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「知ることは共に生まれること」(ポール・クローデル)
 connaitre = con + naitre

 偏狭な「知」からの解放を求めて

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今、フリースクール・ぱいでぃあのある舟山通りの街路樹のハナミズキがとてもきれいです。春の柔らかな日差しに白やピンクの清楚な花弁を一杯に広げ、道行く人々の目を楽しませています。

この花水木という木立はアメリカからやってきた植物のようですが、外来種だの在来の植物に害を与えるだのなどといった非難を浴びることもなく、すんなりと日本の風土の中に溶け込んでいます。桜と張り合おうなどとは考えず、その後に控え、それなりに華やかではあるものの、桜とはまた違った気品のある風情を漂わせています。

でも、今の子どもたちはなかなかこういったものに目を向けようとはしません。しかし、あえてそういう関心が向くように仕向ければ、子どもたちもそれなりに興味を示すようになります。関心がないとか興味がないとかいうのではなくて、そういう経験をしたことがないから分からないというのが本当のところのようです。

これも一つの例に過ぎませんが、これほどの情報化社会の中に生きていながら、子どもたちの視線の向いている世界――視野と言ったらいいのか――は極めて狭いのです。それは周りに自然がないから自然に関心を示さないというような問題ではありません。その論法でいけば、自然に恵まれた田舎の子どもたちはさぞかし自然と豊かに触れ合っていることになりますが、とんでもないことです。46時中ゲーム三昧で、都会の子以上に自然と触れ合っていないことも多いのです。そういう子どもたちの狭窄的な視野をできるだけ広げてあげること、それもまた大人の責務ではないかと思っています。今の子どもたちをそのようにしてしまった過半の責任は我々大人の側にあるのですから。

私どものフリースクールは「教科学習を重視するフリースクール」ということもあってか――得意か苦手かにかかわらず――比較的勉強に意欲を持ったというか、勉強をしなければ…という気持ちの強い子どもが集まりますが、もしかしたら不登校になった原因の一つかもしれないと思われるものに、「勉強の世界に逃げ込む」というのがあります。

どういうことかと言いますと、「勉強さえ出来ればすべて許されてきた」という遇され方です。小さいときから学校や塾での成績がどうだというようなことばかりに評価の基準があり、そのため勉強以外のことがまるで出来ない子どもに育ってしまっていることがあります。家人がお使いを頼もうとしても、「今、勉強中」と言えば免罪される。実は勉強をしている振りをして嫌なお使いを断っただけ。でも、それで通ってしまう。家人もそれ以上は言わない。それが高じて何も出来ない、何もやりたがらない子どもが出来上がってしまった。そして、その結果として学校不適応を起こすようになった…と考えられるのです。これもまた、周りの大人の責任です。こういうこの場合には、勉強はレベルを維持させながら(これが唯一本人を支えているアイデンティティ)一方で、社会化するための様々な身体的な訓練や感覚の練磨を行っていかなければなりません

フリースクール・ぱいでぃあの標語の一つ「書を捨てて町に出よう、野山に出かけよう」というのはあの「べ平連」の創設者・小田実や劇作家・寺山修司のもじりですが、偏狭な知的行為からの解放、感覚の解放を目指すことは、フリースクール・ぱいでぃあの大切な活動の一つなのです。また、「遊び感覚の中から学ぶこと」――これも「遊びの教育学」をモットーとするぱいでぃあでの学びの方法の一つです。何せ「ぱいでぃあ」とは、ギリシャ語の「遊び」(パイディア)と「学問」(パイデイア)との統合した造語なのですから。

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