やかてやかて香の花のと供せられ扨かのきしにわたりものかも
                                  豊蔵坊信海(『信海狂歌拾遺』)


 『信海狂歌拾遺』は『豊蔵坊信海狂歌集』『孝雄狂歌集』の補遺として『狂歌大観』編者によって抄出されたもの。掲出歌の出典は『芳草集』。詞書に「戊申の年九月俄に煩(ひ)て心地死(ぬ)へかりけれは」とある。該当するのは元禄元(一六八八)年であるが『日本古典文学大辞典』(岩波書店)はこの年を没年としている(六十三歳)。結句は「渡り物」で祭礼のときの「ねりもの」をいう。辞世には違いないが実際の没年を証明するものではない。

  父の気色もはやゑいかもむひやうにて命なかけんめて鯛屋かな

 右の作品は詞書に「父貞囚時疫煩ふとて祈禱の儀頼(み)こしける程なく本服せしとて 学ひぬる歌の病ひも頼みあり時疫をいのるしるし山城 鯛やよみこしけるかへし」とある。「時疫」は流行病。「山城」は「山城大掾藤原貞囚」だから下句は貞囚もしくは「父からもよろしく」であろう。二句の「ゑい」は「えい(良い)」、三句は「無病にて」、結句は快気祝いに鯛を添えた。なお江戸での信海は石田未得や北村季吟と親しかったことが作品でわかる。

  けふ御礼いちいち首尾のよかれかし各心中に御祈念をして
  梅咲(い)て大木小木の花なかめあふるかき餅みそし一(と)もし
  弟子はけふ麓の野辺をたとるかと心にかかる富士の白雲
  ひけまんをするとはなしにをとこ山七日急(い)て八日にすらり
  御祈祷の御礼納めて如律令いはふて三度急急の急
  秋風とつれたつとてもひえはせしかさねかさねのたひ衣にて

 一首目の詞書は「弟子一位江戸へ御礼に参りし時正月廿八日に御礼相勤(め)ん事を思ひやりて」。江戸への下向は弟子の代行に変わったようである。四句「各心中」は二句「いちいち」を受けている。二首目の詞書は「弟子留守の淋しさに」。二句は「たいぼくしょうぼく」と読んで二音の音余りである。おだやかな晩年の日々と云おうか。三首目の詞書は「いちゐけふ麓の野辺をなかめんと思出(て)て」。手に取るように行程がわかるのだろう。そして気になるのはやはり富士の姿であった。以上が『芳草集』。四首目の詞書は「道中八日に帰山して」。初句は「卑下慢」、ここでは自慢するつもりは毛頭ないがやはりそれが自慢になっているかも知れない、そんなふうに読んでおこう。通常は十五日の行程を八日に短縮したのである。結句「すらり」は事が順調に進むさま。五首目の詞書は「一とせに三度下向の折に」。魅力は「急急如律令」(急々に律令のごとくに行え、の意。祈禱僧などが呪文の結びとした)の持ち込みの成功である。以上が『狂歌鳩杖集』。六首目は『芳草集付簽』、詞書が読み辛いが「八月九月之御祈禱修行御札持参又罷り下るべく存ぜられ候。心底御推量下さるべく候」か。早く帰りたかったのだろう。しかし念願とした古郷越後は最期まで遠かったようである。