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「知ることは共に生まれること」(ポール・クローデル)
connaitre = con + naitre
頭がよくなる法――マインドマップのすすめ
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「遅ればせながら…」と言うべきか、それとも、「とうとう…」と言うべきか、おそらくそれまでにも知る人には知られていたのであろうが、多分あのOECDのPISAの結果を受けてのことであろうし、また過去3回のテストでも絶えずトップにい続けるフィンランドの教育方法が注目されてのことであろうが、日本でも「マインドマップ」とか「フィンランド方式」という言い方が注目されるようになっている。そして、日本でもその先便を付けたのはきっとこの本であったのではないか。
トニー・ブザン著『頭がよくなる本』(東京図書 1600円)
腰帯に「速読術+記憶術+マインドマップでいま、あなたの脳が目覚める!」「トニー・ブザンの超ロングセラー 27言語、100カ国語以上で翻訳出版!」とある。そんな凄い本なのかと思って奥付けを見ると、初版第一刷は1982年12月3日とある。
この手の本(いわゆるハウツーものの先駆け)にしては息が長いと言うべきであろうか。あえて「この手の本」というのは、日本が西欧に追いつき追い越せの教育やビジネスの時期を過ぎて、世界のトップ集団の一員として他の先進諸国と伍していかなければならなくなった時期に、日本にまだそのためのノウハウはなく、やはりその範を他の先進国に求めたが、その時に手掛かりとされた書物ではなかったのかなと思われるからである。
この状態は21世紀になった今も基本的には変わっていないように見える。だから、「知的な行きつまり」が明らかになった日本において、本書をはじめトニー・ブザン流の思考法等が改めて――あたかも初めて日本に導入されたかのような趣で――紹介されることになったのではないか。
確かに本書には最新の研究成果も盛り込まれてはいるが、そのほとんどはいわば既知の事柄である。しかし、その存在価値は、現在においても色あせないどころか、時代がようやく本書に追いついたかのように、改めて見直されている。今、日本の世の中がある種の「脳ブーム」になっているのも、マインドマップを提唱するこのトニー・ブザンの書物の流行(?)と無縁ではあるまい。(つい最近、トニー・ブザンお墨付きのマインドマップ・ソフトが日本で発売になった)
本書の目的は頭脳の働きや仕組みを知り、もっと効果的に働かせようというもの。まず脳による理解や記憶を従来のように言語から類推する線的なものではなく、脳の機能そのものに基づいた多元的、多面的、立体的、複合的なものとして捉える。そして、その中心にあるのが視覚的なイメージの働きである。記憶を司るのは言語ではなくイメージなのだと言う。そして、そのことを実証するために本書では練習問題や提案をもとに実演を通して読者に納得させるようになっている。
極めつけは、このブザンの『頭がよくなる本』に書かれていることを忠実に実践したことで、もとはダメ学生であった人物がケンブリッジ大学に進学し、さらにそこでも目覚しい成績を上げ、しかも卒業後には有史以来の企業のポストに就いたという実話が紹介されている。そしてその人物に「ぼくとほかの人との違いはただ、ぼくが考える方法、頭を使う方法を知っていただけです」と言わしめている。
だから、この本は人間の頭脳の無限の可能性への賛歌であり、頭脳を最大限に活用する方法について書かれている。人間の脳のすばらしいモデルとして赤ん坊の脳が紹介されているが、それも我々一人ひとりの脳がそれであるということに他ならない。
しかし、「しょせん人間なんだから」という言葉で明らかなように、今まで人間の脳がこれほど評価されることはなかった。私たちはまだ脳の進化の初期の段階にあり、このバイオ・コンピューター理解のたどたどしい第一歩を踏み出したばかりだということもある。本書はいわばその最初の「操作マニュアル」なのである。
本書はまず「速読」を取りあげる。従来の読書法には学習を妨げる様々な問題があった。読むことは「人間と記号化された情報の相互関係の総体」を理解することなのだが、今までは文字の認知レベルに留まっていた。そういう教育もされてこなかった。そこでなぜ「速読」なのかが、視覚や知覚の実践例、動機付けの効用などを踏まえて説明される。
私たちは学習したことをどのように理解し記憶するのだろうか。そこで、学習中の記憶力、次いで学習後の記憶力について、実際のテストとその結果を記憶の曲線(忘却曲線?)の実例を見ながら具体的に説明する。理解されたものの一部しか私たちは記憶に留めないこと、適宜休憩をとることで記憶力は高まることが分かる。記憶するということは基本的には既存の知識と関連付けること、キーワードやキー概念を適切に用いることである。そこで、正しく記憶するためにはマインドマップの形式による系統だった適切な復習やノートのとり方ががとても大事だという。
※全10章のうち、ここまでの5章は脳についての新しい考え方を解説であり、本題の「マインドマップ」についてはこの章以降に論じられる。
まず第6章は読書のあとの二つのノートの取り方に触れる。一つは記憶のためのキーワードであり、一つは創作のためのキーワードである。この両者には大きな違いがある。記憶のためのキーワードは直線的で特定のイメージと結びつき、創作のためのキーワードは一般的であり想像力を呼び覚ます。
記憶のためのキーワードには再現性が求められる。ところが、従来のノートの取り方、文章構造による記述の方式はイメージや考えを記憶するのに必ずしも適していない。確かに今までは、話したり書いたりする言語によるコミュニケーションは直線的であり、それに依存してきた人間の思考、頭脳の働きも線的なものと考えられてきた。
しかし実際は、脳ははるかに多元的であり、非直線的であり、非常に複雑な相互関係の上に成り立っている。だから、ノートの取り方も従来の直線的なものではなく、主題となる概念を中心にすえたマインドマップ方式が相応しい。キー概念相互のつながりが一目でわかるし、記憶も復習も効率的である。新しい知識や概念の追加も容易となり、論文の草稿とか創造的な仕事のためのノートとしても優れている。マインドマップは今までのノート法の欠点を解消してくれる。
頭脳の働きは線的ではなく立体的である。そういう脳全体の要求を満たすノートを作り、思考をまとめるには「頭脳の働きと密接に関連している」マインドマップが相応しい。会議やコミュニケーションにも利用できるし、講演・論文などへの応用もできる。言葉で表現することが必要な時にはその順序を決めればよい。
こうして、ブザンはキーワードとイメージを用いたマインドマップによる新しい学習法を提唱する。従来の標準的な学習法は基準が学習者の外側にあった。情報を整理し既存の知識と結びつけるためには、学ぶ本人を中心にして、そこから外的な環境を考慮していくことが必要である。マインドマップはそのための操作マニュアルとでも言うべきものである。
「あとがき」で「これは終わりではなく、これからが本当のはじまりだ」と述べている。この新しいマインドマップという技術によって、読むこと、学ぶことなど人生のすべての活動は喜びに満ちたものになるはずだと彼は言う。
確かに、このマインドマップは記述し、思考し、表現するための、現代社会に相応しい優れたツールであると私も感じる。学習やビジネスのためのツールとして、多くの可能性を秘めている。そして、フィンランドなどでの成果に見られるように、特に教育の分野で注目されているのも頷かれるところである。教育こそ国家建設の根幹をなすからである。だが、どれ一つとして同じ人間はいないように、同じ頭脳もない。人によってその反応や記述、イメージの仕方も様々であろう。極めて個性的なツールでもある。
だが、このツールは全体主義的な日本の教育の在り方とは対極をなすものである。ゆとり教育の見直し、総合的学習の見直し、授業時数の増加などの動向は新しい教育の方向を目指しているとはとても見えない。
※この件に関しては、今後の日本の教育を考える重要な視点として今後も取り上げようと思う。
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教育栄えて、学び滅ぶ?
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2008年4月22日(火)の読売新聞に、「日本の知力」第3部 大学で考える(1)というのがあり、“「自ら学ぶ」理想を追う”と中見出しがついている。
記事は“「学ぶ」「知る」の意味が揺らいでいる”で始まり、京都大学の新入生が参加するポケットゼミに触れ、“「自主と自由」を尊ぶ京大を象徴する授業”と紹介している。ここには「教授の口述をひたすら筆記、暗記させられた東大法学部とは対照的」な「自主・自学」を旨とする京大の学風があり、そこから戦後5人のノーベル賞受賞者を輩出したとことがを取り上げられている。福井謙一氏の師は「孔子は弟子に試験をしたとは聞かない」と言っていたとか。
が、大学を取り巻く環境は激変した。今や“自由すぎて目標を見失い、学生が「自由のすき間」に転落する危険”が常にあり、“「自ら学ぶ学生」像は非現実的”という考えもある中で、“自学の精神を持つ学生をどう育てていくか”が課題であるという。
「自学自修」が教育の目標だが、今は「教育栄えて、学び滅ぶ」という状態なのだ。
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これを読んで、「ああ、日本の教育は今、京大でさえこうなんだ…」と改めて思う。
「自由のすき間」に転落する学生を生んではいけないのだろうか。そのために、本来の自立的な教育のあり方を失ってしまっていいもだろうか。そんな感慨さえ覚える。
今、フリースクール・ぱいでぃあでは「自ら考え自ら学ぶ」教育を取り戻したいと思って、ささやかな試みを行っている。大部分が学校教育を離れた子どもたちであるからこそ、紙面にあった東大法学部型の勉強ではなく、「学ぶ主体からの学びの方法」を子どもたちと共に追求したいと思っている。
さて、日本はこれからも絶えず外部に模倣するモデルを求める発展途上国型の教育を続けていくつもりなのだろうか。
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偏狭な「知」からの解放を求めて
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今、フリースクール・ぱいでぃあのある舟山通りの街路樹のハナミズキがとてもきれいです。春の柔らかな日差しに白やピンクの清楚な花弁を一杯に広げ、道行く人々の目を楽しませています。
この花水木という木立はアメリカからやってきた植物のようですが、外来種だの在来の植物に害を与えるだのなどといった非難を浴びることもなく、すんなりと日本の風土の中に溶け込んでいます。桜と張り合おうなどとは考えず、その後に控え、それなりに華やかではあるものの、桜とはまた違った気品のある風情を漂わせています。
でも、今の子どもたちはなかなかこういったものに目を向けようとはしません。しかし、あえてそういう関心が向くように仕向ければ、子どもたちもそれなりに興味を示すようになります。関心がないとか興味がないとかいうのではなくて、そういう経験をしたことがないから分からないというのが本当のところのようです。
これも一つの例に過ぎませんが、これほどの情報化社会の中に生きていながら、子どもたちの視線の向いている世界――視野と言ったらいいのか――は極めて狭いのです。それは周りに自然がないから自然に関心を示さないというような問題ではありません。その論法でいけば、自然に恵まれた田舎の子どもたちはさぞかし自然と豊かに触れ合っていることになりますが、とんでもないことです。46時中ゲーム三昧で、都会の子以上に自然と触れ合っていないことも多いのです。そういう子どもたちの狭窄的な視野をできるだけ広げてあげること、それもまた大人の責務ではないかと思っています。今の子どもたちをそのようにしてしまった過半の責任は我々大人の側にあるのですから。
私どものフリースクールは「教科学習を重視するフリースクール」ということもあってか――得意か苦手かにかかわらず――比較的勉強に意欲を持ったというか、勉強をしなければ…という気持ちの強い子どもが集まりますが、もしかしたら不登校になった原因の一つかもしれないと思われるものに、「勉強の世界に逃げ込む」というのがあります。
どういうことかと言いますと、「勉強さえ出来ればすべて許されてきた」という遇され方です。小さいときから学校や塾での成績がどうだというようなことばかりに評価の基準があり、そのため勉強以外のことがまるで出来ない子どもに育ってしまっていることがあります。家人がお使いを頼もうとしても、「今、勉強中」と言えば免罪される。実は勉強をしている振りをして嫌なお使いを断っただけ。でも、それで通ってしまう。家人もそれ以上は言わない。それが高じて何も出来ない、何もやりたがらない子どもが出来上がってしまった。そして、その結果として学校不適応を起こすようになった…と考えられるのです。これもまた、周りの大人の責任です。こういうこの場合には、勉強はレベルを維持させながら(これが唯一本人を支えているアイデンティティ)一方で、社会化するための様々な身体的な訓練や感覚の練磨を行っていかなければなりません。
フリースクール・ぱいでぃあの標語の一つ「書を捨てて町に出よう、野山に出かけよう」というのはあの「べ平連」の創設者・小田実や劇作家・寺山修司のもじりですが、偏狭な知的行為からの解放、感覚の解放を目指すことは、フリースクール・ぱいでぃあの大切な活動の一つなのです。また、「遊び感覚の中から学ぶこと」――これも「遊びの教育学」をモットーとするぱいでぃあでの学びの方法の一つです。何せ「ぱいでぃあ」とは、ギリシャ語の「遊び」(パイディア)と「学問」(パイデイア)との統合した造語なのですから。
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現代版「堀池の僧正」――授業料未納問題から
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千葉県立八千代西高校で入学金未納生徒に入学式出席を拒否した問題に対して学校側の対応に批判的なコメント載せた教育評論家の尾木直樹氏に逆批判が殺到しているという。尾木氏は「極めて機械的、官僚的対応。学校側は2人だけではなく、生徒、保護者に謝罪すべきだ」毎日新聞の求めに応じて述べたコメント、らしい。注目されないコメントも困りものだろうが、それでコメンテーターのサイトが炎上するのも困ったことである。
わたしが敢えて「らしい」と言うのには訳がある。おそらく氏はコメントを求められて20〜30分は話したはずである。記者が識者にコメントを求めて電話取材等を行うときには、そのコメンテーターの主張をその新聞の意見とするというよりは、記者の報道記事の裏づけや自らの主張の補強のために求めることが多い。その時、紙面の構成や字数の関係でコメンテーターの話をキーワードを中心に簡潔に要約して紹介するのが通例だ。が、その時にいろいろと問題になることが起きる。
わたしも時にそういう取材を受けることがあるが、出来上がった記事を見て「え〜、何でこういう記事になるの〜!」ということはしばしばある。いや、より正確に言えば正しく伝えられたと感じる時の方が少ない。それでも公に大過がないと思えば、多少の誤解は見逃して、取材記者や新聞社に目くじらを立てて問いただすということはまずしない。「まあ、しゃーないや」という感じである。
ところが、今回の尾木氏のコメントに関しては、それを読んだ読者の方から、「このコメント、ちょっと変じゃない?」ということになったようだ。それで、尾木氏も普段ではしないであろう「誤解」「真意が伝わっていない」と「弁解」「言い訳」をしなければならなくなったのだろう。良くも悪くも時代は今、双方向のインターネットの時代であり、一方通行のマスコミが主流の時代ではなくなったということである。
が、自分で書いた記事でない限り、こういう「誤解」はいつもついて回る。今回、ネット上で尾木氏への批判が起きている、と紹介したのはまた別の新聞。そこでもまた、「え、おれ、そんなつもりで批判していないよ」というようなことがないとも限らない。言い訳にはなかなか蓋ができない。弁解ばかりが膨らむことになる。論者の立場は違うが、まさに現代版「堀池の僧正」となる。
確かに表面的に見れば、「尾木さん、ちょっとおかしいよ、それ」ということになるだろうが、取材現場の事情を知っていれば、「さもありなん」と氏に同情も覚えるのである。というのは、この教育費滞納の問題は、一部不届きな保護者の問題とか、二言三言のコメントで語って済まされない構造的な問題を含んでいると思うからである。この件に関しては、また別件で論じたい。
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塾費用を無利子融資と東京都
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とは、2008年4月16日付けの新聞(夕刊)の見出しだ。
東京都が経済格差が教育格差となる現状を考え、低所得者向けの支援策として打ち出したものらしい。
全国初の試みだとか。それ自体は結構なことだが、これは「本来、学校教育でなすべきこと」という識者の声は正しい。もしかすると、これは公教育が破綻していることを公に認めたということではないのか。
※それなら、学校教育をはなれフリースクール等、学校外教育に学びの場を求めている子どもや家庭にはどうするのか。本来、それが先ではないか。それがまるで見えて来ない。そういう学校外関係者が都教委に問い合わせたようだ。
※私たちが訴えている「教育バウチャー」が現実のものとなれば一番いいと思っている。
(間違っても安倍晋三氏のように学校間格差をつけるために利用するのではない)
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