなっている。彼ら、彼女らは一見マイナーな世界にいるように見えるが、だからこそものすごい実践をしているようにも思える。
「自我」は、本当は自分の中にあるのではなく自分の外にある。と考えた時、回りの人たちや、世間の人たちの素敵な行い。素晴らしい行いに触れるためには、今までむしろマイナーに思っていたりする人たちの事を、先入観無く見直してみることによって、その素晴らしさを発見できるのではないのかと思う。そういった素晴らしさに触れることで、「自我」は強化され、自分の中にやる気や生き生きとした感情が生まれてくるのではないだろうか。
外の世界のよさに共感できると言う事は、自分の中に同じものがあるということである。だから、外の世界のよさを発見する事は、自分自身の発見でもある。
日常の中に潜む、狭き門。
あれども見えていない、「真」「善」「美」
「超感覚的世界の認識」に行く前に、今感じている自分自身の感覚から、離れてみて、別の見方で世界を見ようとする意識を日常生活の中で、時々持つ事を意識してみる必要があるのかもしれない。
日本の哲学と言えば西田幾太郎、西田らの京都学派に影響を与えたのがシュタイナーであるという本を注文した。ちょっと高いが、せっかくの機会なのでつながりについて少し勉強できればと思う。