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物さしのさしてそれとはいはすとも寸の情(け)をかけて給(は)れ
                                      方碩(『銀葉夷歌集』)


 『銀葉夷歌集』巻第七恋歌の続き。掲出歌の題は「寄物指恋」。二句「さして」は物指しで寸法を測る意に副詞の「さして」(あとに打ち消しの語を伴って「たいして」)を重ねて四句に繋ぐ。その「寸」は縁語で長さの単位、これに僅かの量の意を重ねて恋の歌とした。

  千話をしてくらせやあののものさしの一寸先はやみの世の中
  櫛のはをひけとひかねと昔より心は君によりしもとゆひ
  しらすなよ局ならひのしも口は物いひあしき宮と社(こそ)きけ

 一首目の作者は伯水、題は「寄物指恋」。初句「千話」は「痴話」に同じ。痴話喧嘩、睦言、情事などの意。二句は感動詞「あのの」。これに四句「もの」を共有して連語「なんのかのと言うこと」。四句「一寸」は「ものさし」の縁語、そこから成句を呼び出して「世の中」で着地した。二首目の作者は太女、題は「寄鬠恋」。初句から二句は成句「櫛の歯を挽く」(物事が絶え間なく続く意)の応用である。結句「もとゆひ」は「鬠(元結)」で元から結ばれていたのだ、となる。三首目の作者は源三位頼政、題は「隠傍女恋」。「知らすなよ」で初句切れである。二句「局ならひ」は部屋隣り、三句「しも口(下口)」は裏口。三句「物いひ」は噂。部屋隣りには注意することだ。噂が噂を呼ぶ宮だと聞いているよ、といったところか。

  今宵しもあふむの鳥の真似なれや互(ひ)に嬉し嬉しとそいふ
  たかはしとおもふか中に秋風も今日ついたちの文月そうき
  是やこの娌(よめ)とり肴いたさるる魚も契(り)もおなし海老
  中々に君をしらちかまししや物もんしやいもなく思ひそめぬる

 一首目の作者は壺仙、題はない。二句「鸚鵡」が平仮名表記になっているのは「逢ふ」を掛けたかったか。一発芸のような作品である。二首目の作者は重勝、題は「変恋」。初句「たかはし」は「高橋」で遊女の通り名、大坂屋太郎兵衛抱えの太夫である。初代と二代が特に有名だそうだが、そんな「高橋」と思ったあなたとの仲にも秋風が吹くようになったという歌だろう。「秋」は当然にして「飽き」である。三首目の作者は方碩、題は「嫁取座に挨拶」。嫁を迎える側への挨拶である。二句は祝儀の席に出される肴、肴までを一纏めと読む。三句は「出ださるる」「致さるる」両様に読めるが前者をを採った。四句の「魚」は「肴」の類義語で重複を回避、結句は偕老同穴の「偕老(かいらう)」に海老の別名「かいらう」を掛ける。四首目の作者は伯水、題は「思」。初句「なかなかに」は「かえって」、二句「しらち」は「白地」で白いままの布、これに「知らじ」を掛ける。三句「まし」は「麻糸」に形容動詞の「まし」、四句「もんしや」は「紋紗」で文様を織り出した紗、これに掛けるのは「文者」か。「しや」を共有して「しゃいも無く」(わけもなく)としたが、他にも考えられそうだ。

離別せんいやのかちやれとやかくと思案半(ば)の子はあいの釘
                                      意楽(『銀葉夷歌集』)


 『銀葉夷歌集』巻第七恋歌は一九二首。掲出歌に題はない。二句は「いや(嫌)」と「がち(月)」(「頑痴」の音変化で「野暮」)を助詞「の」と「やれ」で並列する。「嫌とか月とか」である。結句「あいの釘」は「合釘(間釘)」の四音に「の」を挿入して五音にしたもの、両端のとがった釘、板と板を接ぎ合わせるのに使う。当然として「合」に「愛」を掛ける。

  恋こかれ儒学もやめて千話文をかくたりけんたりねたりおきたり
  春の夜の一夜もさそな長あくひああすうあすと待(ち)こかるらん
  まてといひて又くることのならぬとはやらめいわくの糸ふしんなり

 一首目の作者は宗意、題は「寄儒者恋」。三句「千話文」は「痴話文」。四句は「赫たり喧たり」で『大学』(講談社学術文庫)の伝三章の詩句、威儀をいい、結句の「寝たり起きたり」と対句になっている。「赫」に「書く」を掛ける。二首目の作者は伯水、題はない。結句は現在推量の助動詞「らん」、待っているのは女と読む。すると二句「さぞな」は「さだめし」「きっと」。四句は「明日」に聞こえるが「(「明日」に掛けて)長あくび」そのものであろう。三首目の作者は愛宗、「題しらす」。初句「まて(真手)」は両手の意、これに「待て」を掛ける。二句「くる(繰る)」に「来る」を掛ける。四句「やら」は感動詞、「めいわく」はどうしてよいか迷うこと。恋歌である。で結句であるが、二人で糸を巻き直しているのである。「ふしん」は「普請」の響き、「糸」に副詞の「いと」を掛けているならば「不審」である。

  引(き)よするいとしい君よ三味線のこまいといふは何のはちそや
  さいならは五三のうらの恋といはん四の二物をそ思ふそれかし
  我恋はちきの棹かやふらるれはおめにかかりて猶思(ひ)ます

 一首目の作者は粧色、題は「寄三味線恋」。引き寄せているのは男、引き寄せられているのは女。四句は「こまい(小舞)」に「来まい」を掛け、結句「ばち(撥)」に「罰」を掛けた。濡れ場だ。三味線と小舞が一緒になるのは歌舞伎舞踊の一形式である拍子舞である。二首目の作者は宗兼、題は「寄双六恋」。初句「賽」、平仮名であるのは「妻」を掛けるか。二句「五三」は賽の目、そして五三の君(京都島原の最高位の太夫の異称)を掛ける。「うら(裏)」に同語源の「心」を掛け、三句「恋」には出てほしい賽の目つまり乞目の「乞い」を掛ける。「裏」は双六で後から賽をふる番、作中「それがし」の恋であることがわかる。四句、四と二が同時に出れば逆転のチャンスなのだろう。三首目の作者は方碩、題は「寄知斤恋」。「ちき(知斤)」は「ちぎ(扛秤・杠秤)」に同じ、大型の棹秤である。棹の一端に受け皿がある。その近くに支点があって物を乗せると反対側が上昇する。棹が平行になるまで重りを加えていく。それが三句以下である。「思ひます」は発音レベルなら「重い、増す」となる。

君か代の久しかれいと祝ふてふ書(き)初(め)に先(つ)めてたく歌詩句
                                        方碩(『銀葉夷歌集』)


 『銀葉夷歌集』巻第五賀付神祇歌は六一首。掲出歌の題は「春祝」。二句は「久しかれと」に「い」を挿入することで隠し詞「嘉例」(めでたい先例)を加えた。結句「歌詩句」は和(狂)歌と漢詩と発句、読みは「かしく」で「かしこ」の音変化、「可祝」とも書くらしい。

  卯の年の卯の月卯の日卯の時にうけに入(る)こそうれしかりけれ
  よろこびのをりへに酒を呑(む)人の顔に紅葉の賀をもたしけり
  近江なるつくま祭にみつちやつらふのやき鍋をかつき社(こそ)せめ

 一首目の作者は愛宗、題は「春祝」。句頭が全て「う」。四句の「うけ(有卦)」は陰陽道で干支による運勢が吉運の年回り、「有卦に入る」で有卦の年回りに入ること、七年続くのだという。ちなみに滋賀県大津市の三尾神社の神使は兎である。手水も兎である。その三尾明神は卯年卯月卯日卯の刻卯の方向に出現したのだそうだ。二首目の作者は知秋、題は「紅葉の賀に」。紅葉の季節に催す祝宴である。二句「織部」は「織部杯」、これに律令制の時代の「織部司」を重ねたかも知れない。結句「賀を」に「顔」を掛ける。酔って赤くなっているのだ。三首目の作者は春澄、題はない。三句は「みっちゃ面」で痘痕のある顔。四句は、あるとも思えないが「斑の焼き鍋」。滋賀県米原市の筑摩祭は日本の三大奇祭、千年の歴史を持つ。

  とむるかひ泪の袖もたつひさのさらはとたにもえいはさりけり
  またやかておめにかからん天秤のさらはさらはといひ別(れ)つつ
  高荷をはやれそれやのいて通せよとをふやはいしい道中の馬子
  高砂や此(の)浦舩の乗合につれのおほきそ脇のさまたけ

 次に『銀葉夷歌集』巻第六離別付羇旅に移る。全五〇首。一首目は巻頭作で作者は休甫、題はない。歌意は「止める甲斐もなく、泪の袖を絶つ(裁つ)思いであなたを見送った。だから別れている時間が長くなりそうな左様ならとは一言も口にしなかったことだ」。三句は句割れ、結句の副詞「え(得)」は下に否定の表現を伴って不可能の意を表す。二首目の作者は正盛、題は「百首歌中に」。四句に天秤の「皿」が二つある。そう見ると二句「かからん」も縁語、素朴かつ軽快である。三首目の作者は顕興、「題しらす」。初句「高荷」は馬の背に高く積み上げた荷物、それを今から積むのである。二句「やれそれや」口やかましく「退いて通せよと」どかして「負ふや」負うたら、となる。「はいしい」は唱歌「こうま」の歌い出しにも登場する。手綱に代わる人語なのだろうが響きもやさしく変わる。四首目の作者は貞林、題はない。初句から二句「此(の)浦舩」までは謡曲「高砂」の一部、三句「乗合」は「乗合船」の略、四句「つれ」は乗船客の「連れ」に「ツレ」を掛ける。結句は混雑の意そしてシテの相手役の「ワキ」にとって補助的な役のワキツレが演能の妨げになることをいう。

下くくり畳のへりのあはひよりたつ風の手を敷ふすま哉
                                       金門(『銀葉夷歌集』)


 『銀葉夷歌集』巻第四冬歌は全七七首。掲出歌の題は「衾」。初句は「下潜り」だろう。床の下から畳の縁と縁の間を通って風が入ってくる。夏であれば涼しいが冬である。たまったものではない。衾は体にかける夜具。それでいけば床に敷くのは褥である。なぜ結句「敷ふすま」なのか。四句「風の手」に対抗して袖や襟の付いた衾にした、と読んだがどうか。

  人とはぬ隠居の門ををとつるる風のみやけは木(の)葉成(り)けり
  中々に火桶といはん水桶に手をさしみれは厚氷哉
  わたりてもなき山川にをのれのみはね橋かくる雪折(れ)の竹
  銭蔵といははやいはん火燵にはあしにおあしの集(ま)りてあり

 一首目の作者は伯水、題は「百首歌中に隠居落葉」。老いという現実を一つの典型として描いたような作品である。読んでいて残酷なぐらいだ。それを支える手法は風の擬人化であった。二首目の作者は信安、題は「氷」。「水桶」が「火桶」になる根拠は「厚=あつ=熱」という音の共有、そして熱さと冷たさと性質は両極端であるが耐え難い程度において「中々に」(むしろ、いっそのことの意)なのだ。三首目の作者は重香、「題しらす」。初句は「渡り手も」。二句「山川」は山中を流れる川、ちなみにサンセンとヤマガワの読み方があるが私は前者を採る。四句「跳ね橋」は城の入り口などに設ける橋すなわち結句「雪折(れ)の竹」の見立てである。四首目の作者は信安、題は「火燵」。初句「銭蔵」は銭を貯えておく蔵。二句「云はばや云はん」、見立てである。火燵の中には足、そして足も御足も銭の謂いである。

  商(ひ)の片手に案しつつくるは節季仕舞(ひ)と元日の歌
  柊にて鬼か目をつくそのひまに福徳神や内へいりまめ
  福は外鬼は内へと節分の豆をは誰もいるまやう也
  福は内へ煎(り)豆蒔(い)てもてなすをひろひひろひや鬼はいぬらん

 一首目の作者は藤原貞因、題はない。四句「節季仕舞い」は節季(ここでは歳末の意)の支払いを済ませて決まりをつけること、こちらが洩れのないように調べる意なら、結句は考えを巡らせること、面目躍如である。二首目の作者は一飛、題はない。初句「柊」、節分には悪鬼払いとして枝葉に鰯の頭を付けて門口に挿す風習があった。四句「福徳神」は「福徳人」に倣ったか。結句「煎り」には「入り」を掛ける。三首目の作者は貞林、題はない。結句の「いるまやう(入間様)」は入間詞すなわち逆さ言葉である。そこで気になるのが四句の「も」である。誰もが入間詞を使ったか。否、歴史的仮名遣いよりも発音である。「入間様」は福も鬼も「いるまよふ(入る迷ふ)」と解した。四首目の作者は宗長法師、題はない。結句「去ぬらん」、鬼の退場が滑稽に描かれている。今と違って節分は大晦日に行われたようである。

天下一いふはかりなき名の月を目にかくる社(こそ)ことはりよなふ
                                      太女(『銀葉夷歌集』)


 『銀葉夷歌集』巻第三秋歌の続き。掲出歌の題は「八月十五夜」。『銀葉夷歌集』の入集歌人は二〇九人、うち女性は六人。次に入集歌の多い順だが伯水(九十五首)、方碩(七一首)、愛宗(五五首)、友和(三五首)、太女(三〇首)と続く。作者は有力歌人なのだ。二句は「云ふばかりなき」に「秤」を潜ませ、対応する四句「掛くる」に「量る」意を込めている。

  真白にて丸う見事なもち月を申さは是もてん夜もの也
  月々の月の鼠の算用はひき残(り)てや有明のそら
  みあくれは八坂の塔の九輪迄たた一りんの月にかかやく
  淀川の月の光ものりあひの船賃にをく露の玉かも

 一首目の作者は方碩、「八月十五夜」の一連である。二句の「丸う」は「丸く」のウ音便。三句「もち」は「望」と「餅」、結句「てん」は「天」と「店」と同音異義語である。二首目の作者は信安、題はなし。二句「月の鼠」は月日が過ぎていくこと、三句に跨って「鼠の算用」は鼠算だが、ここは深入りせず縁語とのみ解したい。四句「ひき(引き)」に「匹」で、まだ残っている有明月なのだ。三首目の作者は貞林、詞書は「八坂月」。二句「八坂の塔」は京都市東山区にある法観寺の五重塔、四句「一りん」は満月。ほかに咲いた花一つ、一つの輪の意味もあり、多義性による効果を狙っている。数字の出方も絶妙だ。四首目の作者は伯水、「題しらす」。三句は乗合船の略そして月の光も「乗り合ひ」の両義となる。では船賃はどこに置いたのか。三十石船の出港した渡し場にも月、地上はすっかりと秋であった。

  猫足の膳部につかふはつものはちちちと計(はかり)鼠茸哉
  をし折(り)て給(は)りたれはゑほしかきその味(は)ひをかふりてそ知(る)
  籠の内に思ひを入(れ)てをくらるるかたしけなしの心也けり
  まつかいに紅葉は色に出(て)ぬるを詠(ながめ)る人は面白しとや

 一首目の作者は重栄、題はなし。初句「猫足」は膳などの脚の下部が猫の足の形に似ているものをいう。結句「鼠茸」はホウキタケの別名。いずれも形状の見立て、そして作品は言葉遊びである。二首目の作者は政栄、題詞は「柿の枝折(しをり)を得て返事に」。柿は烏帽子に似た烏帽子柿。したがって初句「をし」は枝の場合は接頭語、烏帽子の場合は「押す」の連用形と解す。結句も柿(烏帽子)を「齧る(被る)」となる。三首目の作者は伯水、題は「梨を得て返事に」。技巧としては四句「かたじけなし」に「梨」を掛けた。あるいは二句「思ひ」は「重い」であるか。いずれにしても結句「心」を重視した作である。四首目の作者は太女、題は「紅葉」。初句「まつかい」は「まっか」に同じ。平兼盛の「しのぶれど」(『拾遺和歌集』)なら「物や思ふ」と尋ねるのだが、こちらは赤と白の対比に還元してしまった。

みるからにひれある人の家ゐには玄関口もささてさし鯖
                                    満永(『銀葉夷歌集』)


 『銀葉夷歌集』巻第三秋歌、一〇七首。掲出歌の詞書は「百首歌中に玄関刺鯖」。「刺鯖」は背開きにした塩鯖二尾を一刺しにした盆の贈答品、二句の「ひれ(鰭)」には魚の鰭のほかに貫禄や羽振りなどの意がある。三句「家ゐ(家居)」の「ゐ」は字数調整だろう。結句は「篠で刺し鯖」、そして「然然で刺し鯖」。「然然」は、しかじか、これこれ、の意である。

  なき玉の今宵くるくるくるくるとまはり灯籠ともしてそまつ
  聖霊のちさうのためにそなへ置(く)瓜もなかこは仏ならすや
  御法度の踊の太鼓うつやそのてれつくてんのはちそあたらん
  秬(きょ)にあらず稗にもあらて畑際にほにほのそふる薄なりけり

 一首目の作者は行風、詞書は「玉祭」。「玉」は「魂」と同語源、『日本国語大辞典』で「魂祭」を引くと用例に「玉祭」とある。その「玉」が帰って「来る」と「玉」が転がるさまをいう「くるくる」を重ねて四句「回り灯籠」を導く。影絵が主役のようだ。二首目の作者は伯水、詞書は「百首歌中に玉祭瓜」。四句の「なかご(中子・中心)」は瓜の種子を含んだ柔らかい部分、また堂の中央に置くところから斎宮の忌み詞で仏の意となる。三首目の作者は光友、詞書は「躍(り)法度と有(り)し年に」。初句「法度」は法令、ここでは禁止されていること。結句の「ばち」は太鼓を打つ「桴」とその見返りとしての「罰」を指す。四首目の作者は方碩、詞書は「百首歌中に畑際薄」。初句「秬」は黒黍のこと。四句は「穂に穂の添ふる」。初二句で二つの作物を提示して否定、四句で擬して、結句で正体を明かした。

  雲の浪こいて出(で)ぬる月の船の棹になりてやわたる鳫かね
  出(づ)るより西へいるまて時付(け)のときをちかへぬ月の御船(みふね)
  月弓のはすの違(ひ)しやくそくはひくにひかれぬ用とおほせよ
  月弓のひくにひかれぬ用そとてやくのちかふは大はすそかし

 一首目の作者は伯水、詞書は「百首歌中に月前鳫」。三句「月の船」は空を海、月をその海を渡る船に喩えた。四句「や」は反語、月を背景に雁が列をなして飛んでいる図、すべてが見立てなのだ。二首目の作者は満永、詞書は「月」。三句「時付(け)」は時刻を指定すること、空の御船の発着に乱れのないことを云っている。結句が六音の例である。三首目の作者は伯水、詞書は「ともなふ人の方へ月みにまからんと兼(ね)て契りしにさはる事有(り)けれはかく申(し)つかはしける」。初句「月弓」は「月弓尊」(月の神)また「槻弓」も同音である。弓の縁語でもある「筈」を効かせながら四句、さらに結句「おぼせよ(思せよ)」、お思いになって下さい、と断りを入れた。四首目は、その「返し」である。作者は方碩。「ひく」の多義性を受けて結句「大筈」(無責任なこと)というどんでん返しで一矢報いた。

ゑひもせす京をわたせる祇園会は一二三四五六月七日
                                      恵立(『銀葉夷歌集』)


 『銀葉夷歌集』巻第二夏歌、七七首。掲出歌の詞書は「夕立過(ぎ)る後よめる」。雨は酒と違って酔うことはない(「よふ」は「ゑふ」の転)。初句は伊呂波歌の最後の五音、その末尾に付く「京」を呼び出す役割も担っている。結句の「六月七日」は祇園会の始まる日(現在は七月十七日)。四句以下は手習い歌に倣って漢数字、一から始めて六月七日で決めた。

  さきつつく卯の花垣はしらかへの塀かまへとそみるへかりける
  一声はきいたといふも中々にとつととをいの山ほとときす
  一声はとちの方にか有明の月にはけたかやよほとときす
  一声を聞(い)てよろこふものはたたうゐの赤子に山ほとときす

 一首目の作者は正盛、詞書は「卯華」。三句は「白壁の」、四句は「塀構へとぞ」で、以下「見るはずだ」「見なければならい」といったニュアンスを伝える。二首目の作者は元昌、詞書はなし(その前が「聞郭公」。以下、二首が続く)。三句は中途半端に、むしろ、といったところ。四句の「とつと」は「ずっと」、はるかにへだたっているさまをいうが幼児語の「とっと(鳥)」も無視できない。「一声」に返って不満が残る。三首目の作者は重勝、詞書はなし。二句「とち」は「どち(何方)」、四句は「月に化けたか」、結句「やよ」は呼びかけ。藤原実定の〈郭公なきつるかたをながむればただ有明の月ぞ残れる〉(『千載和歌集』)を踏まえた。四首目の作者は信安、詞書はなし。四句の「うゐ」は「うひ(初)」、「ゐ」と「ひ」は問わない。そして伊呂波歌の「うゐ(有為)」で結句の「山」に「有為の奥山」を響かす。

  夏の夜はとにつけかくうにつけてしも団(うちは)社(こそ)よきつかひ物なれ
  飛(び)火なら幾度袖を払はまし螢みたるる宇治の川はた
  昼ぬれは蠅集(ま)りつよるは又是のみならすかかるめいわく
  賤かやは蚊をふすへぬるけふたさに狸ねいりもならぬ夏のよ

 一首目の作者は愛宗、詞書はなし。二三句は「とにつけかくにつけ」の「かく」に「蚊喰う(歴史的仮名遣いなら「かくふ」が正しい)」を潜ませた。それによって余る二字は三句に回す。さらに副助詞の「し」で字数を補った、と解する。二首目の作者は金門、詞書は「宇治にて」。初句「飛(び)火」は火の粉が飛び散ること。また、その火の粉。三句の助動詞「まし」は反実仮想、そう考えると結句「はた(端)」は「肌」にも通う。三首目の作者は半笑、詞書はない。四句に蚤が隠れ、結句では蚊が二匹飛んでいる。昼は蠅、夜はトリオ(蠅蚤蚊)に責められるがどうしてよいかわからない、の意。四首目の作者は之時、詞書はなし。蚊帳のない「賤が家」である。そこで蚊遣火で蚊を燻べることになるが材料は草木の葉、三句の「ぬる」が「寝る」に見えるから不思議である。下句、煙の縁で狸の登場となった。

態(わざわざ)申すよつて詠(め)るさくら花一枝をくりたてまつり候
                                      安親(『銀葉夷歌集』)


 『銀葉夷歌集』は生白堂行風の『古今夷曲集』(一六六六年)『後撰夷曲集』(一六七二年)に次ぐ編著。延宝七(一六七九)年刊。「序」に「和歌は情淳にして風情をかさり夷歌は俗語をもきらはす理にかなふをもはらとせり」とある。行風の狂歌観である。命名にあたっては『金葉和歌集』を念頭に置く。一〇巻一一八六首。掲出歌は巻第一春歌、全一六一首のうちの一首である。詞書は「花の枝送るに添(へ)て」。作品だが諸橋轍次の『大漢和辞典』で「態」を引くと国訓として「わざわざ」、ほかのついでではない意。したがって初句七音となる。二句「因って」は漢文訓読に由来する語、そういうわけで。初二句に飛躍の感がある。

  うてたてか氷のはつた川つらを打(ち)はる風は陽気もの也
  棚もとてきく鶯の声ならはそも摺鉢のみそし一文字
  是や此(れ)よめなをつかふ料理にはあとよりいたせ蕗のしうとめ

 一首目の作者は顕行、詞書はなし。初句は「腕立て」(腕力の強さを自慢すること)、三句は「川面」で面が人の顔を連想させる。四句は「打ち春(張る)」で結句に接続して「春風」となる。二首目の作者は貞林、詞書なし。初句は作中人物のいる場所を指す。どうやら今の台所らしい。上の句を受けて「そもそも歌の一首ぐらい」と展開する。下句「(摺鉢の)味噌」が「三十(字)」に掛かる。三首目の作者は方碩、詞書は「春草」。二句「よめな(嫁菜)」、春の若葉は食用となる。結句「蕗のしうとめ(蕗の姑)」は蕗の薹の異名、蕗の若い花茎で食用となる。脳天気な男の歌ではある。そして嫁菜も蕗も同じキク科であるのが面白い。

  さいめよりあらく吹(き)こす春風に花の浪たつうら屋なりけり
  そよとたに風もふかぬに禅寺の花ちる事よいかなるか是
  あたたかな日は田返しに引(き)て行(く)牛も涎をくるすのの原
  無常そと花も悟やひらくらんきのふも過つけふもくれんけ

 一首目の作者は伯水、詞書に「百首歌の中に際目落花」。初句の「さいめ(際目」は境目、境界。結句の「うら屋」は裏通りに面した家。粗末な家の内と外の境目、それに波の花の逆で「うら(浦)」に海と陸の境目のイメージを重ねた。二首目の作者は同じく伯水、詞書は「古寺落花」。四句までは眼前の風景、それに対して結句は修行者に出された公案の趣きである。二句の不条理を受けて四句に詠嘆の「よ」が付く。三首目の作者は正信、詞書は「春田」。結句は「栗栖野の原」。栗栖野は京都市北区にあった古地名、歌枕である。四句から五句の「涎をくる」は音の似る「涎繰り」(涎を垂らしていること)だろう。四首目の作者は一見、詞書は「木蓮花」。三句、花も悟りも「ひらくらん」を共有そして擬人化してみせる。下句は無常の描写、結句は「今日も暮れん(け)」に「(けふ)木蓮華」、単純だが見事な着地である。

やかてやかて香の花のと供せられ扨かのきしにわたりものかも
                                  豊蔵坊信海(『信海狂歌拾遺』)


 『信海狂歌拾遺』は『豊蔵坊信海狂歌集』『孝雄狂歌集』の補遺として『狂歌大観』編者によって抄出されたもの。掲出歌の出典は『芳草集』。詞書に「戊申の年九月俄に煩(ひ)て心地死(ぬ)へかりけれは」とある。該当するのは元禄元(一六八八)年であるが『日本古典文学大辞典』(岩波書店)はこの年を没年としている(六十三歳)。結句は「渡り物」で祭礼のときの「ねりもの」をいう。辞世には違いないが実際の没年を証明するものではない。

  父の気色もはやゑいかもむひやうにて命なかけんめて鯛屋かな

 右の作品は詞書に「父貞囚時疫煩ふとて祈禱の儀頼(み)こしける程なく本服せしとて 学ひぬる歌の病ひも頼みあり時疫をいのるしるし山城 鯛やよみこしけるかへし」とある。「時疫」は流行病。「山城」は「山城大掾藤原貞囚」だから下句は貞囚もしくは「父からもよろしく」であろう。二句の「ゑい」は「えい(良い)」、三句は「無病にて」、結句は快気祝いに鯛を添えた。なお江戸での信海は石田未得や北村季吟と親しかったことが作品でわかる。

  けふ御礼いちいち首尾のよかれかし各心中に御祈念をして
  梅咲(い)て大木小木の花なかめあふるかき餅みそし一(と)もし
  弟子はけふ麓の野辺をたとるかと心にかかる富士の白雲
  ひけまんをするとはなしにをとこ山七日急(い)て八日にすらり
  御祈祷の御礼納めて如律令いはふて三度急急の急
  秋風とつれたつとてもひえはせしかさねかさねのたひ衣にて

 一首目の詞書は「弟子一位江戸へ御礼に参りし時正月廿八日に御礼相勤(め)ん事を思ひやりて」。江戸への下向は弟子の代行に変わったようである。四句「各心中」は二句「いちいち」を受けている。二首目の詞書は「弟子留守の淋しさに」。二句は「たいぼくしょうぼく」と読んで二音の音余りである。おだやかな晩年の日々と云おうか。三首目の詞書は「いちゐけふ麓の野辺をなかめんと思出(て)て」。手に取るように行程がわかるのだろう。そして気になるのはやはり富士の姿であった。以上が『芳草集』。四首目の詞書は「道中八日に帰山して」。初句は「卑下慢」、ここでは自慢するつもりは毛頭ないがやはりそれが自慢になっているかも知れない、そんなふうに読んでおこう。通常は十五日の行程を八日に短縮したのである。結句「すらり」は事が順調に進むさま。五首目の詞書は「一とせに三度下向の折に」。魅力は「急急如律令」(急々に律令のごとくに行え、の意。祈禱僧などが呪文の結びとした)の持ち込みの成功である。以上が『狂歌鳩杖集』。六首目は『芳草集付簽』、詞書が読み辛いが「八月九月之御祈禱修行御札持参又罷り下るべく存ぜられ候。心底御推量下さるべく候」か。早く帰りたかったのだろう。しかし念願とした古郷越後は最期まで遠かったようである。

菩提やか妙なる歌の言囚にかの蓮台にのる菓子袋
                                  豊蔵坊信海(『孝雄狂歌集』)


 掲出歌は詞書に「難波の鯛屋といふ菓子屋に」とある。初句の「やか」は接尾語で名詞に付いて形容動詞の語幹を作る。いかにもそのような感じがする意、「提や」に「鯛屋」を隠す。「言囚」は上方狂歌壇の第一人者となる鯛屋貞柳またの名を油煙斎貞柳(一六五四〜一七三四)の本名である。母の法名は「妙囚」、二句に「妙」、三句に「囚」も配されている。

  春毎(ごと)の県(あがた)のめしのうへにても菓子及第にしくはあらしな
  初にきた隔心かまし馳走すな名をはゑんていしつたお人しや

 一首目は『後撰夷曲集』で取り上げたが作者は安原貞室(一六一〇〜一六七三)、詞書に「家職の得業によ(り)てかけまくもかしこき詔ましまし御菓子所山城大掾藤原貞囚になしたまふその悦の俳諧一巻の奥によめる」とある。この藤原貞囚が言囚の父である。二首目は『豊蔵坊信海狂歌集』に載る。詞書に「貞室はしめて来けるに納所馳走たてしけるを留(め)て」とある。納所坊主に気を使ったのだ。二句「隔心」は気兼ねする気持ち、「ゑんてい(淵底)」は副詞で「すっかり」、結句「しや(じゃ)」は助動詞、「である」の語尾「る」が脱落した「であ」の転だという。初対面だが貴方の名前はよく知っている、気を使うなと云っている。貞室は信海より十六歳の年長、言囚は二十八歳の年少、信海の名は今思うよりも大きい。

  母をすくふためし有明の月ほとなこれは菓子盆それはうら盆
  見る人も見らるる花もさつとひまあきのさくゐの珍菓亭哉
  くろこりややかて夜あけてしろこりやひつつれたつた京のほりかな
  京まての同道はよしともなれとわれはかこにてふしみときはしや

 一首目は詞書なし。掲出歌に続く作品である。初句から二句の「ためし(例)」は餓鬼道に落ちた母を救う盂蘭盆経の物語、この経説に基づいて行われる仏事が盂蘭盆である。下句の対句表現はよくある手だ。二首目は詞書に「大坂の珍菓亭言囚参(り)て秋牡丹の花をみて狂詠をいふに」。「秋牡丹」は「秋明菊」、題詠を提案したのである。三句「さつとひま」は悩むが「ざっと閑」(およそ漫然としているさま)、四句は「あき(飽き)のさくゐ(作為)」と読む。冷やかしたあと助け船を出した模様である。三首目は詞書に「かたるに夜ふけけれは京におもむくしれものにてつれたちけれはいとくろく雨さへふりけり」とある。「しれもの(痴れ者)」とは信海と言囚、したがって初句は「黒狐狸や」、三句は「白狐狸や」と読む。四句は「引っ連れだった」、ちょっと悪者ぶったところに信海の満足がある。四首目の詞書は「いとねふたき歌咄しけれはわひてときはといふ処にて」。「ときは(常磐)」は京都市右京区の地名、連想は常磐御前に移り二句から三句に義経の父「義朝」が身を隠す。結句は「不死身常磐」か、表は「臥し身時じゃ」(眠らせてもらうよ)。言囚は笠を借りての同道である。

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