心身の調和を築く五つの方法 その4
「肯定的態度」
引越し、新たな職場での生活の忙しさで、4月は十分に日々の修行に取り組む事が出来なかったので、予定より一月遅れですが、心身の調和を築く五つの方法 その4に5月は取り組みたいと思います。
「肯定的態度」
・・・あらゆる経験、存在、事物に対して、それらの良いところ、優れたとこr、美しいところを探し出す練習です。
・・・秘教の学徒はあらゆる現象、あらゆる存在のなかに肯定的なものを探そうと努めなくてはなりません。そうすると、醜い覆いの下に美しいものが隠されていたり、罪悪の覆いの下に善が隠されていたり、狂気の多いの下に神秘的な心魂が隠されているのを、求めるようになるでしょう。この練習は「批判の放棄」といくらか関連しています。
しかし、白いものを黒と言い、黒いものを白というかのように理解してはなりません。単に自分個人から発する判断は、個人的な共感と反感の色を帯びています。そのような判断ではなく、愛情を持って、見知らん現象、あるいは見知らぬ存在の中に自己移入してみます。そして、「この人は、どのようにしてこうなったのか。どのようにして、こうするにいたったのか」と思ってみます。このような見方をすると、不完全なものを単に非難したり批判したりするよりも、その人を助けようと努めるようになります。
生活状況に対して異議を唱えたり、人々を非難して裁く事を、この練習中はやめます。・・・修行を不可能にする生活状態がたくさんあります。ですから、そのような生活状態にありながら、心魂―精神の進歩を性急に要求すべきではありません。進歩は一定の条件化にのみ可能なのです。
一ヶ月間、あらゆる経験に際して、肯定的な側面に意識的に目を向けるようにします。そうすると、自分の表皮が透明になって、以前は全く注意しなかった、秘密の精妙な経過に心魂がひらかれるような感情が生じてきます。精妙な事柄に対する不注意を克服する事が大事なのです。そのような感情が「浄福」のごとく心魂のなかで作用するのに気付いたら、思考のなかで、この感情を心臓に導きます。そして、そこから両目に流れさせ、されに自分の前および周囲の空間に流そうと試みます。そうすることによって、空間と内密な関係が得られます。自分が自分を超えて、成長するかのようです。自分の周囲の一部を、自分自身に属するもののように考察できます。
この練習には高度の集中力が必要です。何よりも、荒れ狂ったもの、情念、激情が、先に述べた気分を破壊するという事実を、承認する必要があります。ここでも、一ヶ月目からの訓練を繰り返す事によって、先に示唆した成果が得られます。
(「人間の四つの気質」ルドルフシュタイナー著 西川隆範訳 p145,146)
以前の自分を振り返ってみると、非常に物事に対して批判的であったと感じます。例えば、子どもが、廊下を走ってはいけないよ。と注意されると、異常なほどに廊下を走っている人を批判したり、姿勢が悪いと注意されると、とたんに他の友達の姿勢の悪さが気になって仕方がなくなったりするように、ちょっと、何か、「こうする事が良い」的な事を知ると、そうしない人を非常に批判的な目で見たりしていたように感じます。自分が何かを頑張っていると思えば思うほど、他の人たちが頑張っていないように思えたり・・・。
今、私は朝食を抜く生活をしています。以前は朝食信仰というくらいでした。学生時代でさえ、飲み会のあとでも朝食を作って食べていて、泊まっていた友達にまで出すほどでしたが、仕事が始まって朝しっかり食べていくと、食べたその時には体が熱くなって目覚めるような感じがするのですが、学校につく頃になるとどうも疲れと言うか、眠気が出てきたり調子があまり良くないということと、しょっちゅう風邪もひいていたり、とても健康とはいえなかったということもあり、本当に朝食は健康に良いのかと疑問に思っていました。両親は、朝食をちゃんと食べているかと言う事ばかり気にしていたものですから、実際の私の健康状態というよりも、朝食を食べていれば安心と言うところにしか目が向いていなかったようです。朝食を抜く健康法の本を読んで非常に納得して、朝食抜きを始めたのですが、風邪をあまりひかなくなり、さらに、朝の時間を仕事の時間に当てるようにできたり、ちょっとした修行の時間に当てたり出来て快適になりました。それを、実家に戻った時にすると、両親は犯罪者のごとく、批判、心配をするので、実家にいるときには朝食を食べます(旅行で旅館に泊まった時なども。)が、自分の体は、朝食抜きの方が確実に体調のよさを感じているのです。だからといって、すべての人が朝食抜きが合っているとは思いません。
これまでそうだった。昔からそうなっている。なんとなくそういわれている。それが当たり前だと思っている。その中には当然正しいものもあると思うのですが、さまざまな環境、経験の影響を受けて人の行動は決まってくるので、自分の感覚がすべてだと思う事ほど自分を狭くしてしまうものは無いと思うのです。
また、前回書いたように、「自分の周囲の一部を、自分自身に属するように感じる」事は、自我を正しく理解していく上でとても大事なものになっていくと思います。
私自身は、この毎月の取り組みは意識できていたりできていなかったりしつつ繰り返して取り組んで今年で4回目位になると思います。新しい職場に異動してきて、ふと、周りの職員とのつながりがとてもスムーズにいっていて、風通しが良いのを感じます。以前はもっと否定的な見方をして、さらにそこにとらわれて壁を作ってしまっていたように感じます。今は、比較的すぐに打ち解けて楽しく話をしつつ、だからといって相手に迎合するとか流されるとかではなく、自分は自分で良いのだし自分の考え自分の感じ方で自分の行為を決定する事は邪魔される事はないと感じています。
偏った見方をしない事は、教室の子ども達にとっても大事な事です。「今、感じている事をすべて錯覚だと思いなさい。」「教室では、たくさん間違えたほうがいい。」と話をしています。
出来ないと思っている事も錯覚です。やり方次第であったり、もう少し努力を続ければ出来る事もたくさんありますし、出来ると思っていても、世の中にはもっとすごい人はたくさんいます。出来る出来ないは比較の問題ですと。「間違い」を認める雰囲気は絶対に教室には必要です。自分の感じ方を素直に表現する事で、自分自身を知り、友達を知る手がかりになります。それが、求められているような正解とずれていればいるほど、その子らしさを知る情報が満載です。
特別支援学校の子ども達と以前は生活をしていたので、必ずしも表面的に出てきているものがすべてではないという事は実感しています。聴覚障害の子ども達の歌は、心で歌います。音程が外れていたり、友達と上手く合わせられない部分があっても、意識の中では、音程を作り出し、友達に合わせようとしています。
心の中にある意識の方向さえ正しければ良いのです。それを表現する時に、私達や子ども達は上手く伝わるような言葉や表現方法を十分に身につけていないことが多いので、それを身につけていくことが勉強であり、日々の生活を改善していくポイントであり、他人を理解する時に気をつけなくてはいけないことだと思っています。
4月当初、間違える事を恐れて発言をする事が出来なかった子ども達。せっかく友達が良いことを言っているのに、聴いていなかったり反応の少ない子ども達。男女の間の溝が会った子ども達。不登校、いじめ、等の問題をはらんでいる子ども達。
間違えを恐れず、積極的に発言をするようになってきた子ども達。男女仲良く談笑する姿が多く見られるようになってきた子ども達。友達を思いやる姿が見られ、昨年まで全く教室に入れなかった子ども達が安心して教室に入ってこれるようになってきた教室。
もっと、もっと子ども達の肯定的な部分に目をむけ。隠れている善さを引き出していきたい。
最近エネルギーがちょっと切れてきたように感じていたので、この連休で新たに充電をして1学期を公私共に充実させていきたい。