[ 先人の努力を知る ]

長野県がなぜ教育県であるのかよくわかりました。

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旧開智学校があったからです。 

残念ながら今月末まで校舎自体は改修中で、明治を代表すると言われる美しい擬洋風建築の全容を見ることはできませんでした。しかし、明治9年の建設以来90年以上も小学校の校舎として使われ、いまも教育博物館として機能しているすばらしい建築を堪能させていただきました。

設立の経緯からしてすばらしいなと思うのは、建設資金1万1千円という大金の七割を地元の寄付でまかなったということです。ちなみに、明治6年と現代の貨幣価値をくらべると8300倍になりますので、当時の1万1千円は約1億円ということになるのでしょうか(「いまならいくら?」)。貨幣価値だけで比べた1億円の価値をどう考えるかですが、ようやく幕末をこえて混乱していた当時の生活の水準でこれだけのお金を寄付によってまかなえたというのは、いかに地元の方々が教育熱心であったかの証拠ではないでしょうか?

建築にも随所に工夫がこらされていて、天井が和紙張りだというのにも驚かされました。たしか六層張りになっているのだそうです。洋風建築をいかに日本の技術で実現するか創意工夫に満ちていました。

そういえば、富岡製糸場以来かもしれません、こういう見学は。

建築の話題からは離れますが、これなにかわかりますか?

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博物館の中に展示してあった江戸時代の教科書です。

各時代の教育の水準がよくわかる教科書、教材などの展示がいくつもありました。いまから考えると戦前、あるいは明治の教育というのは旧式で丸暗記ばかりという印象がありますが、こういう問題を見るとなかなか一人一人の発想、そして人格的な教育を重視していたことがわかります。

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いまも県内一の進学校として知られる松本深志高校も、もともとは開智学校の英字課がスタートだったそうです。

併設された諸機関は後にそれぞれ独立して、現在も生き続けています。一例を示すと、
・師範講習所(明治6年)は後に、信州大学教育学部に、
・変則中学校(明治9年)は後に、県立松本深志高校に、
・付属幼稚園(明治20年)は後に、市立松本幼稚園に、
・開智書籍館(明治24年)は後に、市立松本図書館に、
・明治三十七、八年戦役紀念館(明治39年)は後に、松本市立博物館に、
・盲人教育所(明治45年)は後に、県立松本盲学校に、
それぞれなりました。
松本市公式ホームページ

松本市は今年で市制施行100年だそうですから、今から135年前に開設された開智学校はまさに地域の教育の母体であり、地域の文化の振興に寄与してきたといえるのではないでしょうか?失礼ながら、地の利に恵まれたとは言えない松本市が現在の隆盛を長野県内で誇っているというのは、その教育の力によるところおが大きいのではないでしょうか?

今回は、付属小学校の話題そのものからははずれてしまいましたが、教育がいかに地域で重要な役割を果たしているのか実感したので、報告しておきます。