「知ることは共に生まれること」(ポール・クローデル)
connaitre = con + naitre
「絵で解く算数」
――「視考力」による学習の試み
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先述した「絶対学力」の考え方を算数の問題に応用したのが『糸山メソッド 絵で解く算数』(糸山泰造著、朝日新聞社AERA KIDS BOOK、1200円+税)である。
副題には「描いて育てる考える力」とあり、腰帯には(ここに著者や出版社の言いたいことが集約されている)「計算問題の反復練習では決してのびない“文章題”の力がアップする“絵コンテ読解!”」「“絵”にすれば解く楽しさがわいてくる!」とある。対象は一応小学校の「低〜中学年」となっているが、「算数が苦手」というか、そういう訓練を受けていない子の場合には高学年生であってもかまわない。
いつからこういう取り組みを始めたのか分からないが、その転機となったのがOECDの学習到達度調査(PISA)であることは想像に難くない。前書きで“「PISAショック」といわれた第二回調査から3年たっても、日本の子どもたちの「自ら学び、考える力」がいっこうに向上していない”ことに対して、「学校や塾での教え方が根本的にまちがっていた」と断言している。
(※この件に関しては、第2回のPISA結果が公表された後、OECDのPISAのテストやフィンランドの教育メソッドに関わった中嶋博氏を招き、「生きる力と学力低下」というタイトルで私どもでもシンポジウムを主催したことがあった。それは当時の中山文相の「授業時間を増やそう」という処方箋に真っ向から異議を唱えるものであった。)
その糸山氏の「目を開かせた」のは入塾したある女の子とその母親との出会いにあるようだ。その女の子の豊かな学力は「見えるように話す」「文章のない絵日記をつけさせていた」という母親の話から、「子どものペースを大事にし、見守る」「子ども自身に考えさせる」こと、そして「見え考える習慣」や「じっくり見守る親の態度」がいかに大切であるかを理解したようだ。そこで彼は従来の指導法を根本的に変えたのである。そして、その試行錯誤から生まれたのが、「絶対学力」が「無理なく無駄なく効果的に身につけられる」というキャッチフレーズの、本書のもととなった「算数 絵コンテ読解」である。
この「算数 絵コンテ読解」は算数の文章題に向き合い、その解答プロセスを絵や図にしたもので、「絵図にするプロセス自体に重要な意味がある」のだと著者は言う。つまり、これこそが糸山泰造氏が提唱するところの「視考力」の実践そのものなのである。もともとお絵描きが好きな子どもたちはワクワク、ウキウキしながら問題と向き合うわけだが、そうやって楽しく絵図で描くこと自体が「分かること」「理解すること」に直結する。遊びごとでも習いごとでも、自主的に工夫する思考習慣やトレーニングは、脳の思考回路を発達させるのだ。
本書『糸山メソッド 絵で解く算数』は「ガイダンス」「問題編」「解説編」の3部からなっている。本書は年長さんから小6向けに作問された700題の「良質の算数文章問題」中から抽出されたものである。が、正解かどうかは第一目的ではない。絵にすることによって育まれ自分の“目で見て考える力”が主眼なのだ。思考のイメージ化、イメージシンキングの実践がここにある。この「絵図だと、一言も言葉がなくても“わかる”」のである。「思考の大部分は、“視覚イメージの再現・操作”」だと著者は言う。
我々が学生の時の昔から「チャート式の数学」という参考書があり、文章や数式等を図式化したり、補助線を引いたりして考えるやり方をしていた。しかし、ここまでイメージシンキングを徹底させた勉強方法はしていなかった。いわばそれは思考のための補助手段であった。むしろ、我々の時代には絵図化する思考方法はまがい物の思考態度として軽んじられてさえいたように思う。思考に対する認識も大きく変わったものである。
さて、それでは実際に子どもたちにやらせてみた結果はどうか…。
理解のいい子は問題をしっかりイメージ化できている――これは確かである。実際にこの教材を使い、低学年ではなく、小5の子どもたちにやらせてみた。あえて絵図を用いなくてもある程度できる子どもたちである。確かに、糸山氏の言うように、子どもたちは文章を絵図化する作業そのものは楽しんでする。そしてよく理解できている子ほど文章から絵図を描きあげるのが上手い。描いたその絵図をよく観察すれば、確かにそこから自ずと式が浮かび上がってくる。だが、この問題を低学年〜中学年の子どもたちにやれせることでどのような「考える力」がつくのかということはこれだけでは量りえない。それを証明するためには少なくとも一年間くらいの観察期間が必要になるのではないか。
さらに、言語や数式を駆使した論理的思考をすべてイメージシンキングで代替し、かつそれがすべてだと言い切れるものかどうか――それに一方には言語による「論理的思考」の習得を提唱する人たちもいる。しかし、人はイメージで考える、イメージを介して考える――ということは糸山氏の言うとおりであろう。イメージが豊かであるということは思考が豊かであると言い切ってもまず間違いはあるまい。しかし、しかしである。イメージと一言でいっても、極めて具象的なイメージもあれば驚くほど抽象的なイメージというものもある。それと同じく、人の考えることも実に多様であるとは言えまいか。
糸山泰造氏の「絶対学力」というものは、教育一般の言語では「基礎基本の学力」といわれるものになるだろう。その意味でも私は基本的に糸山氏の考えに賛成である。高速反復学習への警鐘にも同意する。が、たとえそれが優れた方式であったとしても、それが「絶対」だと言い切れるかどうか。そこまで教条的になれるかどうか。そうなった場合には、逆に弊害も多いのではなかろうか。
私流に言わせてもらえれば、それは人間の思考を規定する土台、パソコンに喩えれば「OS」に相当するものと思っている。そのOSの上で動くアプリケーションソフトはいろいろあるが、人のOSもまた様々である。計算や事務に強いOSもあれば、芸術に強いOSもある。まさに人様々である。
イメージと論理性の問題――これはまだまだ考えるべき余地がありそうである。
※走り書きでまとまりのない文章にご容赦を。
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