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「知ることは共に生まれること」(ポール・クローデル)
 connaitre = con + naitre

 教育の国際化とアイデンティティの問題

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OECD(経済協力開発機構)のPISA(学習到達度調査)が登場して以来、何を子どもの学力とみるか、その見方が大きく変わってきたのを感じる。それは国家が主体となる教育から子どもを主体とする教育への転換であり、教育者が上から教え・覚えさせる教育から学習者である子どもが自ら考え・行動する教育への転換である。教育の目的はすでに一国の利害や時の為政者の都合を超えて、国際的な規模で物を考え行動する社会人を育成するものへと転化している。フィンランドを初めとする北欧や欧州等の教育先進国の多くはそのように教育の舵を大きく切り始めている。

ところが、文科省を頂点とする日本の教育行政はそれに満足に対応することが出来ていない。相変わらず瑣末な論争に終始している。言うなれば、日本の教育論議はまだ開発途上国によく見られる近視眼的な国家主義的な教育観のレベルにとどまり、国際社会で活躍できる人材の養成にはまるで対応できていない。日本の教育は戦前から引き続く偏狭なナショナリズムの尻尾をまだ引きずっているように見える。

そういう中で、日本の教育への反証として機能していたものの一つにインターナショナル・スクールやアメリカン・スクールの存在がある。ところが、日本では文部科学省の管轄下の学校(いわゆる学校教育法の第1条ににあげられている学校群)しか正規の学校とは認可されてはおらず、その他の学校がどんなに優れた教育を行っていたとしても、日本では正式に学校教育を終了した(卒業した)とは認められない。いわゆる各種学校の扱いである。これは朝鮮学校やブラジル人学校などの民族学校でも同じである。しかし逆に、そういう学校では日本の文科省からの教育指示がない分、独自の教育を自由に行えるようになっているとも言える。

ところで、近年とみに国際社会との交流が盛んになり、アメリカを初め多くの外国人が日本に滞在し、その子弟が日本の国で教育を受ける機会も次第に多くなってきている。逆に、多くの日本人が海外の各地へ赴任し、その家族が外国で過ごすという機会も多くなってきた。そして、その子弟が帰国子女として再び日本に戻ってきて、学齢期の残りの期間を日本人として日本の教育を受けるということも多くなってきている。ところが、海外の生活に慣れ親しんだ帰国子女の中には、伝統的な日本の教育方式に違和感を覚えるということも頻繁に起きるようになってきた。中には外国で生まれ育ち、日本人としての生活習慣や日本語を全く身に付けないまま家族が日本に戻ってくるというケースもないわけではない。

後日、インターナショナル・スクールやアメリカン・スクールなど海外での教育のあり方と比較して、いま日本で行われている教育の方法がいかに歪なものであるか考えたい。また、これはその反動からなのか、あるいはなるべく早く子どもに外国語(大部分英語)に触れさせたいという教育ママごん的な発想からか、できるなら我が子をインターナショナルスクールやアメリカンスクール等に通わせたいと願う日本住まいの家庭や帰国子女の家庭もある。外国で感性を身に付けた帰国子女の場合を含め、日本の教育方法に合わなくなっている子どもたちが現に存在するのだ。

しかし、考えて欲しい、日本にあるインターナショナルスクールやアメリカンスクールなどは、文科省傘下以外の学校教育を受けさせたいと願う日本人の子弟のためにある学校教育機関ではない。日本にやってきた外国の家族が日本にいる間だけその子弟に教育を施すためにある機関である。だから、特にアメリカンスクールのような民族学校の場合には本国に戻ったときの事を想定した教育を行っている。海外にある日本人学校と同じようなものである。ただし、インターナショナルスクールの場合には様々な国の子どもたちがいることが多く、その場合にはその国の言葉を尊重すると共に国際共通語として英語で教育を行っている。しかし、そのいずれにせよ、加熱した日本の教育システムに対する反証にはなっても、救済にはならない機関である。

それに、もし幸運にも(?)我が子がインターナショナルスクールに入学できたとしても、それですべてがめでたいとなるわけではない。子どもにとってなれない環境に身をおくのはとても大変なことであり、しかも本人自体は家庭や社会の中では日本人として振舞っていながら、学校に行った時だけは英語の生活を送らねばならない。海外の日本人学校のように周りが外国の社会であれば何ら違和感のないことも、学校以外では日本人として行動している自分がいるということは、子どもにとってはとても奇妙な空間に立たされることになる。

人は母語をもって考え、感じ、行動する。それは自分自身のアイデンティティの確認と密接に繋がっている。普通は日本人として考え振舞っている自分が、学ぶという行為においては英語を使って学校生活を送るということ…そこにアイデンティティの危機を覚えることがある。自分は日本人でありながら、無国籍人として考え行動している…そういう意識である。コスモポリタンに成り切るのは現実問題としてはとても難しいことである。もし、インターナショナルスクールに行った場合にはそういう場合のことも考えなければならない。

さて、それでは今後、子どもたちはどういう方向に生きる舵を切っていけばいいのだろうか。そういう問題をも含めて、次回は『12歳までに「絶対学力」を育てる学習法』(糸山泰造著)を考えて見たいと思う。

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